色んな妄想

□苦悩する私に、キスを
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 綾部 喜八郎という男は、いつもぼんやりと遠くを見ていたかと思えば、塹壕堀りに並々ならぬ熱を入れたり、とにかく掴み所が無い奴だった。

 彼の脈絡の無い行動で散々な目に合ってきた滝夜叉丸だったが、どこか危なっかしい綾部を放っておけない。
 口を開けば自慢話に厭味に自慢話と、人を不快にさせることに長けた滝夜叉丸も、こと綾部に関しては甲斐甲斐しく世話を焼いてしまうのだ。

 そうやって何かと面倒を見ているうちに、級友と教師達の間に(綾部のことは平に任せよう)と暗黙の了解が出来た。
 授業も受けずに塹壕掘りに明け暮れる綾部を探しに行くのは滝夜叉丸の役目だと、誰もが思っている。
 そして実際に滝夜叉丸も、綾部の姿が見えないと自然に足が動くのだ。

 まるで、それが当然のように。



―――――




 その日、いつものように綾部が消えて、いつものように級友達が滝夜叉丸を見遣った。
 いってらっしゃい、と見送ってくれる彼等に滝夜叉丸は忿懣やる方ない仕種で頷き、い組の教室を出る。

 いつもの滝夜叉丸ならば肩をいからせながら足音荒く綾部捜索に向かうのだが、今日は少し違った。

『滝夜叉丸、だいすき』

 塹壕の中、泥まみれの顔をへにゃりとさせて言った綾部の言葉が頭を離れない。
 額に落とされた口づけも、強く抱きしめてきた腕も、一晩経った今でも忘れられなかった。

「喜八郎…」

 つぎ、彼を見付けたら、何が変わるのだろうか。
 彼に、捕まったら。

 胸に満ちるのは不安だった。
 天才で、完璧で、優秀な平滝夜叉丸。そう有りつづけるためならば努力は惜しまなかったし、そう自負している。
 そんな己が、これからさきどうなっていくのか見当も付かなかった。

 綾部の無感動な眼差しが、瞼の裏で滝夜叉丸を見詰めた。

 綾部を探して、見付けて、連れ帰らなければ。
 頭では解っているのに、足取りは思考と裏腹に鈍った。

「喜、八郎」

 踞る。大丈夫だ、誰も見てはいまい。
 膝に突っ伏して頭を抱えた。

 誰か背中を押してくれ。
 この平滝夜叉丸が、よもやこんなに意気地の無い男だったとは。
 綾部のことは嫌いじゃない。寧ろ好ましい。でなければ誰が毎度毎度、七松に引きずられてトラウマになっている裏山なんかに来るものか。

 最後の一押しが欲しい。

 お前は狡いぞ。胸の中で罵った。お前は狡い。いつも私にばかり探させて、お前は一度でも私を迎えに来たことがあったか。

「喜八郎っ、喜八郎…!狡いぞ喜八郎…」

 思わず声にだして罵倒した。
 いっそ聞こえていればいいのに。聞こえていたならば、今すぐタコ壷から這い出してこの無様に震える身体を抱きしめろ。
 往生際悪く踏み出せないでいるこの天才の背中を押しに来い。






「おやまぁ」

 間延びした声が、真下から聞こえた。
」滝夜叉丸がはっとして顔を上げると、足元からズボッと汚れた手が飛び出してきた。
 よく見ればそこだけ土の色が違う気がするが、思考がぐちゃぐちゃになっていた滝夜叉丸にそこまで考える余裕もなく。
 見覚えのある泥まみれの手は滝夜叉丸の足首を掴み、そのまま土の中へ引きずり込むのだった。




「っげほ!げほ!」

 タコ壷の底で、滝夜叉丸は盛大に噎せた。
 何かを跨いでいるような感覚が内股にあって、それは昨日感じた感覚に酷似している。
 砂が入って痛む目をなんとか開こうとすると、頬に誰かの手の平が触れた。

「滝夜叉丸」

 ああ解っているさ。足首を掴んだ手が誰のものかくらい。
 涙が止まらないまま下敷きになった級友を見下ろせば、滲んだ視界でも相手が恍惚と頬を染めているのが解った。

「泣かないで、可愛いから」
「喜八郎…!この馬鹿者め!」

 珍しく熱に浮された様に伸ばされた腕が、荒々しく滝夜叉丸を抱き寄せる。
 首筋に掛かる吐息の熱さに身をよじった。

「ごめんね、ごめんね。狡くてごめんね滝夜叉丸、嫌いにならないでおくれよ」
「ちょ、おい喜八郎…!ッア…」

 相変わらず淡々とした口調とは真逆に、滝夜叉丸の身体をまさぐる手の動きは性急で活発だ。

「好き、好き、大好き。私を嫌わないで、ずっと傍に居たい」
「ま、待て待て待て待て!何もそこまで私は…っ!」

 確かに背中を押してくれとは思ったが、いきなり順序をすっ飛ばすほど押し出せとは思っていない。
 すっかり紐を解かれた袴がかろうじで腰に引っ掛かっている。
 何をどうまかり間違って綾部が発情したのか解らないが、とにかくこれはまずい。

「滝夜叉丸、滝夜叉丸…」
「と、とにかく落ち着け喜八郎!その手をどうにかしろ!」
「滝夜叉丸が可愛くて頭がおかしくなってしまいそうなんだ」





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