冥の泣きピエロ
□12
1ページ/1ページ
その日、ジュデッカの空気は限りなく刺々しかった。
殺気を微塵にも隠そうとせず放出しているのは、天英星バルロンのルネだ。
向けられているのは従うべきであるハーデス、そしてパンドラ。
気だるげにルネを見やるハーデスに、ますますルネの怒りは上昇していく。
冥王の隣ではパンドラが座っていて、気まずさそうに二人を交互に見る。
「バルロンよ、何用で余のもとへきた?」
一触即発の雰囲気を最初に壊したのはハーデスだった。
肩肘をつくという行儀の悪い態度をされ、仕えるべき主人に対してであっても、さすがに堪忍袋の緒が限界になったルネは、豪華な装飾が施された長机を力の限り叩いた。
「わかりきったことを言うのですか、ハーデス様!私は納得がいきません。何故聖域への使者が千景なのか、説明を求めているのです!」
普段の物静かさを尊ぶ彼ははどこへやら。
声を荒々しく発しながら鋭い眼光で睨み付けるルネ。
ハーデスは彼をめんどくさそうに一瞥する。
ルネとハーデスの間の空気は凶悪さが増していき、止まることを知らない。
強すぎるオーラが充満する空間は、パンドラには居心地が悪い。かなり。
「……ルネも一度落ち着け。ハーデス様も挑発するのは……」
やっとのことで絞り出した声はか細く、震えが混ざっていた。
キュと目を閉じて下を向き俯くパンドラ。
二人の、いや、ルネの一方的な口論は一瞬ピタリと止まった。
しかしそれも束の間、怒りの矛先はハーデスからパンドラへと移った。
「落ち着け!?出来る筈がないでしょう!だいたいパンドラ様が何か言ってくださったら千景だって……」
「バルロンよ、その辺にしておかねば余とて黙ってはおらんぞ。」
地を這うかのような恐ろしく低い声色が部屋に響く。
冥王から紡がれた声を耳で受け止めたルネは、ゾワリと背筋が畏怖で粟立つのを感じ取る。
強大な神の小宇宙を滲ませたそれは、一介の冥闘士に恐怖を植え付けるのは容易い。
やはり、神と人間の差、なのだろう。
申し訳ありません、と苦々しく謝罪をし、高ぶりが治まらない感情を無理に押さえつけながら椅子に腰を落とした。
やるせなさで、一杯だ。
唇を噛み、うなだれる。
ハーデス様とパンドラ様に当たり散らしたとしても、どうにもならないと理解している。
けれど、我慢がならなかった。
千景の意思を総無視で何もかも物事を進めた目の前の二人が。
「すまなかった、これは私の責だ。千景のことを考えずに了承をした私の……」
悲しげに顔を歪ませるパンドラ。
紡がれた言葉は確実に己を責めていた。
いったいこれ以上何を言えるだろうか。
申し訳ありません、もう一度同じ言葉を言ってから、力無くルネは椅子の背にもたれ掛かる。
「……けれど腑に落ちない点があります。何故使者に千景を選んだのか、その理由が私にはわからない。」
極力落ち着きながらパンドラにルネは問いかける。
すると彼女は、困ったような不思議な笑みを浮かべた。
ルネは怪訝な表情を分かりづらく露にしつつも、次の言葉を待ち続ける。
「クラウンは変化をもたらした。ならば聖闘士等とも他の冥闘士よりは争いはないだろう。余はそう考え使者をクラウンに任せたのだ。」
パンドラの返答を待っていたはずだったが、実際に答えたのはハーデス。
慌ててそちらを向くと、無表情に近い冥闘士の主。
だが纏っている小宇宙は、聖戦時に比べると、微弱ながらも冷徹さが抜けている。
ああ、当たり前だ。
ハーデス様が何も考えずに千景を使者にするはずない。
目的があってのことなのに。
己の浅はかさに落胆の色をルネは見せた。
グシャと髪を痛いくらいに掴んだ。
きっと自分のこんな姿をみたら、彼女はなんて言うだろう。
「せっかく綺麗な髪なのに、乱暴したらダメだって!!」
考えただけで、会いたくなった。
少し傍にいないだけで、こうも不安になるなんて。
自分は小さなあの彼女に依存しているのかもしれない。
フ、とルネは自嘲の笑みを浮かべた。
そのあとに、冥王と漆黒の女性を真っ直ぐに視界に写す。
たとえ反対されようとも、決めたのだ。
絶対に、覆さない。
決心を固く、ルネは口を開いた。
「私も、聖域に行かせてもらいます。」
真剣味を強く帯びた言葉に、二人はただ、バルロンを見つめるしかなかった。
その目は、何を言われようとぶれない、やはり強い目。
バルロンにとって千景は、他人が思う以上に大切なのかもしれない。
他人が計れることでは無いが。
Let's go to your origin
(君の元へ行こう)