色んな妄想

□待つ人、探す人
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 愛しい貴方の、私を呼ぶ声を待つ。
 貴方が、ただ一向私の名前だけを呼び続けるこの時がどれ程の至福か、きっと貴方は知らない。




―――――



 穴の中から見える丸く切り取られた空は、初夏の彩りを孕んで青々としている。

 涼しい穴の中からそれを仰ぐ綾部の顔には表情がなく、大体の人間は(ぼんやりしている)(何を考えているか解らない)と敬遠することが多かった。
 掘ったばかりの塹壕は壁がまだ脆くて、少し身じろぐだけでぱらぱらと泥が零れる。
 綾部は泥で汚れた顔や体に何も感慨がないようで、一心に穴の中から空を見詰めていた。


「―――…!!」
「!」


 さわさわと揺れる木々の音に混じって、微かな声が聞こえた。
 綾部は無表情だった顔をパッと輝かせて、いくつもの音の中から1番聞きたい声だけを探り当てる。

「喜八郎ーーっ!」

 どくんっ。肋骨の下で心臓が跳ねた。
 彼が自分を探す、この時の声がとても好きだ。
 いつも高飛車で自慢話しかしない彼が、必死に綾部を探し回るこの時が。

「いい加減に出て来ないか喜八郎!!私だって暇じゃないんだぞーっ!!」

 焦れてヒステリックに叫ぶのも、好きだ。
 だって彼は、どんなに長く綾部が塹壕に隠れていても、見付けるまでは決して諦めたりしない。
 絶対見付けて連れて帰る!そう胸を張った彼の頼もしい姿に、堪らなく嬉しくなったものだ。

「喜八郎ぉぉーっ!!」

 声が段々近くなる。
 綾部は気配を殺して立ち上がり、目当ての人が何処から来ているのか探った。
 足音の方向を確認すると、彼は真っ直ぐこの塹壕に近付いて来ている。

 顔がにやけて、綾部はくすくすと笑い出すのを止められない。
 彼に見つけ出されるこの瞬間が、何度体験しても嬉しくて仕方がなかった。

「むっ、見付けたぞ喜八郎!」

 笑い声を聞き逃さなかった件の人が、唇をヘの時に歪めて足音荒く綾部の元へ近付いてくる。
 青空を背に仁王立ちをしたその姿が眩しくて、綾部は目を細めた。

「まったく、毎回毎回手間取らせおって!ほら、帰るぞ!」

 目の前に差し出された滝夜叉丸の手の平。
 綾部はその手を取って、引き上げようとした滝夜叉丸の力に逆らいグイッと引き寄せた。

「ちょっ、おわっ!」

 突然のことに情けない声を上げた滝夜叉丸が頭上に降ってきたので、綾部は喜々としてその身体を胸に抱き留める。
 流石に自分と同じくらい体格のいい滝夜叉丸を支えることは出来ず、そのまま塹壕の中に二人で倒れ込んだ。

「っ…き、喜八郎ぉぉぉぉーー!!!」

 怒り心頭の滝夜叉丸が耳元で叫ぶ。
 綾部はギューッと目を瞑って堪えて、ゆっくり目を開けた。
 やっぱり目の前には真っ赤に怒った滝夜叉丸が居たが、しかしその体勢があまりにも素晴らしくて、綾部は(もう死んでもいい)と一瞬思った。

 倒れ込んだ綾部の上に乗っかった滝夜叉丸。
 腰周りに感じる滝夜叉丸の内股の感触に、綾部は頬を緩めた。

「な、なにをにやけている!反省の色なしか貴様!!」
「滝夜叉丸」
「まったくお前という奴はいつもいつも世話ばかりかけて」
「だいすき」
「少しは上級生らしく…」

 くどくどと説教を始めた滝夜叉丸だったが、綾部の口から零れた言葉にビシッと固まった。

「好き、大好き。滝夜叉丸」

 普段は誰にも見せないような笑顔でヘラヘラと繰り返す綾部に、滝夜叉丸の顔が怒りとは別の感情で赤くなる。

「は!?はぁぁっ!?」
「だぁいすき」

 首に腕を回して抱き寄せた滝夜叉丸の頬に擦り寄るとそこは熱く火照り、綾部はなんだか幸せな気持ちになってなんども頬擦りした。
 滝夜叉丸はわなわなと震えてはいるが拒絶の気配はない。

「これからも沢山タコ壷掘って、沢山隠れるから、滝夜叉丸が見付けに来てね」

 絶対だよ、と念を押す。
 言われてる滝夜叉丸は返事をする余裕も無いようで、大きな双眸を所在なさげに忙しなく動かしていた。
 綾部はニッコリとして、滝夜叉丸の額にそっと口づける。

「き、ききき喜八郎…!」
「つぎ、返事を聞かせてね」

 また自分は塹壕を掘って、またその中に身を潜めるだろう。
 そうして、また。
 愛しい貴方が迎えに来るのをじっと待つのだ。

「ずっと待ってるよ。ずっとずっと、ずーっと。日が暮れても、夜が更けても、滝夜叉丸が迎えに来るまで帰らないからね」

 貴方の足音が聞こえたら、貴方の声が聞こえたら、きっとそれはそのまま返事なのだろうけれど。

「〜〜〜!!」

 滝夜叉丸はひどく不満げな顔をして、悔しそうな仕種で綾部の肩に顔を埋める。
 低く唸ったあと微かに頷いたのが解って、綾部はにへらーっと笑って滝夜叉丸の身体をギュウギュウ抱きしめた。

















(滝夜叉丸、つーかまーえた)


End

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