三國無双
□悔恨ニ溺レル
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彼があれほど冷ややかな眼をするようになったのは、一体いつ頃からだっただろうか。
卞夫人の第三子として生を賜った曹植にとって、長兄に当たる曹丕はあらゆる才知に富んだ自慢の兄であった。
曹丕の方も、魏王の嫡男として産まれた身の上を自負して冷静沈着に振る舞っていたが、武より詩を好む物静かな曹植の前では一人の兄として世話を焼いた。
なんだかんだと仲睦まじくやれていた筈の兄弟間が崩れ出したのは、どう思い返しても父・曹操がぽつりと零した後継についてのあの一言の所為なのだ。
《やはり後を任せられるのは子建だな》
曹丕は才知に富んでいたが、幼い頃から子供らしい愛想が無かった。
武術も勉学も誰よりも励み、誰よりも優れた存在で在ろうとしたのが仇となったのだ。
それに比べて曹植は、曹操好みの良い詩を詠む慎ましく穏やかな性格であった。
虎視眈々と帝位を狙う曹丕よりも、武力は劣るが賢明な曹植の方が好ましい。
それが、父の出した結論だったのだろう。
*****
調練場を眼下に、曹植は重い溜息をついた。
酷く気が滅入っていると自覚している。
高く澄んだ蒼穹を仰いでみても、遠い山間を眺めてみても、このどうしようもなく鬱々とした気分に向上はみられない。
「ふう…」
(こればかりは御恨み申し上げます…父上)
胸中でなければ文句も言えない我が身が憎い。
曹植は秀麗な面をきゅっと顰て、朱塗りの欄干に縋るように寄り掛かった。
「兄上…」
思い馳せるは、母を同じくする長子・曹丕であった。
幼い頃は「子建、子建」と親鳥の様にこの身を案じて良く構ってくれていた兄は、今ではすっかり政権争いの様を取っている。
あの日父が後継の話さえなさらなければ、と思ってしまうのは筋違いにも程があるのだろうが、やはりあの頃の曹丕を思い返すと嫌でもそう感じてしまうのだ。
曹丕は、幼くして努力を惜しまぬ男だった。
どこか斜に構えた風体でいながらもその努力たるや並々ならぬものであったのを、曹植は今でもよく覚えている。
実の父母にさえ弱みを晒さず常に孤高で有り続けようとした曹丕の背中は、相反してとても淋しげに見えた。
だからこそ、己だけは彼の男の逃げ場で在ろうと決めていたのだ。
彼が心身共に疲れ訪れた時には精一杯の持て成しをして、彼を慰める詩を謡った。
まだ記憶に新しい、曹丕と過ごした時間が浮かんでは消える。
脆くも崩れ去った兄弟の絆とやらは、曹植が思っていたよりもずっと細く弱いものだったのかもしれない。
「―――その様に悩ましげなお顔をなさいますと、周りの女官達が仕事の手を止めてしまいましてよ」
くすくすと笑いながら掛けられた嬌かしい声に、曹植ははっと我に還った。
その気丈に艶めく声音に、思い当たるのは一人だけだ。
「甄夫人…」
振り返った先で、曹丕の妻・甄姫が困った様に口の端を上げる。
「他人行儀ですわね、貴方になら是非とも義姉上と呼んで頂きたいのですが」
「義姉上、でございますか…」
曹植がなんと返すべきか考え跏ねていると、お隣よろしいですか?と甄姫に自分の隣を示された。
断る理由もなく快く諾う。
慎ましやかに会釈をして並ぶ甄姫の美しい横顔を一瞥して、曹植は再び景色に視線を戻した。