三國無双


□悔恨ニ溺レル
4ページ/6ページ





「…………冗談だ」

 永久に続くかと思われた重い沈黙は、存外あっさりとした曹丕の詞に容易く破られた。
 曹植は唖然として固まる。

「くくっ、いや済まない。お前が余りにも素直に真に受けるものだから、つい揶揄った」

 そう言って曹丕は盃の酒を躊躇いなく飲み干して見せた。
 証拠だと言わんばかりに。

「ほら、なんともない」

 肩を竦めて再び酒を注ぐ兄の姿に、曹植は急激に冷めていく頭の片隅で呟いた。

―――なんだ、これは。

 私は試されていたのか?揶揄われていたのか?遊ばれていたのか?

「別にお前を今どうこうしようなどとは思っていない」

 曹丕が言う。

「お前は、いつでも殺せよう」




 もはや何に驚きはしなかった。 奇妙に冷え切った脳髄の奥で、嘗ての誇りとも言えた自慢の兄が、死んでいく。

「……何が、なさりたいのですか」
「何が、か。さぁ……なんであろうな?」

 私にも解らん。

「帝位が欲しいのなら、こんな真似をせずに仰れば宜しい…。私は兄上と争ってまで後継になろうとは思いませぬ…っ」
「危うい芽は、育つ前に摘み取るべきであろう」
「っ私が…貴方の帝位を脅かすとでも…!!」
「事実そうなった」

―――ダン!!!

 曹丕は机を叩き身を乗り出して、曹植の胸倉を掴んで引き寄せた。
 机の上に引きずり上げられて、曹植は図らずして曹丕に膝を折る形にさせられる。
 
「子建よ、私は今でもお前を唯一人の弟と思っている」
「っ、!」
「数多の兄弟達の中で、お前だけが真実私の兄弟だと…昔からそう思っているのだ」

 耳元に寄せられた唇から洩れる吐息と、甘やかな囁きが、曹植を困惑させた。
 ずるりと再び引きずられて曹丕の足元に落ちる。
 なんとか掴まったのは曹丕の膝で、見ようによっては曹植が縋り付いているようだった。

「武に才無し、部屋で本を読み詩を謡うばかりのお前は、脅威には見えなかった………だが、私は見誤っていたらしい」
「…見誤る、とは」
「お前が脅威でなくとも、父が私を恐れた。頭の良い気に入りのお前を後継に据えるには、理由は充分であったな」

 苦々しく口にする曹丕を見上げて、曹植は顔を歪めた。
 曹植とて知っている。
 誰よりも優れ、努力を重ねた曹丕の幼年を。
 他の追随を許さずその文武を矜持の代わりとし、そうする事を疑わなかった彼の心境は―――。

「…嘆いて、おられますのか」

 認められなかった。
 全てにおいて厳しく、覇王の嫡男であるが為に冷酷になっていけば行くほど、実の父には疎まれて。
 その才を知らしめようと、曹丕は他に与えられようとしている帝位を渇望している。

 それを悟って、曹植は酷く哀しくなった。

 兄を追い詰めたのは、私なのか?



「よもやお前と、争う羽目になろうとはな」

 諦念の色が伺える静かな苦笑に、自嘲が混ざり合う。
 思わず手を差し延べる曹植だったが、その手が触れるより速く曹丕の腕に掻き抱かれた。

「兄上!?」
「何も言うな」

 首筋に鼻先を埋める曹丕が、小さく言った。
 命令よりも、懇願に近い。

「何も、言うな」

 背骨が軋むほどに締め上げられてくらりと霞む視界を振り払い、曹植は久しく触れていなかった曹丕の背中に恐る恐る腕を回した。

 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ