排球

□草原で、きみと
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 川沿いに続く土手は、地元でも人気のランニングコースである。
 朝の混む時間帯を外したせいか、青天にも関わらず人はまばらだった。
 午前中の澄んだ空気が、暑いものへ移り変わろうとしている。
 影山が草むらで、ジョギングのためのウォーミングアップを行っていると、
「かーげーやーまー!」
 大きな声と共に、斜面を勢いよく駆け降りてくる靴音。
「!?」
 影山が振り向くと、太陽を背に飛翔する黒い人影が見えた。次の瞬間、人影は勢いよく影山に体当たりした。
「日向っ?」
「おっはよー!」
 背後から影山に抱きついて、日向が屈託のない笑顔を覗かせた。
「影山もトレーニングか?」
 休日のため、お互い私物のジャージ姿。毎日会っているのに初めて見るようでもあり、どこか新鮮だった。
「見りゃわかんだろ」
 影山は日向の明るい瞳を眩しく感じて、目を逸らせた。
 日向はそんな反応など気にする風もなく、
「かぶんなよ」
 影山の腰にくっついたまま、からかうように言う。
「おめーだよ。つーか、いつまでひっついてんだよ」
 振り払おうとする影山だが、日向は構わずにでろんともたれかかった。
「だって、絶妙なフィット感なんだもん。…嫌?」
 日向は開き直りつつ、最後だけおずおずとした訊き方になっていた。
「俺はクッションじゃねーぞ。それに…」
 珍しく影山が言葉を詰まらせた。続きが空にでも浮かんでいるかのように、視線を宙にさ迷わせて。
「それに?」
 迷う影山を導くように、日向が続きを促した。
「嫌っつーか、反応に困んだよ。慣れねえし、どうすりゃいいかわかんねえだろ」
 いつも恐がられる位、堂々として愛想のない影山(日向目線だが)。同年代最強のライバルが抱く悩みとしては、ある意味衝撃だった。
「影山、意外に可愛いとこあんだな〜。恐いカオして」
 見かけは狂暴だが、中身は可愛い犬を見るようで、日向は微笑ましい気分になった。
「うっせー!! しかも顔は余計だっつーの。誰とでもじゃれるテメーと一緒にすんなよ」
 日向に可愛いと言われたのでは終わりだ。影山は威嚇するように怒鳴った。
 日向はスキンシップを自然にこなしてしまう。部活では西谷や田中といった先輩たちに可愛がられているし、クラスメートともじゃれ合う姿を見かける。
 タイプが違うと言えばそれまでだが、影山はそういったことはしない方だ。自分からしたことも、されたこともほとんどない。日向とのケンカで手が出る位だった。仮にされても、どうすればいいのかわからずに固まってしまう。バレーのことなら発想はとめどなく広がるのに、こういう問題はからっきし駄目だった。
「影山さ、深く考え過ぎなんじゃないの?」
 日向がちょっとの間、何やら考えて、そう言った。
「あ?」
「どうするのがいいって言うより、自分がどう感じて、どうしたいかじゃない? 嫌っていうのも一つの反応だろうし、わかんないならわかんないで、いーじゃん」
 日向がまっすぐな瞳でそんなことを言うので、影山は思わず唸った。
「お前、それはナチュラル過ぎるだろ…」
「とにかく、こういうのは直感! フィーリングが大事ってこと!」
 日向はえっへんと自信ありげに胸を張った。
(コイツはそれで合ってるか知らねーけど)
 人の性格はそれぞれで、羨むつもりはない。ただ、もしそうやってすんなり人の中に入っていければ、どんなセッターになれるだろうか、とは思う。
「それから!」
 納得しきれない影山の胸を射るように、日向が言葉を続けた。
「おれだって、誰とでもじゃれる訳じゃないぞ。そうしたいなって思う相手だからするんだよ」
「………」
 日向の口調がごく自然で、迷いがなかったためスルーしかけたが、
(…俺にもそうしたいってことか…?)
 小さいけれど、重要な何かのかけらを見つけてしまったように、影山の胸に引っ掛かった。
「ま、急に言っても困るよな」
 しかし日向は影山の背中から離れ、宥めるような笑顔を浮かべた。
「嫌ならもうやんないから、安心して…」
 どうしてか、このままだと日向が遠くへ行ってしまう気がした。そしてそれが、とても嫌だった。
 離したくない。
 無意識というか、反射に近い速度で、気がつけば影山は日向の腕を掴んでいた。
「……っ」
 お互い一瞬何が起こったかわからず、目を見開いた。
「…影山?」
「…何でもねえ…」
 影山は慌てて手を引っ込める。我ながらあまりに不器用で、無格好な反応の仕方に思えた。
 日向はそんな影山をしばらく見つめて、
「影山…」
「…何だよ」
 妙な気まずさだけが残った。もうさっさとジョギングして、この場を終わらせてしまいたい。そう願っていたが、
「おれの胸に、飛び込んで来ーーいっ!」
 日向はいきなりそう叫ぶと、実際には自分が影山の胸にダイブした。
「おいっ!?」
 避ける間もなく、影山は日向を抱きとめて草むらに沈んだ。二人分の重みで、大小に伸びた夏草が薙ぎ倒される。
 緑の匂いがすると思った先には、日向の満面の笑顔があった。
「…お前が飛び込んでどうすんだよ」
 日向より大きくて重い影山が、その胸に飛び込むというのも無理はあるが。
 日向は影山の上に乗っかったまま、
「へへ、何かスゲー嬉しくなっちゃって」
 もし機嫌のいい猫が笑ったら、こんな顔になるのかも知れない。
「おれ、一度お前とこういう風にじゃれてみたかったんだ」
「何だ、それ…」
 影山は口ではそう言ったが、胸の中は驚きの感情が波打っていた。
 言葉以外でも、自分の気持ちを伝えられるということ。
 表しても良いのだと。
「…影山、遊ぼ?」
 耳許で囁く日向を見ると、無邪気な瞳がすぐ傍できらめいていた。つられて、影山の口も微かに綻ぶ。
 日向がいたずらっぽく、影山の脇腹を指でちょんとつつき始めた。くすぐろうとしているらしいが、どうにも下手だった。
 影山はそんな日向の手を取って、感触を確かめるように握った。思ったより柔らかくて、温かい。
「…小っせえ手」
 身長に比例するのかも知れない。気の赴くまま指を絡めて呟くと、日向が拗ねて口を尖らせた。
「うるさいな、いつか大きくなるんだから」
「はっ、どうだかな」
 今だってこんなに軽い体なのに。
「教えてやる。くすぐるっていうのは、こうすんだよ」
 影山はそう言うなり、空いた方の手で日向の腰辺りを責めた。
「ちょっ…影山、くすぐったっ…!」
 こそばゆさを生む指使いに、日向は身をよじって影山の胸に倒れ込む。
 笑い転げつつも、やられっ放しで終わる日向ではなかった。胸板に顔を預けたまま、今度は脇の下に手を伸ばす。
「おれだって、負けねーもん!」
「百万年早え」
 影山はどこか楽しげに言うと、一気に体勢を逆転させた。反撃させる前に、今度は日向を下に組み敷いてしまう。
「ちぇっ…」
 影山の重みで動けない日向は、悔しそうに頬を軽く膨らませる。
 そんな表情を見ている内に、影山は日向の顔に触れたくなった。
「わかったかよ」
 高飛車な言葉とは裏腹に、影山は手で日向の頬や髪を撫でていく。
「ん…」
 日向がこそばゆそうに声を漏らした。その頬はマシュマロのようで、
(もっと、さわりてえな…)
 影山は引き込まれるように、顔を近づけていた。
「影山…」
 日向は逃れようとすることもなく、ただ影山を正面から見上げている。
 そして二人の唇が重なった時、すべての音が消えた気がした。草木がそよぐ音も、鳥の鳴き声も。ただ互いの体温と、柔らかい感触だけがあった。
 ほんの一瞬でもあり、永遠のように長くも感じた。時が止まる錯覚の後、影山はゆっくりと顔を離した。
 頬をほんのり染めた日向と目が合った。自分でも、脈が早くなっているのがわかる。
「今のは遊びじゃねーけど……嫌か?」
 握ったままの日向の手が、より熱く思えた。
 日向は何度か瞬きを繰り返していたが、やがて、花が開くようにふんわりと笑った。
「影山とだったら…嫌じゃない」
 その答えに、影山は心から安堵している自分に気づいた。
 草花が見守るように揺れる中で、再び顔を寄せ合い、二人はキスを交わした。

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