その他4

□日々
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『朝 目覚めから昼前まで』

ウタカタの朝は静かだ。
鳥が鳴く声で眼が覚めたり、風が戸を叩く音が良く響く。

優季は今日、鳥の鳴き声で目覚めた。

身体を起こす。
頭の芯に確かに残る眠気、それを感じさせない挙動で洗面所まで歩いた。

桶に汲んであった水で顔を洗う。
水が顔を叩く刺激に、脳が覚醒する。

手拭いで顔を拭き、ほぅ、と息を吐く。
素足に感じる木目の感触と冷たさ、鏡台に映る自分の顔、伸びた後ろ髪。

全てをはっきりと認識して頷き、居間に戻る。

囲炉裏に火を入れ、湯を沸かし、茶を用意する。
一連の動作に淀みは無く、毎日の恒例である事を如実に知らせている。
湯飲みを出した所で沸騰した湯を急須に注ぎ、少し熱めの茶を口に含んだ。

そこでまた、ほぅ、と一息。

(今日のお茶は、いつになく美味です)

心中でだけ出来を賞賛し、ゆっくりと湯飲みを傾ける。

パチ、パチと火が弾ぜる音と、時折少女が吐く吐息だけが響く時間。
ゆったりとしていながら、静寂に満ちている空間だった。

やがて飲み終えた湯飲みを片付けた優季は普段着に着替える。

任務の無い時は、動き易く露出の少ない格好を好み、色も落ち着いた色彩の着物を選ぶため、年頃の少女にしてはずいぶんと控え目な印象である。

周囲はそれを勿体無いと嘆いていたりするが、時折、それもまた優季らしいと肯定の声も上がる。

絢爛と咲き誇る蘭の花のように艶やかでは無い。
慎ましく咲く菫のような趣の優季は、だからこそ鮮やかに飾りたいと思う人間や、あえてそのままで良いと思わせるような二面性を合わせ持っている。

それは、怜悧な瞳や纏う鋭い雰囲気の中に、どこか庇護したくなる柔らかさを宿しているからか。

とはいえ、本人はそういった周りの評価を気にする事なく、日々を静かに過ごしている。

鬼を狩る時の勇ましさや凜とした様子は成りを潜め、まるで村娘のごとく何事も無く淡々と。

朝食を取る前に草履を履いて、割り当てられた家を出る。
戸締まりという物をせず、一度だけ振り返って1人で住むにはやや大きい我が家を見た後、御神木へとやってきて、朝のお祈りを済ませる。

ムスヒの君、とまで呼ばれる依子とは違い、そこまで強く御神木と意思を交わせないながらも、優季はなるべく気持ちを込めて朝の少し冷たい空気の中、お祈りした。

帰りがけ、早い時間にも関わらず動き出しているたたらを見かけて、小さく会釈をする。
たたらはじろり、と視線を寄越した後、鼻を鳴らしながら片腕を挙げた。

邪魔をするのも良くないと優季は足早にその場を離れ、自宅へと戻る。

そしててきぱきと朝食の支度を済ませ、素朴な食事を終えて茶を飲み、1日の予定を確認する。

急ぐ任務は無く、ちらほらと受けた依頼だけがあるのみで、取り立てて慌てる用事はない。

ならばと軽く修練に出かける用意をした優季を出迎えたのは、珍しい人物で。

「……お前か」

精悍な雰囲気を纏う男が、修練所の外にある木々の間で座禅を組んでいた。

荒天。
そう名乗る男はその正体を『アマキリ』と呼ばれる鬼だという。

優季自身何度となく闘い、狩った種族ではあるが、何度見ても聞いても、目の前の男がそうであるとにわかには信じられなかった。

ただ、モノノフとしての感覚が、確かに眼前の男が放つ無意識の気配をヒトではないと認めており、それ故に依子や統真のように親しくする事に違和感を感じている。

向こうもそれを承知しており、普段からなるべく鉢合わせないよう互いに気をつけてはいるのだが……。

「済まなかったな。俺はもうじき戻る。気にせず修練をしてくれ」

座禅を組んだまま、集中しているのだろう。
それだけを告げると荒天は押し黙ってしまう。
注意しなければ木々に同化してしまいそうなほど自然と一体化した様子に、返事を返すのも悪い気がして、けれど修練をする気にもなれず、優季は木刀を戻した。

荒天は巌のごとくじっと瞑想を続けており、同じ空間に居ながら、2人はしばらくの間無言のまま過ごした。

修練をしないと決めた優季は、携えていた一振りの刀を置いて、刃を鞘から僅かに引き抜き、その刀身を見つめた。

鞘の拵えも、柄も、刃そのものにも、なんら特筆すべき点のない凡庸な刀だ。
作った本人がそう下した評価のそれを、優季は正座したまま、長い間じっと見つめる。
優季にはどうしてもこの刀を凡庸だと思えなかった。

「……?」

荒天が意識を浮上させると、視線の先で優季が座っているのが見えた。

見慣れない刀を前に置き、少女は飽きる事なく刀を見つめ続けている。
普段から大人しく、正確には知らないが、おそらく最年少であるはずの、いっそ幼いとさえ言える少女が普段の無表情のまま、やけに熱心にじっと刀を見つめている事が荒天を驚かせた。
その感情の動きが伝わった訳でもないだろうが、ふと気付くと優季がこちらを見つめている。

刀は鞘に納められ、何となくバツが悪い気持ちで荒天は口を開いた。

「すまん、邪魔をするつもりはなかったのだが……」

「構いません。見られて困るものでもありませんし」

返ってくるとは思わなかった返答に、また一つ荒天が驚いていると、優季がほんの少しだけ首を傾げ、何か?と問うてきた。

「あぁ、いや……」

戸惑いながらも、どう返すべきかと思案した荒天は、とりあえず会話のきっかけになりそうな『刀』に視線を向けた。

「その刀だが……」

「あぁ……、これが気になりますか」

お互いに離れた距離にいながら声はよく通っており、会話に支障はない。
しかし、優季の手元にある刀は荒天の視力を持ってしても良く見えないので、荒天は腰を上げた。

修練所の中に上がった荒天が向かいに座ったのを確認して、優季は訥々と口を開いた。

「これはただの刀です。鬼を討つための物ではなく、ただ刀としてだけの」

「……そうだろうな。何も特別な力の込められていないし、大きさも、我らのような大型の鬼を狩るには小さ過ぎる」

簡潔な少女の説明と率直な男の感想。
それからこぼすような笑みを浮かべて、優季が続ける。

「刀とは、本来このような大きさなのです。材料も、異界の素材を使っていません。ただ鉄を火で鍛えただけの、特別な何かがあるわけでもない凡庸な刀です」

淡々とした説明に、荒天はふむ、と息を吐いた。
ただの刀だと言われているそれは今、鞘から引き抜かれ、刀身を全て露わにしている。

「では、お前はなぜこの刀を?儀礼用の刀なのか?」

「いいえ。そういった華美な造りを嫌う方でしたので」

「ならばこれで人を斬った事が?」

「いいえ。おそらく人ならばたやすく斬れるでしょうが、そういった事に使うつもりも、使った事もありません」

思いつく疑問を問えば、即座に、かつ静かに否定される。

ならばなぜ、打った本人でさえ凡庸と評したこの刀を、何に使うでも無く持ち続けているのか。

半眼になった荒天に、また一つ、薄く笑みを浮かべて少女が呟いた。

「この刀は、鬼も人も、もちろん物も斬りません。斬るモノがあるとすれば、それはただ一つ」

そのただ一つとは何か。
鏡のように、あるいは水面のように正面に座る優季の顔が刀身に反射する。
それを見やりながら、問おうとした矢先に、優季は刀を鞘に納めてしまった。

「……今日はこれで」

失礼します、と立ち上がり、深く頭を下げた優季は、いまだ座り込んだままの荒天を置いて修練所を後にしようとする。

「……その『刀が斬るただ一つ』については教えてもらえないのか?」

小さな背中に向けて告げた言葉に、今日三度目の笑みを浮かべて、優季が応える。

「……機会があれば、またいずれ」

静かに戸を閉め、気配が遠ざかって尚しばらくの間、荒天は修練所に座っていた。

「今日はずいぶんと話したような気がするな……」

それは近付いた故か、それとも違うのか。

答えは返らぬまま、呟いた言葉は誰に聞こえる事もなく霧散していった。
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