冥の泣きピエロ

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「あらあら、流石は混沌に君臨せし御方ね。」






パチンと何かを切る音が木霊した。
断ち切られた糸はだらり情けなく垂れ下がる。
断ち切りの音以外にもカラカラ紡ぐかのような音が響く。
どちらの作業をする指も繊細であり、女性だということが簡単にうかがえる。


くすり楽しげに言葉を音へと乗せた女性の手には鋏がしかりと握られていて、今この瞬間にも糸は次々切り落とされる。
ひどく単調に思えるこの作業だが、女性にとっては愉快極まりない。
あらゆるものの運命をこの手に握っている、不快であるわけがなかった。






「アトロポス、お止め。」






諫めるように断ち切る女性、アトロポスに声をかける女性の掌には無数の糸束が。
秒単位に誕生する生命に糸の一本を割り当てるのが彼女、ラケシスの仕事だった。






「いやだわあラケシス、別に良いじゃない。やるべきことはしているもの。」






軽口を叩きながらもアトロポスの手は止まることを知らぬように動きをやめない。
ハァとラケシスがため息をつくのがわかった。


二人、二神が話をしているなか、一向に口を開かない最後の一人は作業をしつつも顔を俯かせる。
ラケシスとアトロポスからは見えないであろう瞳は何かに酷く揺らぐ。
まるで誰かの身を案じるような、それでいて悲しげな。


はたりとラケシスが沈んだクロトに気づく。
口を頑なに開かないその様子に不信感を抱いたのか眉を寄せる。


ある一人の少女によって、クロトは変わってしまった。
少女千景をはっきりと瞼の裏側に思い出し、苦く顔をラケシスは歪ませた。
たしかにあの少女は己らが選んだ者ではあるが、ここまで影響力が強いとは。
クロトだけではなく、あのカオスさえも惹き付けてしまう。
純粋に恐ろしいとさえ思わせてしまう、何か。
悪い子ではないだろう、むしろ己らに弄ばれた彼女は可哀想だ。
言えるセリフではないけれど。


予想外、ただ予想外。






「クロト、何を思い詰めているの。」


「ラケシス、別に私は。ただ……」


「ただ、何?」






グッと唇を強く噛みしめ、クロトは黙りこくる。
その消極的な態度は、アトロポスの機嫌を損ねるには充分過ぎるほどだった。


がしゃっと鋭い音をたて、鋏が床に落ちる。
拍子に糸もばらばら手から滑り落ちて。
ああ落としてしまったと己の失態を振り返る様子すら、有りはしない。






「いい加減にしなさいよクロト!たかが人間の小娘風情に現を抜かすとは!」






貴様は神としてのプライドを忘れたのか!


抗い様のない衝撃がクロトの身体を貫く。
こほ、と咳き込めば胸辺りが異様な軋みを奏でる。
ああ痛い、これよりも更に酷い痛みを彼女は肉体的にも精神的にも受けたのか。
それを思えば、痛みなど感じない。
痛覚が麻痺していくから。


崩れ落ちそうになる身体を何とか持ちこたえさせる。
その行動がますますアトロポスの勘に障る。






「クロト、お前何故……!」


「貴女にはわかるはずもない、アトロポス。貴女は見下している、人間も他の神すらも。」


「それがどうしたというの、ゼウスですら私たちには抗えないのよ!」


「その考えが間違っているとは貴女思わなくて!?」


「っ、それ……は。」






アトロポスの軽薄さには前々から迷惑を被っていたが、クロトが激情し声を荒げる様を初めて見る。
アトロポスに対してするつもりであった注意など、脳の奥深くへと追いやられる。


クロト。
声を出したはずのそれは、成立しない軟弱さ。






「私はただ、千景が。笑うあの子が愛しくなってしまっただけ。」






祈るように呟かれた言葉は、遠く離れた千景に届くはずもなくて。




千景の運命の糸と、全能神ゼウスの糸が静かに絡まるだけだった。







The end is an after all signal of the start
(終わりは所詮始まりの合図)

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