贈る妄想
□古人曰く、それは恋
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鳥の囀りにつられて目を醒ませば、時刻はまだ夜が明けて間もなかった。
もう少し眠ろう、と掛布を肩まで引き上げて瞼を閉じる。
「………………………………………………眠れん」
しかし日頃の習慣とは見事なもので、厳格に律してきた身体は二度寝を貪ることを許さなかった。
結局睡魔は訪れず、馬超は溜息混じりに息をつく。
諦めて寝台から身を起こし、窓の向こうに見える空を見遣った。
濃紺が薄い青に変わり、そこから段々と山吹色になって鮮やかな橙が溢れる。
夜明けの空は、いつ見ても心を洗うような清廉さを保っていると馬超は思う。
かつて曹操によって一族郎党を根絶やしにされた忘れえぬ地獄のようなあの日―――憎しみに心を焼かれ、一度は怒りに我を忘れた己を。
心を押し開くように訪れた夜明けに、一人涙したのを覚えている。
「―――仕事が無いと感傷に浸るな…」
緩く自嘲の笑みを浮かべ、馬超はいつもの様に城へ出向く支度を始めた。
*****
おや、と声をあげたのは、回廊の角を曲がった先に居た諸葛亮だった。
腕にいくつかの竹簡を抱え、どうやら劉備の元を訪ねる道行の様だ。
「これは馬超殿。今日はお休みでは?」
「ああ…やはりいつもの癖で目が覚めてしまってな。散歩がてら登城した」
「では、趙雲殿にも逢っていかれるので?」
何故そこで趙雲の名前が出るんだ、と馬超は目を丸くした。
そんな馬超の顔が愉しかったのか否か、諸葛亮は口許を羽扇で覆いクスクスと肩を揺らす。
「諸葛亮殿…何故趙将軍が引き合いに出されるのだ?」
「ふふふ…さぁ、何故でしょうねぇ」
穏やかでありながらどこか人の悪い笑みのまま、では、と優雅に一礼して彼は歩みを再開した。
去っていくゆるりと伸びた背中を見詰め、馬超は「むぅ…」と小さく唸る。
「何故、趙将軍なんだ…?」
さっぱり諸葛亮の言葉が解せない馬超は、一人首を傾げるのだった。
「おぅ!馬超じゃねぇか!」
城の調練場に着くと、兵士の鍛練を監督していたらしい張飛が馬超に気付いて片手を上げた。
馬超も軽く手を上げて挨拶を返し、素振りに励む兵達を見遣りながら近付いていく。
「おめぇ今日は休みじゃねぇのか?」
「目が冴えて眠れないし、やる事が有るわけでもないからな」
「はっはっはっ!休日にやる事がねぇのはみーんな馬岱がやっちまうからだ!ちったぁ手伝ってやれよ」
ガハハと笑われ、馬超は心外に思い少し顔をしかめて言い返した。
「俺が手を出す前に岱が片付けてしまうんだ。俺の所為じゃない」
「片付ける前に気付くのが甲斐性ってやつらしいぜ」
「ほほぅ…さては星彩にでも言われたな」
やり返せばぐっと息を詰まらせた張飛に、それ見たことかと馬超は溜飲を下げる。
この話は分が悪いと踏んだ張飛はすぐに話題をすり替えた。
「で?お前は趙雲にでも逢いに来たのか?ん?」
「だから何故趙将軍がそこに出て来るんだ」
「へぇ?」
さっぱり意味が解らずお手上げ、というように肩を竦めれば、張飛は意外そうに素っ頓狂な声を上げた。
「こいつは驚いた!本気で言ってやがんのか??」
「だ、か、ら。何の話だと聞いているんだ」
いい加減に頭に来て鼻先に詰め寄る。
キッと睨み付けても、張飛はへぇそうかそうかとしきりに頷くだけだ。