排球

□ミッドナイト・ブルー
1ページ/2ページ

 12月。
 都内の総合体育館は、大勢の観客で賑わっていた。
「翔陽、こっち!」
 客席で、バレー部の友人が手を振っている。増える人波をかき分けて、日向は仲間たちと合流した。
「悪い、間に合った?」
 全速力で自転車をこいだせいで、冬なのに暑い。日向が上着を脱いで息を整えた頃、中央のコートで試合開始の音が響いた。それに誘われるように、日向の意識はコートの中へと惹きつけられていく。
 全日本インカレの準決勝戦。勝ち上がってきたのは、いわゆる強豪として知られる大学だ。選手も全国から集められた逸材が揃っていた。
 その中でも、日向の目が追い続けているのはセッターだった。一回生ながらコートに立ち、今大会でも注目されている選手だ。
 個人の基本能力が高いのも確かだが、その個性を活かす絶妙なトス。最適な速さや高さを一瞬で実現し、攻撃が決まる度に会場が沸いた。
「同じ一回生なのに、すごいなあのセッター」
「翔陽、高校一緒だったんだろ?」
「えっ、そうなの?」
 口々に飛び出す仲間の言葉に、日向はただ頷くだけだった。答える時間を惜しむほど、目の前の試合に集中していた。
 点を入れた時も、また入れられた時も、チーム全員が迷いのないプレーをしていた。日頃の練習で培われた連携は、多少のことでは揺らぎそうもない。
 自身と互いへの信頼が、そこにはあった。
 
 セッターの名は、影山飛雄。
 去年まで烏野高校で、日向と三年間共に戦った『相棒』だった。


 帰宅後、影山はいつも通りのトレーニングとストレッチをこなした。  
 夜も10時を回った頃、ベッドの端にもたれ、ヨーグルトドリンクを飲み干した。スマホを手に取り、何か思いを巡らせるように、画面を見つめている。
 準決勝を勝ち終えた瞬間、嬉しさと同時に、浮かんだ面影があった。
(…二回戦負けっつってたな、あのボゲ)
 メールでは明るい文面だったが、カラ元気だと予想がついた。
 大学に入って、初めての全国大会。対戦したら絶対勝つと言い合っていたが、それは叶わなかった。
 一生懸命やった末に、負けるということの気持ちを知っている。だからこそ、安易な慰めを口にする気にはならなかった。
 画面に表示させた電話番号に、指で触れようとした時。
 突然、部屋のインターホンが鳴った。

 その鳴り方は異様だった。ボタンを押したり離したりする間隔が不規則らしく、急かすように繰り返し鳴ったかと思えば、パタッと止んだりした。
 影山は眉をひそめた。酔って帰宅した住人が、部屋を間違えでもしているのかも知れない。
(…めんどくせー)
 とりあえずドアの除き穴を見るため、玄関に近づくと、
 ドンドンドン! とドアを強く叩く音がした。
「うるせーな」
 こんな騒がしい泥棒はないだろうが、厄介な予感がする。
 外にいる来訪者は待ちきれなくなったのか、今度は大声を上げた。
「かーげーやーまー! おれ、おれー!」
 除き穴で確認するまでもない、影山がよく知る声。しかし普段より張りがなく、どこか間延びした口調だった。
「おれおれって、詐欺かこのボゲ日向」
 言いながらドアを開けると、
「サギじゃねーもん!」
 ふくれっ面の日向が立っていた。高校三年間でほとんど背は伸びず、小柄なままである。
「…酔ってんのか、テメー」
 日向の赤い顔、吐息に混じったアルコール臭。更によく見ると、頬に小さな擦り傷もあった。
「酔ってねえ!」
「その答が酔っぱらいだっつーの。それにお前、顔どうした?」
 思わず日向の顎を掴んで、傷を確認する。冬の夜の澄みきった寒さにも関わらず、その頬は熱かった。
 すると日向は何をどう勘違いしたのか、
「影山、ちゅーしよ? ちゅー」
 目をつぶって口を尖らせて逆に迫ってくる。
「なっ…するかボゲェ! どうしたって聞いてんだよ!」
 慌てて影山が頭をはたくと、日向はむくれて、
「…チャリこいでて、こけた」
「どんだけ飲んでやがる。しかも飲酒運転とはいい度胸してんな、未成年」
 影山は呆れながらも、一抹の違和感を抱いた。大学生になったとは言え、日向はいたずらに酒を飲む方ではない筈だった。
「おれもう19だもん! 影山こそまだ18のクセに、エラそーにすんなぁ!」
 夜中にいきなり押しかけてきて絡まれるのは、面倒この上なかった。厄介な予感は、酔っぱらいの相手をさせられるということだったらしい。
「テメーがボケてるからだろ。とにかく、うるせーから中入れ」
 影山は問答無用で日向の手を取り、室内へと押し込んだ。

 
 影山の部屋は洋間のワンルームで、ベッドやテーブルなど必要な物だけ置いてある。高校時代から使っていた家具をそのまま持ち込んでおり、実家と変わらない雰囲気だった。
「…ったく、何でこんなこと…」
 酔い冷ましに、台所で熱いお茶を煎れた影山だったが、日向はいつの間にかうつ伏せで影山のベッドを占拠していた。
 頬の擦り傷にと渡した絆創膏も、テーブルに放ったらかしだ。
「おい日向、勝手に寝んなコラ!」
「…寝てねーもん、影山のバーカ」
 むにゃむにゃとハッキリしない口調に、怒るのもアホらしくなった。
「お茶やんねーぞボゲ」
 影山はさっきと同じように、ベッドを背もたれ代わりに座る。すると、背後で日向がのろのろと起き上がった。
「ほらよ」
「サンキュ…」
 日向はベッドの上で三角座りになり、マグカップのお茶をすする。落ち着いたのを見計らって、影山が訊ねた。
「で、何でそこまで羽目外したんだよ」
 日向は膝小僧を見つめて、一つずつ記憶を辿っていった。
「お前んとこの試合、観に行ったんだ。バレー部の皆で。その後、近くのお店入ってさ」
「ちょっと待て、お前あそこから自転車で来たのか?」
 影山は驚いて、背後の日向を仰ぎ見た。会場からここまで、電車数駅分の距離はある。
「…烏野の時に比べたら、大したことない」
 日向の横顔は少し寂しげに見えた。烏野という単語に、懐かしさと同じだけの遠さが込められていた。
 だが一瞬おいてから、大事な忘れ物を思い出したというように、日向は顔を上げた。
「…急に来て、ごめん、影山。明日、決勝だよな? 頑張れよ」
 そう言うなり、おもむろに日向はベッドを降りようとした。
「どこ行くんだよ。まだ話終わってねえぞ」
「帰る」
「は?」
「おれが居たら、お前の邪魔しちゃうだろ」
 相変わらずふらつく足取りで告げる日向。影山は反射的にその腕を掴んでいた。
「今更何言ってんだ。そんなんで帰せるか。自転車もマトモに乗れねーくせに」
 図星を突かれ、日向は振り返って影山を睨む。だがその目は充血し、潤んでいるように見えた。
「じゃあ電車で帰るもん。だって明日は大事な試合じゃんか。おれのせいでお前の足引っ張るのは嫌だ!」
 この酔っぱらいが。影山の胸に苛立ちがこみ上げた。一人で浮き沈みしたかと思えば、今度は要らぬ気遣い。人を振り回すにも程がある。
 影山は無言で、日向を強引にベッドへ引き戻した。足に力の入らない日向の体が、スプリングの上で軽く跳ねた。
「何すんだよ!」
 尻餅をついた格好の日向に、
「テメーが足引っ張った位で、俺が転ぶ訳ねーだろ。このボゲ日向。今日は泊まってけ」
 影山は腕組みして見下ろしながら言い渡した。まるで決定事項だというように。
 夜中に自転車で転びながらもやって来た日向の行動に、理由がないとは思えなかった。このまま帰してしまう方が気がかりで、却って集中を妨げられるだろう。
「でも…」
 まだ納得しきれない様子の日向だったが、
「嫌だっつっても帰さねーからな!」
 影山は迷わずそれを一蹴した。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ