その他2

□土と星、弩と森
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土と星

海都アーモロードは、最近にわかに活気付いている。
もともと観光名所として旅行先に選ばれる事が多かったからだが、最近はもっと別の理由だ。

世界樹の迷宮──ずっと解かれる事のなかった迷宮の不思議が、ある日を境に、堰を切ったように紐解かれ始めたからだ。
元老院の兵の質が上がったとか、魔物が弱体化したからとか、様々な噂が流れていたが、人々の噂とは裏腹に、港に停泊している船の人間は静かに過ごしていた。

「よし、これでおしまい、かな?」

船の一室で、ファーマーの少年が何かしらの作業を終えて、一息を着く。
整った顔立ちに柔らかく満足げな笑みを浮かべた少年は、窓べりに控えていたフクロウを招き、その羽根を撫ぜてやる。

「お待たせ、もう少ししたら食事を用意するからね」

親しみを込めた優しい声に、フクロウは嬉しそうに目を細める。
どこにでもいるような少年と、ペットのフクロウのやり取りは、彼が最近街を騒がせている新興ギルドの一員であるなどと思わせない優しい雰囲気だ。

肩に乗せたフクロウを伴って、食堂に向かった少年、ファーマーのエミルは不意に後ろから声を掛けられる。

「エミル」

静かな声に振り返れば、そこには白い法衣を纏った星詠みの術師がゆっくりと近づいてくる所で。

「セレーナさん、お疲れ様です」

エミルが丁寧にお辞儀をしてあいさつを返すと、セレーナと呼ばれた少女は両手を広げてエミルに近づいてきた。
それを見てほんの少しだけ慌てるも、すぐにセレーナの体を受け止めるべく同じように両手を広げた。

端から見れば恋人同士の抱擁にも見えるそれは、実際にはだいぶ違う。
エミルは波にたゆたうようなセレーナの身体を捕まえると、そのまま自分の肩に手を添えさせ、歩き始める。
セレーナも心得ているのか、肩に置いた手には安心したような柔らかさがあった。

そのまま2人は無言のまま移動する。
ふと、エミルは思い立って聞いてみた。

「そう言えばセレーナさん。ボクたち食堂に行くんですけど大丈夫ですか?」

「へー、き……」

エミルの問いかけにも、茫洋とした覇気の無い声。
初めの内こそ病気でも患っているのかと心配したものの、気功を使う治療を専門にしたファリンがそれを否定し、本人からの証言もあって、今ではあまり気にはならなくなってきた。
もちろん心配は心配なので、声をかける事は忘れない。

「いつも……、と同、じ……」

静かな口調にウソは無く、エミルは頷いて再び歩きだす。
響く足音は一つ分、エミルの立てる靴音のみ。
セレーナの足は少しだけ廊下から浮いて、ふわふわと頼りなく漂い、エミルの肩に掴まる事でそれを安定させている。
この不思議も、いつもの事だ。

エーテルを利用した特別な方法だと最初に聞いた時は、なんて便利なのかと感心と羨望の眼差しを向けたものだ。
なにしろ樹海に広がるのは、整備された道などでは無く、魔物の脚で固めた歪な轍やぬかるみが、冒険者の足を鈍らせ、時には歩みを止める必要さえあるのだ。

素材の収集や地図の作成をするために入り組んだ迷宮を歩き回るエミルは、身を守る防具よりも靴を買い換えた回数の方が多いくらいだった。

だから、セレーナがその細い足をエーテルの瞬きと共に地面から離す光景は、いつ見てもエミルの心を踊らせるのだ。
とはいえ、問題がない訳ではないらしい。

まず、浮いた状態では自力で動く事は難しいらしく、ふらふらと傍目にも危なっかしい。
だから今のように誰かに掴まったりしないと満足に移動もできない。
さらに自力での移動はとても遅く、歩いた方がよほど速いらしい。

本人いわく、『探索にはまるで向かない技術』であり、気が向いた時に少し浮く程度にしか使わないとの事である。

(その割に、ボクが居る時はいっつも浮いてるような気がするんだけどなぁ)

偶然と言ってしまえばそれまでだが、エミルが知る限り、セレーナが他の誰かと居る時に、その足が地面から離れているのを見た事はなかった。

その理由を尋ねた事はない。
エーテルを利用するという『普段は役に立たない』技術の詳しい仕組みも、セレーナしか使っている占星術師を見た事がない意味も、何一つエミルはセレーナに尋ねはしなかった。

興味が無い訳ではない。
セレーナを過度に気遣っているつもりもない。
ただ、土に触れ土と生きてきただけの自分に、難しい知識を理解できるだけの学が無い事を自覚していたから。
ただそれだけの理由だった。

たとえ尋ねれば自分にも理解できるように優しい答えが返ると解っている問いでも、問う事そのものに意味を見いだす事はエミルにはできそうになかった。

そうして、目の前の不思議をただ不思議と感じるままに、エミルは話題を振る。

エミルにとっては、理外の知識の深淵を計るよりも、今頭を占める事の方が大事だったから。

「そういえば、キキョウさんはどう、でしたか……?」

恐る恐る、といった雰囲気で尋ねるエミルの不安が伝わったのか。肩に留まったフクロウが身じろぎをしてセレーナの視界を塞ぐ。
それに気を悪くする事も無く、セレーナは一言、大丈夫と告げた。

「ファリン、が、ついてる……。彼女なら、安心。そもそも、2人が行っていたのは訓練……、だから、致命的なケガは、無い」

ギルドの仲間を癒やす気功の使い手、ファリンが側にいるのなら、それは確かに安心だろうし、ただの訓練である事は1日の予定を聞いた時から知っている。
だけどそれはあくまで肉体的な意味であって、エミルが心配している事と少し違う。
聡い星詠みが、意味を取り違えるとも思えなかったが、念のため補足をしようと口を開いたタイミングで、セレーナがささやく。

「ファリンは、優しい。だから、大丈夫……」

深く語らずとも、セレーナの言葉は胸に染みた。
帽子のツバを引き下ろし、顔を隠したエミルは、なんだか胸の奥がツンとして、小さく「そうですね」と返す事しか出来なかった。

「エミルは、良い……子」

羽根より軽くたゆたうセレーナの手が、帽子の上からエミルの頭を優しく撫ぜる。
胸の奥に広がるツンとした痛みが目の奥を刺して、溢れようとする何かが零れないように上を向きたいのに、撫ぜる手があんまり優しくて顔を上げれない。

優しいというなら貴女の方こそ。

言いたい言葉は胸の奥につっかえたまんまで、仕方ないから下を向く。
床に落ちて弾ける雫に、関係ないのにごめんなさい、と小さく呟く。

いつの間にか歩みも止まって、それでも撫で続けてくれる少女の優しさに、フクロウがホゥ、と一声鳴いた。

ひとしきり泣いて落ち着いたエミルが恥ずかしさで顔を赤くしていると、セレーナはいつものように茫洋と、けれどどこかからかうような楽しいような口調で言葉を紡ぐ。

「やっぱり、エミルは優しい。ガルシアも見習うべき……。だから骨を折る」

やけに流暢なセレーナの声に耳を澄ませていると、なんだか聞き捨てならない単語が聞こえた気がして、ばっ、と顔を上げる。

「打ち身とかでケガをして気を失ったのはキキョウ。そのキキョウの一撃に肋骨を折られたのはガルシア。ついでにそれを軽く手当てしたのは私。おーけー?」

何も聞かずともそこまで解ってくれるセレーナに、だったらそういう大事な事は早く言って欲しいと切に願う。
あと、軽くって何ですか、ちゃんと治療してあげてくださいよ、とも思う。

とはいえいくらファリンが気功に長けていても、薬まで常備しているとは限らない。
エミルは赤かった顔を一気に青くしながら、樹海で採取した植物で作った、応急手当に使う痛み止めを先ほど部屋で完成させていたのを思い出す。

こうしちゃいられない、と慌てて部屋に戻るエミルの耳に「あ〜」と、気の抜けた悲鳴が聞こえた気がするけれど、振り返る事はしない。
とにかく今は痛み止めを!
急ぐエミルはまっしぐらに部屋のドアを目指した。

そして、肩に掴まっていたエミルが急に動いた反動で壁に頭をぶつけたセレーナは、壁で塞がった視界の片隅に、駈けて行くエミルの背中を納めて笑う。

「やっぱり、エミルは良い子。ガルシアは悪い子。……キキョウはちょっと無理してる子、かな。じゃあ、私はいったいどんな子だろう?」

誰にともなく呟いた言葉に、エミルのフクロウが呆れたようにホゥ、ホゥ、と鳴いて飛び立って行く。

いじわるなフクロウを恨みがましく見送りながら、セレーナはどうやって動こうかなどとぼんやり考える。
もちろんエーテルを消して足を地面につけばいいだけだが、なんとなしセレーナはそれをせず、誰かが通りかかればそれで良しとする。

この船、そしてギルドの人間は皆優しい。
誰かがセレーナを見つければ、だいたいが助けてくれるだろう。
仲間が取るだろうさまざまな態度の違いを想像して笑うセレーナの耳に、誰かの足音が聞こえる。
それが誰かを想像しながら、セレーナはゆっくりと目を閉じた。
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