冥の泣きピエロ

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教皇宮を静寂が包み込む。
誰一人として、身動きも音もたてずにただ立ち尽くす。


いったい、何が起こった?
二百数十年生きてきた教皇、シオンですら、初めてなこと。
狼狽える以外に何が出来るというのだ。


ただ唯一判明しているのは、少女千景に作用した力が人外によって行われたということのみ。




二人の闘士にとって、大切な存在が消えた。
闘士は、一言も漏らすことなく、音静かに崩れ落ちた。
静かなる空間を引き裂いたのは。






「自業自得、と言えるのかまたは否か。」






金糸の長い髪を揺らし、優雅且つ颯爽と姿を現したのは、乙女座のシャカ。
その後ろには、なんたることだろうか。
冥界を統べる王、ハーデスの存在も見受けられた。


突然すぎる登場に、息することすら躊躇われそうな空間の雰囲気。
たとえ敗者であろうが一介の神が今此の場にある。
ただそれだけで闘士等は畏怖を覚える。


当たり前のことだ。
神と人は似ても似つかぬのだから。






「異様な小宇宙を感じてから、クラウンの小宇宙も消えた。」






冷たく淡々とした声色は、酷く反響を続けた。
二度三度反射を繰り返し、ついにぞ宙に融けいく。


何故だ。
冥王の問いに答えるものはいない。
真実を語るのが躊躇われるほど不可解且つ奇妙。
不安定要素が凝縮したような、あの現象を告げてよいものか。


三巨頭が一人、グリフォンのミーノスも、主君の考えは理解できない。


ことが穏便にすむとは到底思いがたいが。
柔らかな動作でハーデスに向かい頭を垂れるミーノスの薄く整った唇が動き始める。






「申し訳ございませんハーデス様、我等も事を把握しておりません。ゆえに。」






続きが音になることはなかった。
言葉にせずとも主は理解していると予想したから。


ミーノスの予想通り、目を僅かにハーデスは細めて、重苦しいため息をついた。
顔には解りづらくとも諦めに似通った感情がありありと刻まれている。


人間に絶望した諦めとは異なる、嫌々運命を受け入れた。
そんな感情。




なんだ、それは。
諦めを確かにハーデスから感じ取った氷河は、ふつりと怒りが沸き起こる。
千景さんが傷ついたのが、絶望するのが仕方ないということなのか?


ギリと音をたて、奥歯同士が擦れた。
傷ができたわけではないのに、痛みを感じてる。
そんな気がして。



自然と小宇宙が高まるのは、しょうがなかった。


もはや制御が利かない。
聖闘士としてあるまじき行為だ。




けれど、それでも。
抑えることが叶わないのは、彼女が大切だから。
表しきれないほどに。






「氷河、君は……」






瞬は思う。
千景さん、どうして消えてしまったの?
貴女を必要としている人たちはいるのに。
決断が早かったんじゃないですか?


次元を越え、今は姿なき少女に訴えかけたところで、無意味。


いや、急くのは待とう。
彼女が纏っていたクラウンはハーデスの配下。
冥界を統べし彼が何も知らないはずがない。


口にするのが酷く躊躇われ恐ろしいけど。
大事な兄弟のためなんだ!






「ハーデスは、何か知ってるんだよね。」






教えてよ。
神に対して、きっと僕は無礼をはたらいてる。
それでも、構わない。




意外にもハーデスは瞬の言葉に不快を覚えることはなかった。
むしろ聞いてほしくなかった、と驚愕が教えている。






「我が依り代であったアンドロメダよ。それを聞くか。」


「それって、どういう意味なの?」






これ以上は深いるな。
目を伏せたハーデスの意志はこうだろう。




でもそれって逃げてるだけだよ!
納得できるわけない。






「私も詳しくお聞かせ願いたいです、ハーデス様。」






拳を痛いほど握りしめ無言を貫いていたルネが、重くも口を開く。
堅い意思を伴う口調で。


未だ顔を上げず石床を射抜かんばかりに見つめる彼は、自分と同じくらい、やはり千景さんが大切なのだ。


千景さんを真の意味で大切に思っているのは自分だけだと確信していた先ほどまでの己を、氷河は酷く恥じた。






「確かに消えた冥闘士の少女が気になるのは私も同じだな。」


「シャカ、お前は……」


「君もわかっているはずだサガ。今三界に必要なことを。」






秩序を重んじるあまり、彼の少女を軽んじるなど、言語道断。
教皇、貴方もお戯れが過ぎたのでは?


反論できぬのは、最も神に近き男の言葉が正しいから。






「永い時を私は生きすぎたのかもしれんな。」






己の退屈をまぎらわすためだけに心が傷ついた千景は、今何処にいるのか。
心配する権利すらないというのに。


教皇と言えど、所詮は人。
自嘲の笑みを漏らしたシオンに、誰一人として言葉をかけることは叶わなかった。
勿論、ハーデスでさえも。







To the girl who not is now
(今は無き少女へ)

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