その他6

□出逢い
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side荒天

──今日は1日、過ごしやすい気候になるでしょう。では次のニュースです。昨晩起きた──

腰に下げたラジオから、朝のニュースを告げるアナウンサーの声が響く。
今日一番の朝日を浴びて、荒天は眼下に広がる景色を眺める。
有り得ない程の色彩に、眼が眩むような錯覚を覚えた荒天は、眉間に指を添えて首を振る。

「行くか」

荷物を抱え直して、足を踏み出すと、荒天を追い越すように名も解らない鳥が羽ばたいて行く。
視界から消えるまで鳥を見送った荒天の背を、生まれたての朝日が照らす。

──1日が始まる──

side橘花

橘花はふと雑踏の中で顔を上げた。

「どうした?橘花」

先を歩く桜花が振り返り、妹の名を呼ぶ。

「いえ、鳥が……」

交差点を渡る直前、アスファルトの道路を掠めるような低さで鳥が横切ったと思えば、青空に溶けるように上昇していったのだ。
その勢いの良さに、思わず橘花の眼が奪われた。

「鳥なんて珍しくもないだろう?」

いまだ空に視線を向けたままの妹に向かって、苦笑いしながら桜花が笑う。

「ふふ、そうですね」

「さぁ、そろそろ行こうか。予鈴が鳴ってしまうよ」

桜花が腕時計に眼をやって時間を気にすれば、橘花が可愛らしく首を傾げて笑う。

「剣道部の主将が遅刻なんてしたら、大変ですものね?姉様」

花が綻ぶようなたおやかな笑顔とは裏腹に、姉にかける声は少しのからかいが混じっている。

桜花は照れたように頬を掻いて、まだ正式に決まった訳じゃないぞ?と少し強く言ってみるが、橘花はくすくすと笑うだけで、少しも悪びれた様子も無い。

逃げるが勝ちとばかりに背を向けた桜花は、少しだけ大股に、けれども橘花が遅れたりしないように歩みはゆっくりと歩き出す。

いまだ収まらない笑いを堪えて姉を追いかけながら、橘花の頭の端に、先ほどの鳥の姿が浮かぶ。

「どこへ行くのでしょうか……?」

姉の言う通り、鳥なんて珍しくも無い。
けれどどうしてだろうか?
あの、名前も知らない鳥がどこへ向かうのか、姉と別れて教室に入るまでの間、橘花はその事が気になって仕方がなかった。

side疾風

もらった合鍵を使うまでもなく、裏手から回り込むとベランダから半身を出した状態で眠っている兄を見つけた。

「不用心だな……。おーい、兄貴ー?」

男の独り暮らしとはこういった物なのか?

実家から独り立ちしてすぐに恋人と暮らした疾風は、実際に独り暮らしをした事が無いので何とも言えないが、それでもマメな性格の兄がこうして寛いでいるのを見ると、一度は経験してみるべきだっただろうか?等と益体ない事が頭に浮かんでしまう。

「って何バカ言ってんだかオレは。那木に怒られちまうっつの」

薬指の指輪が、咎めるように光ったのを見て、疾風は首を振る。
下らない事を考える為に恋人と過ごす休日を潰している訳ではないのだ。

眠っているのなら無理に起こす必要も無い。
勝手知ったる身内の家に上がり、恋人がわざわざ荒天のためにと気を利かせて作ってくれた食事を冷蔵庫に入れてやる。

自炊は問題無くできると兄が遠慮しても、妬いた自分が不満を零しても、那木はただ笑って義兄にも自分の料理を食べてもらいたいのだと言って、定期的に疾風に言付けるのだ。

車の免許を持っている那木が自分で届けに行かないのは、2人きりの兄弟の時間を作ろうと思いやっての事だと理解している。
だからこそ、少しだけよぎる不満を飲み込んで、毎回疾風は車を走らせるのだ。

「まぁ、こうして毎回来てるオレもオレだよな」

冷蔵庫をしっかりと閉めた疾風は、たまには連絡しろよとだけメモを残して来た時と同じように庭から出て行く。
今からなら、外で食事する位なら大丈夫だろうか。

家で待つ恋人の顔を思い浮かべて、疾風は車のエンジンに火を点けた。

side榊

少し古い型の固定電話が、昔ながらのベル音を鳴らして寺に隣接した古い民家に着信を知らせる。

「はい、大河です」

寺の主が受話器を取り名乗ると、久し振りの息子の声が耳に滑り込んだ。

「あぁ、久し振りだね、荒天。電話なんて珍しいじゃないか」

長年着こなした法衣から立ち上る香が鼻先を掠める。
慣れ親しんだ香りと、息子の低い声に、寺の住職であり、父である榊は朗らかに笑った。

『……疾風が書き置きを残していたんだ。たまには連絡をしろ、と』

少しバツの悪そうな長男の声に、空気だけが震えるような微かな声で榊は忍び笑いを漏らした。

疾風は確かに気の利いた子ではあるが、そこまで細やかな性格ではない。

恐らくは息子の恋人が気を遣ってくれたのだろう。
若いのに良く出来た娘さんだと褒めると、疾風は自分のように照れ、その隣でしとやかに那木が微笑んでいたのは記憶に新しい。

「那木さんが気を利かせてくれたんだね。優しい子だ。疾風とは話したのかい?」

『いや、生憎俺は寝ていて……。合鍵を渡していたから、多分それで』

申し訳無さそうな声に、榊は目を細める。

「なに、疾風も那木さんもそんな事を気にする子じゃないさ。こうして電話もくれたんだしね」

励ますような榊の言葉にも、荒天の声は明るくはならない。

『済まない、父さん。なかなか帰る事もしないで』

「まだ言っているのかい?いいんだよ。お前は小さい頃からたくさん頑張ってくれたじゃないか。そんなお前が進みたい道を自分で見つけて歩んでいる、それだけで父親としては誇りに思うよ」

榊は心からの気持ちを告げた。電話で無く直接会っていれば、うなだれた肩に手を添えていただろう。

責任感の強く、誠実な荒天は幼い頃から家事や弟の面倒を自ら進んで行っていた。
住職と父親の二足草鞋に負担を感じた事は一度たりとて無かったが、己の至らなさ故に息子達に辛い思いをさせた事だけは、歳を重ねた今でも苦い気持ちを感じずにはいられなかった。

そんな息子達も、成長するにつれてそれぞれに進むべき道を見つけて挑戦していくようになった。
榊にとっては純粋に喜びであったが、やはり息子達は優しかった。
進路に対し、父である自分にできる限り負担をかけないようにと思案する2人に、目頭が熱くなったのはもうずい分と古い記憶のようだ。

それ程多くはない知人に頼り、様々なアドバイスを貰わなければ、息子達は望む道を進めていなかったかもしれないと思うと、力を貸してくれた知人には今も感謝の念を抱かずにはいられない。

『だが、俺は……』

霧に包まれた深い森から響くような、懊悩とした受話器からの声に、榊はできるだけ優しく声をかける。

「荒天、お前が選んだ道を咎める者は誰もいない。迷う事も悩む事もあるだろう。それでも、すべては己次第という事だけは忘れないようにね」

言葉とは難しい。
どれだけ心からの言葉を送っても、自分の思いが息子の助けになっているかは量れない。

だからせめて、ほんの少しでも荒天が元気になるように。

「父さんだって頑張っているんだよ?最近はようやくケイタイにも慣れてきたしね」

おどけたように軽く言うと、電話の向こうで息を呑む音がした。

『……あぁ、それは本当に、凄いな。ありがとう、父さん』

その後、二、三、言葉を交わして電話は終わった。

そして、いつから居たのか。
少し離れた所でお茶を用意していた疾風の恋人に向かって、榊は決意を込めた声で頼みがあります、と告げた。

「ケイタイの使い方、もう少し教えてもらえませんか?」

ポカン、という言葉が見事に当てはまるような那木の顔を見つめながら、内心で榊は苦い思いをしていた。

(まさかあそこまで驚かれるとは……)

ケイタイが使えるようになった、と軽く言った言葉に、荒天はまるで明日槍でも降るかのような大仰な反応を返した。

「励ますつもりの言葉で自分が傷ついてしまうとは……。本末転倒ですねぇ」

乾いた溜め息を漏らす義父の様子に、那木はぱちくりと眼を瞬かせるしかなかった。

side橘花

「ね、橘花?朝からなーんか変じゃない?」

クラスメートで、高校からの友人である依子が下校途中であるにも関わらずクレープを口にしながら話しかける。

夕飯は入るのかしら、なんて思う橘花をよそに、依子は明るく笑って橘花の額をつついた。

「ひゃっ」

話を聞いてないからだよ、とイタズラっぽく笑う依子に、橘花はもう、と頬を膨らませた。

「で?何かあった?」
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