冥の泣きピエロ

□25
1ページ/1ページ




逃げたい。
無数の目を突き刺さるように受けながら、千景は震える身体を叱咤した。
逃げたところで何になる?


誰のためにもならない。
誰も納得しない。
己のためにも一片たりとも足しにはならないのだ。




しかし身体の震えは千景の意志に反して止まらない。
どうしよう、こんな弱虫イヤだ。


ギュッとクラウンの服の端を然り気無く掴んだ。
それを咎めることなく、むしろ労るように傍へ引き寄せてくれるクラウンの優しさに溺れてしまいそうで。
依存をしてしまいそうで。


突き放してくれればいいのに、なんて思いもしないことをそっと心の奥で呟いた。




大丈夫、私が君を突き放すわけがない。
脳に直接響いた声は確かに自分の傍らに立つ男の声。
嗚呼、甘えてもいいのか?


涙が溜まりそうで。


ありがとう。
出したはずの声はあまりに頼りなく、虚空に溶け込んだ。






「私が何故至高なる存在なのか、だったかな。」






千景には見せたあの宇宙と表現してもおかしくはないであろう瞳を固く閉じたまま、言葉を紡ぐ。
円卓の間に響き渡る声音は、途方もない威圧が滲み出るようで。
クラウンをけして僅かも信用出来ないでいた闘士にも、その強さはしかとわかる。


深淵深くより昇るような底つかぬ小宇宙はヒシと身体を締め付けるようで。




これぞまさしく神だ。






「クラウン、そなたはいったい?」


「クスクス、そう焦ることはないさ。」






隠された秘め事はゆっくり紐解くのが相応しいだろう。
けして笑みを消さぬまま、ただ闘士たちを見据える。


己に向けられるこの視線は、何という感情が混ぜられているのか。
その種類が多すぎて、正確には把握できそうにはない。


する必要も無いのだが。




ガタン!
鈍い音を奏で倒れたのは氷河が座っていた椅子。
無機質な音が、木霊して、消える。






「勿体ぶるな!俺は、俺は……!」


「君は千景に好意的な感情を持っているようだ。そう、姉のような、ね。」


「黙れ!」






挑発するように氷河に問いかけたクラウンに、少年はわかりやすく激情する。
クールを信条としていても、完全に感情をコントロールなんて出来はしない。


悔しそうに歯を食いしばる様子を見て、千景は歯痒さを感じた。


何か言葉をかけたいのに、何を言えばいいの?
言う権利が、資格が私にはあるの?




千景の思いを感じ取ったかの如く、安心させるように手のひらを頭に置いた。






「そろそろ焦らすのも止めようか。」






そう、何時までも真実を覆っていれば、何の解決にもなりはしない。


意を決した表情を全面に出し、千景の前でのみ披露したその眼を開く。
キラリキラリと輝く様はまるで超新星。
星が生まれるようだ。






「私にはね、原初の、始まりの記憶があるんだ。」






己が神であったときのね。
淡々と重大な事実をあまりにも淡白に述べるものだから、つい流してしまいそうだ。


原初、神の記憶。
この言葉はクラウンが神であったことを表す。




クラウンが神なんて、信じられるはずがない。
得体の知れない者が、敬うべき神なんて。






「信じられるか!貴様が神だと!?」


「氷河くん、ダメ!」






クラウンを庇うように千景が前へ立つ。


あり得ない、何故そいつを庇うんですか?
痛いほど千景に問いかける呆然とした少年の眼に、心が軋みをあげる。


ごめんね、クラウンの言ってることは本当だから。
肩を竦め項垂れる。






「クラウンの言ってることは本当。だから静かに話を聞いて?」






力なく苦笑いを零した千景に、彼女を慕う氷河が反論できるわけもなく、ましてやそんな表情を見せられては、出来るものも出来ないということ。


ごめんね、なんてまた言われでもしたら、ただ唇を噛み締める他ないのだ。






「私が信用するに足りないことは、己がよくわかっている。だがね、私は真実を述べる。」






真っ直ぐ闘士たちを射抜くように見据え、クラウンは躊躇いがちに口を開いた。






「私は、全ての始まり混沌、つまりカオスの転生体なんだ。」






シン、と形容し難い静寂が辺りを包み込む。
まさかクラウンが最もギリシア神話で誉れ高き神だと、誰が予想出来ようか。


脳が拒否らしき反応を起こし、正常に働かないのだ。




そんなはずは、と一抹の希望にも似た感情を視線に託しながら少女をすがるような思いで見た闘士たちに、千景は曖昧に微笑んでみせた。
紛れもなく冗談ではないと語っているのは瞭然で。


見開かれていた眼を狐のように弧を描かせたカオスの転生体は、いつもの笑みを浮かべ、ただただ千景の横に立っていた。







The abyss is nothing but deep
(深淵はただ深く)

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ