贈る妄想

□古人曰く、それは恋
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 あああ!!と喜びにも残念そうにも聞こえる声がそこかしこから上がった。

 かなり劣勢での鍔ぜり合いになって、力では張飛には及ばない馬超が押し負けたのだ。

 カァァンと木刀が宙高く舞って、馬超の首元に張飛の得物が詰め寄る。

「………………参った」

 実に不満げな参ったに、張飛は反面満足そうだった。

 腰に手を当てて高笑いする張飛。持ち場に戻れー!と見物客を追い払う官吏。

 調練場の人だかりが徐々に消え、外回廊の欄干から飛び降りてくる影があった。
 馬超はふと影を一瞥して、いくらか和らいだ顔付きを見せる。

「趙雲」
「惜しかったですね、馬超殿」

 女官達が騒ぎ立てる綺麗な笑顔で、趙雲は手ぬぐいを寄越した。

「俺にはねぇのか?」
「張飛殿は井戸の水でも被って来て下さい」
「なんて野郎だ!」

 酷く傷ついた顔で額に手を当てる張飛だったが、先程まで趙雲がいた回廊から劉備達が手を振っているのが見えて「兄者ぁぁあ!!」と走り出す。

 残った馬超と趙雲は互いを見遣り、ブッと吹き出した。










「馬超殿、折角の休みにどうなさったんですか?お二人が打ち合っていると、城内は大騒ぎでしたよ」

 汗を拭って一心地付いた馬超に、間合いを計ったように趙雲が尋ねやる。

 さっぱりとした肌に風が気持ちいいのか、馬超は眦を細めながら「んあ?ああ…」と要領を得ない返答。
 そんな様が面倒臭げな猫の仕種に似ていて、趙雲はやんわりと口許を綻ばせる。

「…朝目が覚めたら、そのまま眠れなくなった」
「ははっ、貴方らしい」

 俺らしいか?とどこか不服げな馬超。
 貴方らしいですよ、と繰り返す趙雲に、低く唸る。

「ただ、働き詰めの貴方にはきちんと休息は取って頂きたいんですけどね」
「休息など…睡眠さえ取れれば俺は困らん。一日あってもすることも大して無いしな」

 溜息混じりに言い切って、喉の渇きを覚えた馬超は手拭いを肩に引っ掛けて井戸へ向かって歩きだした。
 当然の様にその後に趙雲が続き、馬超もそれを気にした様子はない。






―――思えば、蜀に身を置いた時からこの男はいつも傍にいる気がする。



 水を一気に飲み干して、馬超は趙雲を眺めた。

 誰が見ても彼は精悍で美しく、その心根までもが健やかな人間だった。
 初めて逢ったときには、あまりにも己とは似ても似つかないほど真っ直ぐな趙雲に嫌悪さえ抱いていた馬超だったが、頑なに閉ざしたこの心を開いたのは他の誰でもなく彼だ。

 あの頃の自分といえば、まるで手負いの虎か何かの様に毛を逆立てて、周囲を警戒しては噛み付いていた。
 心ばかりがささくれ立って、馬岱の言葉にも素直に頷けないほど荒んでいたのだ。

 張飛を始め、多くの者が馬超を疎んじた。

 劉備にも庇い切れない言動が目立ち、追い出されるのも時間の問題かと自暴自棄になっていた時、話しかけてきたのが趙雲だった。


『私の話し相手になって下さいませんか?』


 どうせ劉備に何か言われて来たのだろう。
 捻くれた考えしか出来なかった馬超は端から相手にせず、酷く辛辣な言葉で彼を突き放したのだ。

 しかし趙雲は気にした様子もなく、また次の日も話しかけて来た。

 天気の話、城下の話、張飛が星彩に酒癖について叱られていた話。
 趙雲は返事のない独り言になろうとも、様々な話を馬超に聞かせた。


 
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