The Blood in Myself

□第2部 峡谷の底
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 気がつくと、三景は灰色の野原にいた。見渡す限り続く空と、地面には名も知らぬ雑草が膝頭まで伸びて大地を隠している。だが、それらのいずれも本来の色を失い、モノクロ映画のような光景になっていた。
(これは、夢か――?)
 あるいは、眠りの中で『影』の侵入を許してしまったのか。三景は険しい顔つきで、周囲を見回した。
 すると、
「とうとう、篠田陸を贄にしたんだね。やんちゃん」
 背後から、聞き覚えのある声が飛んだ。
「……また、お前か」
 忌々しげに呟いて、振り返る三景。そこには、ブレザーの制服を着た少年――岡湊斗の姿を模した『影』が立っていた。
 『影』は目に見えない、重い空気をまとっていた。土気色の体から立ち上るそれは、三景の皮膚にじっとりとまとわりつくような不快感を与えた。
 『影』は左右の口角をゆっくりと吊り上げて、
「彼の血はおいしかった?」
 からかうようにそう言った。
「てめえ――」
 三景の瞳に怒りが宿る。
「贄の血を飲んで、最高の気分になったはずだよ。ぼくにはわかる」
 『影』は三景の言葉を遮り、確信に満ちた口調で続けた。
「だって、君にもぼくらと同じ、『影』の血が流れているんだからね」
「やめろ!」
 三景は激高して叫んだが、その反応は『影』をますます雄弁にした。
「贄を得たことで、君はぼくらの存在により近づいた。君はいわゆる良識にしがみついて、まっとうな人間ぶりたいんだろうけど、そんなことをしても見苦しいだけだよ。君の本質は『影』なんだ。人の血を得て、強くなる。一体ぼくらとどこが違うっていうの?」
「黙れって言ってるだろ!!」
 三景は怒声とともに、右手に光の剣を握りしめる。そして次の瞬間、『影』の喉元にそれを突きつけていた。
「ぼくを殺すの?」
 だが、『影』はまったく動じることなく、濁った川を思わせる目を三景に向けた。
「君は、ぼくを……二度も死なせるのかい?」
 『影』の言葉が、呪詛に似た響きで三景の耳朶を打つ。その時、三景は胸の底でどくんと何かが蠢くような鼓動を感じた。

 はっと目を覚ました三景の前には、先ほどの灰色の草原ではなく、木目調の天井があった。
(いやな、夢だ……)
 三景はそう独白しつつ、布団からのそりと上体を起こし、大きく息をついた。それでも、胸の鼓動はまだ速い。先ほどの不快な夢から抜け出そうと、何度か深呼吸を繰り返した。
 三景がいるのは、自室である八畳の和室だった。真ん中に布団が敷かれているほかは、隅に勉強机があるだけの質素な部屋だ。三景の背後に窓が一つあるが、まだ暗いうえに障子で閉ざされており、外の様子は窺い知れない。
 陸を己の贄として、三景が初めてその血を飲んだのは、わずか数時間前のことだ。長い一日を終えた三景は、姉の一羽と帰宅し、ようやく眠りについた矢先だった。
 ――君の本質は『影』なんだ。
 夢で聞いた『影』の台詞が、望んでもいないのに三景の耳の奥で甦る。
「俺の、本質……」
 三景は半ば呻くように呟くと、己の右の掌を見つめた。すると、掌の中央から白い光が生まれ、短剣の形を取った。
 自分の内にある『力』を集中させれば、そこにいつでも光の剣を出せる。剣のまぶしい輝きは三景の力の象徴であるが、同時にそれは自身が『影』の末裔だという証でもあった。
『血に呑まれて、自分を見失ってはだめよ、三景』
 病院から戻る車中で、一羽がそう言った。陸の血を飲んだ三景がどうなるか、わかっていたような口調だった。
『私たちにとって、贄となる者の血は、良くも悪くも強烈な効果をもたらすものなの。血の刺激に呑まれれば、己の力や欲求が強化されて、我を忘れてしまう。そうならないように、私たちは自分をコントロールしなければならない』
 三景はしばし、ぼんやりと掌の剣に目を落としていた。その輝きは闇を打ち払う強い光を放ったかと思えば、周囲を淡く照らし出すともしびのようにもなった。
『……『贄』って、こういうことだったのか?』
 あの時の、震えるような陸の声を、三景は忘れられずにいた。
 血を飲んだだけでなく、陸のすべてを蹂躙し尽くしたいと思ったこと。そして、実際に自分が陸に対し行ってしまったこと。受け入れがたい話だが、血の芳醇な味わいと、陸を我が物にすることに、至上の歓びを感じる自分がいたのだ。
(あれが、俺の本質なのか……?)
 その問いに、答える者はなかった。
 やがて、三景の掌で輝いていた剣は徐々に小さくなり、蛍ほどの大きさになると、ふっとかき消えた。光が失われた途端、四方から再び闇が押し寄せ、三景を呑み込んだ。
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