三國無双
□悔恨ニ溺レル
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「義父上は、曹植殿を後継に選ばれたとのことですわね」
切り出された話の内容に、知らず顔が歪む。
甄姫は微かに苦笑して、曹植の反応を待つ様に口を閉ざした。
「……兄上は、なんと…?」
「如何様にも。ただ、帝位を譲る気は無い、と」
曹植は奥歯を噛んだ。
兄はやはり、争うつもりなのだ。
解ってはいたが、いざそれを実感すると胸が詰まる。
「曹植殿は、どうなさるおつもりなんですの?」
「………」
曹植は俯いた。
どうするつもりなのか。どうしたら良いのか。
まだ遠い話だと思っていたことが、余りにも唐突に、よりにもよって自分にのし掛かって来た。
「………私は、正直に申しますと、良く解らないのです」
「解らない?」
「兄上の胸中を察すれば、このように申し上げるのは不敬でありましょうが……私には、余りに重い」
甄姫は何も言わず先を促す。
「私は父上のご期待を裏切りたくはありません、しかし同じだけ……いえそれ以上に…!兄上と争い合うのは、余りにも、」
耐え難いのです、と。
絞り出すように告げた曹植に、甄姫は悲哀の滲む眼差しを向けた。
「私にとって兄上は、努力を惜しまない素晴らしい方です。………けれど私は知っている、あの方は目的の為なら手段を選ばない…」
薄い唇を僅かに噛んだ曹植を見詰め、甄姫は悟った。
彼は恐れている。
手段を選ばぬ冷酷な兄に、手を掛けられる事を。
きっと命を落とす事を恐れているのではない。
曹植は、言ったではないか。
耐え難いと。
彼は死ぬ事よりも、望まぬ争いに翻弄されて兄弟で殺し合う様な悲劇を嘆いているのだ。
長い沈黙があった。
欄干を強く握りしめる曹植の白い手の甲に、青筋が浮かぶ。
甄姫は沈黙を守った。
何も言えない。
只只憐れとしか言えぬ境遇の心優しき義弟に、外ならぬ曹丕の妻である己が何を言えようか。
「…………わたくしはこれで、失礼致しますわ」
例の形を取る甄姫に、曹植も拱手した。
カツカツと靴底を鳴らして去っていく背を見遣り、欄干に両肘を付く。
僅かな冷気を含んだ北風にはためく袍を抑えて見下ろした先―――鋭い視線と目が合って、曹植は思わず後退りかけた。
「―――兄上、」
丁度城へ戻る所だったのだろう曹丕が、寸分の狂いなくこちらを見上げている。
射る様な双眸。
背筋が粟立った。
「――――……」
曹丕の口が動き、何事か言葉を発した。
聞き取れない。しかし曹植には、兄の言わんとしている事が理解できた。
―――今夜行く。
恐らく曹丕はそう言った。
曹植は欄干から身を乗り出して口を開いたが、詞は何も出ない。
胸の内でぼんやりと蠢く形容し難いこの感情は、声に出すには余りに憚られた。
ただやっとの思いで頷けば、曹丕は一瞬目を細めて、それきり曹植には目もくれず歩き出す。
「っ…兄上…」
子建、と。
両手を広げて己を呼び寄せた兄の姿が、目の奥でうたかたの幻の様にちらついて、消えた。