冥の泣きピエロ

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眼に飛び込んでくる日常離れしすぎた建造物に、千景はただ、圧倒されていた。
勿論冥界での生活が日常離れしていないわけではないが、悲しいかな人間、慣れが存在する。
冥界も、随分と突飛な世界だが、此処聖域は勝るとも劣らない。
聖戦時に聖域に足を踏み入れていなかった千景にとっては、今が敵地初訪問だ。


永遠に無くても良かったんだけど。
苦笑いを堪えきれず肩を落とした。


もう一度、十二宮を見上げる。
延々と続く無数の階段。
見るだけでも吐き気がしそう。
登るのが大変とかいう次元の問題ではない。
拷問に近いものがある、千景は内心ごちる。


戻ってはいけないだろうか。
逃げの案が脳内に浮かび上がるが、腐っても冥闘士。
与えられた任務は内容がどうであれ、遂行してみせる。
千景なりのプライドだ。
当たり前だが、モラルに反したり、不可能と己がみなした任務は有無を言わさず逃げるけれど。


頬を一度二度ピシャリと叩いた。
案外力が入ったようで弱冠涙目になる。
じんわりと滲む水を無視して、千景は階段に足を向かわせた。


しかし、それでうまくいくはずはない。
近くで巡回をしていた雑兵が槍を持ちながら千景へと向かってきたのだ。
千景は雑兵に対して顔をしかめる。
敵意が剥き出しだ。


確かに条約が結ばれてから日は短い。
しかし、これほどまでに敵意を露にするとは。
いったいどういう教育をしている聖域よ。
こちらは敵対心など微塵も面には出していないのに。






「貴様!冥闘士だな!?」


「……そうですけど、なにか。」






けして己は下に出ることはなく、ただ受け答えをする千景。
千景の態度が気に食わなかったのだろう、雑兵は千景の喉元に、槍の切っ先を向けた。
あと少しでも動けば確実に刺さる。


緊張からか汗が背中を伝う。
拭いたくも身動き一つ叶わない。


最後まで抵抗しておけばよかったかな。こんなことになるくらいなら。
泣いてしまいそうになっているのをこらえながら心の中で千景は思う。


しかし、それは任務なのだ。
途中で投げだしてはならない。
けして、後が面倒臭いから、ではない、断じて。






「……無視しないでください。」


「あ、すみません、考え事をしていたもので。」






申し訳ない、と千景は頭を下げる。
すると雑兵は慌てたように息を呑んだ。
彼の態度に千景は首を捻る。
何をそれほどまでに驚くだろうか。
自分はただ謝っただけだ。


固まって動きを止めた雑兵に声を一回かけると、大きく肩を跳ねさせた。
驚きように、千景もびくつく。






「あの、何をそんなに?」


「いや、冥闘士が謝るなどとは思わなくてだな……」






冥界と聖域の溝は、思ったより深く大きいものだった。
確かに千景は冥闘士だ。
しかし、なる以前にはただの学生。
年上に対しての礼儀は最低限弁えているつもりだったので、目の前の雑兵に謝るのは当たり前のことだった。
だが、当たり前と言えども、あくまで千景の中での話。
現実離れしている冥界や聖域ではありえないことなのだろう。




よくないよね、そういうのってさ。
溝があろうとも、今は同盟をお互いに結んでいる関係にあるのだ。
仲違いなど、いい加減無くさなければ、神自身が行動した意味がない。






「偏見持つのやめません?」


「……なんだと?」


「だからですね、せっかく条約結んだんですから仲良くしましょうよ!」






細い、到底闘士とは思えない腕を千景は差し出す。


こんな細腕で、彼女はいったいどれだけのモノを掴み、手放し、失くしてきたのだろう。
我等は幼き頃から聖域に全てを捧げてきた。
だがこの少女は…………




雑兵は己に向けられている小さな手をつかみ、上へ下へ振る。
びっくりして一瞬目を見開いた千景は、すぐに顔を綻ばせて、笑った。




きっと、自分に娘がいたのなら、このぐらいの年なのだろうな。
柄にもなく、ふと、家庭を羨ましく、雑兵は思った。






「此処って近道とかありません?」






当たり前のように問いかけてきた千景。
雑兵、ダグラットは苦笑いを零し、無いと否定をした。
そうですか、と面白いほどわかりやすく落胆を見せた千景は、やはり、年相応だった。







The ditch is buried among them
(彼らの間で溝は埋まる)

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