排球

□キャロル(後編)
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 鵜養たちが外に出た途端、夜空を覆う雲がきれいに晴れた。
 白い月が煌々と辺りを照らし出す。
「花火ん時の暗さが、嘘みてーだな」
 影山が丸い月を見上げて呟いた。
「やっぱり、おれたちに見つけてほしがってるのかも…うわぁぁぁ」
 隣を歩く日向が、自分で言ったことに恐くなり、腕に鳥肌を立てている。
 影山はそんな日向の様子を呆れ顔で見つめ、
「お前、恐いなら中に残っとけよ」
「やだよ、一人で残る方が恐いだろ! お前にはこーゆーの、あんまわかんないかも知れないけど…」
 日向は初めこそ威勢よく言い返したが、やがてうつむいて、か細いぼやきになってしまう。
 皆ですったもんだした末、意を決して、大木の根元を掘り返すことになった。
 だが土を掘るためのシャベルは一本しかない。鵜養がそれを使い、武田が明かりを照らす。部員たちはそれを見守るという形で落ち着いた。
 別荘の玄関から芝生の庭を越え、森の入口でもある大木の所まで。
 わずか数メートルの距離が、日向にはいやに遠く感じられた。恐怖と緊張で体はガチガチだったが、一人でトイレへ行くのはもっと恐い。
 影山は、日向の右手と右足が同時に出ているのに気づいた。
 見えないものを恐れる心理というのが、影山にはピンとこなかった。恐いという感情を知らない訳ではない。ただ、それを抱く対象が違うだけだ。
 では、自分にとっての恐いものとは何か。
 バレーが出来なくなること。コートに立てなくなること。仲間との信頼が築けなくなること。そしてーー日向が傍にいなくなること。
「…めんどくせー」
 ぶっきらぼうにそう言うと、日向の手を取った。
「………!」
 日向はギョッとして顔を上げたが、影山は相変わらず仏頂面を前に向けたまま、大木目指してさっさと進む。
 勇気づけてくれているのだろうか。まさか影山が。そう温かくない手だったが、一緒にいるという感覚に、日向は粟立つ肌が落ち着いていくのがわかった。
(こいつに力づけられるなんて、ちょっと悔しいけど…)
 まあ、いっか。
 と日向は思ったのだった。


 少女が指し示した大木は、大人が抱きついても手が回りきらないほど太かった。幹のあちこちに苔が生え、樹齢の長さを物語っていた。
(墓掘りにならなきゃいいが…)
 鵜養が強ばった面持ちで、地面にシャベルを突き立てた。ざくっという重い音。思ったより固い土だった。
「き、気をつけて下さいね…」
 武田がカンテラを掲げながら呟いた。ここまで来て何をどう気をつけろというのか、武田自身にもわからなかったが、とにかく声をかけずにいられなかった。
 部員たちは少し離れた位置から、その様子を固唾を呑んで見つめていた。
 虫の鳴き声すらしない中で、シャベルの音だけが響いた。掘り返された土が、左右に積み上げられていく。
 カチッ。
 シャベルの先に、何か固い物がふれた。
「ーー何かあるみたいだ」
 手を止めた鵜養が、低く呟いた。
「ええっっ!?」
 武田が悲鳴に近い声を上げる。すると今度は、その声に日向と東峯が体をびくつかせた。
 ーーもし死体が出てきたらどうしよう。
 武田は真っ先にそう考えた。警察呼んで、学校にも連絡しないと。きっと事情聴取もされる。皆、どれだけショックを受けるだろう。
 武田の脳裏では、心配や不安の嵐が吹きまくっていた。
 それをよそに、月島が身を乗り出して、掘り返された地面を観察する。
「…あまり深くないですね」
 月島の言う通り、穴の深さは20pほどしかなかった。
「そうだな」
 鵜養は膝をついた。今度は手やスコップを使って、少しずつ土をのけていく。
 彼は武田より多少冷静だった。この程度の深さであるなら、大それた物が出てくるとは考え難い。
 土の隙間から、くすんだブリキ色が見てとれた。
 確かに、何かが埋まっているのだ。鵜養は正体を突き止めたい思いと、それがどんな物かわからない恐怖の間にいたが、作業のスピードは上がっていく。
「ーーああ、そっか」
 月島が、この状況で一人だけ納得がいったように、小声で呟いた。
「どうしたの、ツッキー?」
 傍に立つ山口が、不思議そうに月島へ視線を向ける。
「皆の話の雰囲気から、女の子が『埋められてる』可能性の方に注目してたんだけど」
 答える月島の瞳には、鵜養の姿が映っていた。
 土が払いのけられ、取り出されたのは、長方形の箱だった。鵜養の手のひらから僅かにはみ出している、ブリキ色の小箱。
 一体どれほどの時間、地中に埋まっていたのか。金属製とみられる表面は大半が腐食していた。まるで物語に出てくる宝箱のような形だったが、小さな南京錠は、鵜養の指が触れるとボロリと崩れ落ちた。
「鵜養君…」
 武田が乾いた声を出すと、ごくりと唾をのんだ。
 それを取り巻く部員たちの表情も、驚きや緊張に彩られている。西谷がまじまじと箱を凝視する横で、東峯は恐怖で顔が青ざめていた。
 呪いの本ではなく、箱だったのか。
「こ、恐い…」
 懐中電灯を持つ手が震え、その灯りが彼の怯える顔を浮かび上がらせた。
「いや、お前の顔の方が恐いよ…」
 それを目撃した菅原は、思わずそう突っ込んでいた。
「ーー開けるぞ」
 箱にかけた鵜養の指先が、ほんの微かに震えている。それに気づいたのは武田だけだった。
 これ以上壊れないように、そっと上蓋が持ち上げられた。
「…女の子が『埋めた』可能性もあるって、思いついたんだ」
 月島の言葉に、山口は目を見開くと、鱗が落ちたようにぱちぱちと瞬きをした。
 山口自身は考えてもみなかったが、あの箱を見た今、月島の意見はあり得ることだと思えた。
 山口にとって、月島はいつもそうだった。教科書の問題を考える時も、いじめられていた自分を助けてくれた時も。常に臆さず、スマートに、山口の胸のモヤモヤを消し去ってくれる。
「さすがツッキー!」
 山口の顔に陽が射したような笑みが広がるのと、箱が開けられたのは同時だった。
 その瞬間、轟音と共に一迅の風が吹いた。
 それは、彼らが初めてここを訪れた時に吹いた風を思わせる、突風だった。
 鵜養の手にある箱の中から、黒っぽい粉のようなものが、一斉に吹き上げられた。
 鵜養があっと声を発して、咄嗟に手で掴もうとしたが、間に合わない。
 正確には、それらは紙片だった。元から細かく裂いていたのか、経年で紙が劣化した結果なのかは、わからない。
 皆、ただ空を見上げるばかりだった。誰かの掲げた灯りが、灯台の光の如く、夜空に吸い込まれる。
 紙片は風に乗って舞い上がり、綿毛のように散り広がっていった。
 森の奥へ消え去っていくものもあれば、地上へ降ってくるものもあった。月光に照らされ、金色の雪となって舞い落ちてくる。
 不思議と、包み込まれるような暖かさがあった。
 日向はそっと手を差し出して、小さなひとひらを受けとめた。
 やがてその瞳に、驚きの色が浮かび上がる。
 紙片には、馴染みのあるものが書かれていた。
 音楽の授業でいつも目にする、オタマジャクシの記号。
 八分音符だった。
 
 
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