排球

□キャロル(前編)
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 森の木々は、夕暮れの空を覆うように茂っていた。時折、バスの車体と擦れ合う音がする。
「ずいぶん山奥なんですね…」
 運転席の後ろに座る武田が、窓の外を眺めながら呟いた。
「まったく、よくこんな所に家なんか建てるよな」
 隣の鵜養が、座りっぱなしで硬くなった肩や腕を伸ばしている。
「でも鵜養君のお陰で助かりました。もしここが空いてなかったら、練習試合もおじゃんになるところでした」
 武田は苦心してバレー部の練習試合を取りつけた。やや遠方のため、泊まりで向かうつもりが、今度は宿泊先が見つからなかった。周辺の合宿所やホテルはどこも一杯だったのだ。
「せっかく先生が頑張ったんだ、そんな理由で潰すのは勿体ないだろ。あいつらのためにも」
 事情を知って、つてを頼りに、古い貸し別荘を見つけてくれたのが鵜養だった。その彼が目線を後ろにやると、試合を終えてひとしきり騒いで眠りこける部員たちの姿があった。
 唯一起きているのはマネージャーの清水だ。ノートとにらめっこしながら、試合中につけた記録を清書している。
 すると、バスの揺れに混じって、パキッという微かな音がした。
「?」
 清水は怪訝な表情で、周囲を見回した。枝を踏みしめて割れる音にも似ていたが、ここはバスの中である。後ろには寝ている皆と、前には先生とコーチが喋っているだけだった。
 ふと傍らの鞄を見ると、キーホルダーにひびが入っていた。花模様が彫られた木片に、小さな亀裂が走っている。
「……」
 まだ買ったばかりなのに。
 お守りにもなるという評判で、友人とお揃いで買って間もなかった。
「清水、どうかしたのか?」
 澤村が、通路を隔てて反対側の席から声をかけた。起きたばかりだったが、偶然、目についた彼女の様子が何となく気になった。
 清水ははっと顔を上げたが、
「ううん、何でもない」
 根拠もなく、不安と呼ぶには曖昧な事だ。何より、試合で疲れた皆を惑わせたくない。
 ひび割れたキーホルダーを、そっと手で覆う。
 その時、急に森が途切れて車内が明るくなる。まもなく緩やかなブレーキが利いて、バスが止まった。
 窓ガラスの先に、芝生の庭が広がっている。
 更に奥を見上げれば、青い屋根と白壁の古い洋館が、静かに佇んでいた。


 日向はその別荘を見て、青い瞳に白い肌の西洋人を連想した。外観の色のせいだと思う一方、そんな風に建物を印象づけたことがなかったため、少し戸惑いもした。
「すげーなオイ!」
 バスから降りた途端、田中と西谷が感嘆の声を上げた。
「別荘というより、もう館ですね。本当に僕らが泊まっていいんですか?」
 月島は冷静なまま、手前の鵜養に訊ねた。高校生たちの宿泊先として貸すには、立派すぎる家ではないだろうか。
「長らく借り手がつかんそうでな。定期的に管理はしてるらしいけど、たまには使ってやってくれってさ。ただし、きれいに使えよお前ら。物壊すなよ!」
 後半の台詞は、全部員に向けてのものだった。
 オッスと皆が返事をすると、それに反応するかのように、一陣の風が彼らの間を吹き抜けた。
 ざあっと何かが駆けるかの如く、森の木々が葉を揺らす。
「…何ボケッとしてやがる」
 影山が、傍らで動かない日向に声をかけた。初めて合宿所へ行った際のはしゃぎようとは程遠く、どこか不安げに見える。
 日向は真正面から別荘を仰いで、
「ここ…おれたちの他に、誰かいるのかな」
「俺たちだけって聞いてるけど、どうかしたか」
 影山が改めて問うと、日向は迷いの表情を浮かべた。が、言うまで退きそうにないと感じたのか、
「さっき、風が吹いた時にさーー」
 日向の視線を辿ると、二階の端から端まで作られた、広いバルコニーに行き着いた。
「あそこから、誰かがおれたちを見てた気がするんだ。…一瞬だけど」
 舞い上がる風の先に、黒い影がこちらを見下ろしていた。少なくとも、日向にはそんなイメージが浮かんだ。
「誰もいねーぞ」
 しかし今は影山の言う通り、人の姿はない。
「いくら古いからって、ビビり過ぎでしょ」
 日向の様子を見た月島が、呆れ顔で肩をすくめた。
「大方、風で飛んだゴミでも見間違えたんじゃないの? それとも、本当にオバケが居たりして」
 途中から山口も加勢して、日向へ冷やかし笑いを向けた。
「おれ、見間違えたりしねーよ!」
 ムッとした日向が声を荒げた時、
「ーーいる訳ねーだろ、んなもん」
 影山が月島と対峙するように立つと、小競り合いを一掃する口調で言った。
「…冗談が通じないね」
 月島は醒めた目で、それを受け流す。
「テメーもつまんねーこと気にしてねーで、さっさと行くぞ」
 影山は素っ気なく言うと、玄関を目指して歩き出した。
「ちょっと待て影山、つまんねーとは何だ!」
「そのまんまの意味だボゲェ」
「なに〜っ!?」
 聞き捨てならない言い草に、日向は気味悪さも忘れて後を追った。


「今日はどうもありがとうございました」 
 武田はにぎやかな生徒たちを微笑ましく見つめながら、バスの運転手にお礼を言った。
「いえいえ。明日の十時に、またお迎えに上がります」
 運転手は年配の男だった。日焼けした顔に人の良さそうな笑みを浮かべた後、不意にこう訊ねてきた。
「…先生、その花火はここで?」
 武田のバッグから、手持ち花火の入った袋が覗いていた。夕食後、皆で楽しもうと持ってきたのだ。
「ええ、そのつもりです。勿論、安全には充分気をつけますが…」
 答えつつ、武田はそれを聞いた運転手の顔が微かに強ばったように思えた。
「あの、どうかしましたか?」
 鵜養は構わないと言っていたが、何か問題でもあるのだろうか。
「いやあ、どうもしません。けども…」
 運転手は慌てたように手を振ったが、
「ーー夜は、気をつけられた方がいいですよ」
 低く潜めた声で、それだけ言った。
「え?」
 一体どういう意味だろう。
「あ、いや、この辺りは暗くなりますから」
 戸惑う武田に気づいて、運転手は明るい口調で言い直した。
 確かに、別荘には電気が通っているものの、周辺は森に囲まれて外灯も見当たらない。一番近いお店でも、徒歩三十分はかかると聞いた。
「じゃあ、私はこれで」
 運転手は一礼すると、武田にこれ以上話す間を与えず、バスに乗り込んでしまった。
 黄昏を背に、走り去るバス。
 ふと、武田の頭に『予兆』という単語が浮かんだ。
 意味は、未来に起こる事を示す兆し、前触れ。
 何故こんな言葉を思いついたのだろう。
 先ほどの強風は止み、森は静かだった。別荘の青い屋根に、烏が一羽とまっている。
 烏は烏野のシンボルだ。自分たちにとって、忌み嫌うものではないはずだが。
 静寂を破って、烏が鳴き声を響かせた。鋭く、胸を突き刺さんばかりの声。
「まさか。気にし過ぎだよね…」
 武田はそう呟くと、胸に生じた一抹の不安を振り切るように、歩き出した。
 

 
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