冥の泣きピエロ

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カノンが消えた場所を、焦点の合わぬ目で見つめるも、己が今やるべきことを思い出した千景。
千景がするべきは、この長い十二宮を登りきることだ。
双子座を気にしていたらキリがない。
未だ気になる気持ちをかぶりを振ることで霧消させ、幻覚を消滅させたことで見えた出口に向かって歩き出した。




まだ先は、遠い。









双児宮を出てから、幾らか時が経った頃、千景は巨蟹宮に足を踏み入れた。
その瞬間、身体中に纏わりつく、嫌な空気。
その宮内に充満する雰囲気は、冥界にとてもよく似通っていた。
明確な死の香りが、此処には存在している。






「なんで、冥界に似てるの?」






聖域に、負の気配が有るなんて、千景は想像だにしなかった。
記憶の奥にゆらつく小さな欠片を手繰り寄せながら慎重に記憶の糸を繋げていく。




思い出した。
声に出さず、心のなかで思う。


四番目の宮である、此処巨蟹宮の守護者は、蟹座だ。
確か蟹座は星座にあるプレセベ星団と関係してこの世ならざる力を操る聖闘士だったはず。


星空に浮かぶ蟹座。
そのほぼ中央部に位置するプレセベ星団。
別名を『積尸気』という。
積尸気とは、屍体からあがる燐気を指すらしい。


つまり、冥の力を操りし蟹座の聖闘士が守るこの宮は、冥界により近い位置にある。
だからだろう。
あの独特の、呼吸すら奪うかのような不快な空気が満ちているのは。


ゆっくりと瞼を下ろし、気を集中する。
宮内に小宇宙はない。
双児宮では油断したことを教訓にし、千景は誰かがいないかを調べる。
何度繰り返しても反応がないようだ。
蟹座の聖闘士は、今この場にはいないのだろう。


いない人間に許可をとりようがない。
判断をした千景は、この陰気くさい場所から一刻も早く出たかった。
冥闘士だからって平気なわけではないのだ。
千景はむしろ苦手だった。


纏わりつく空気に顔をしかめ、千景は出口に向かった。
しかし、踏み出した足は床の硬い感触に触れることはなく。
代わりにグニャリとした、不気味な柔らかさが足を伝う。


首に汗が一筋流れる。


視線を下に向けた。






「ヒッ!!何、これえ!?」






千景が見たもの、それは床いっぱいに広がった人の顔だった。
床の石が何らかの力によって、人間の顔に変化しているのだ。


現実離れした状況に、思わず泣きそうになる千景。
ただ突飛な状況ならば涙腺は緩んだりしない。
だがしかし、今の宮内の様子では、納得がいくだろう。


千景は正直なところ、冥界が大嫌いだ。
仲間が嫌い、主が嫌い、というわけではなく、冥界自体が生理的に受け付けない。
亡者の悲鳴やら呻きが耳を潜り、腐敗臭が籠るあの世界が嫌なのだ。
太陽、光のある世界にいたいのだ。




カチカチと音をたてる奥歯。


怖い。
恐怖が千景の足を引き留める。
行かなければならない。
しかし動かない。




ギュッと身体を抱きしめて小宇宙を高める。
フワリとした柔らかい温かさが千景を包み込んで、幾分か気分が良くなった。
ホッと一息ついてから、千景は宮の中を全速力で駆け抜けた。
グニャリグニャリと動かす度に伝わる不快感は気にしてられない。






「キモいキモいキモいキモいいい!!」






叫び声をあげながら巨蟹宮の外へと出た。
安心感からか、足は震えて立てない。
腰が抜けたのかもしれない。
情けない。


わかりやすく落胆を見せた千景の背後から、クツクツと至極可笑しそうに笑う声が聞こえた。


反射で勢いをつけて後ろを向くと、ルネと同じ銀髪があった。
長さは全然違っているし、あの気持ち良さそうなサラサラ感はなく、むしろ刺さりそうな髪。


紅い、血の色が、千景を真っ直ぐに見ている。


目がひきつけられて離れようとしない。
しかし、直感でわかった。


危険だ、この人は。
僅かであるが、死臭がするのを千景は感じ取る。


ああそうか。
この人は、多くを殺めてきた。
だから宮内が憎しみ、憎悪に溢れていたんだ。




知らぬ間に後退りをしていた自分がいたことに驚く千景。
蟹座の聖闘士はもちろん気づき、小馬鹿にするように鼻で笑い、尚且つ。






「逃げ腰ねえ、臆病者ってか。」






本当にバカにされた。
フツフツと千景の中で怒りのボルテージが増していく。
無意識に小宇宙も比例して高めているようだ。


己に向けられているであろう小宇宙を感知し、冷や汗が流れた蟹座の聖闘士もといデスマスク。
ヤバくねえか、俺。

予想外な千景の小宇宙の規模に、命の危機を感じ取った。




自業自得だろうが。






Death is fragrant
(死が香る)

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