novel
□Real Love
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今日はずいぶん静かだ・・。
コエンマはふと、そう思った。
怒りでも苦しみでも愛しさでも、とにかく自分の心をかき乱す原因が、今日はほとんど姿が見えないと気が付いたからだった。
業務を終えてから、気配を感じないぼたんに嫌な影を想像したコエンマは、急いで部屋を飛び出した。
「おい、ぼたんはどうした?」
コエンマは、部屋を出てすぐに見掛けた霊界案内人に声を掛けた。
「ぼたんですか?あー…たぶん寝てますよ、部屋で。」
コエンマに尋ねられた霊界案内人は、切迫した様子のコエンマを不思議そうに上から下まで眺めて言った。
「寝てるだと?寝てるって、具合でも悪いのか?」
「いえいえ、違いますよ。あの子は元気が取り柄ですから。最近深夜までドラマ見てるとか言ってたけど、きっとそのせいで寝不足なんですよ。まったく・・呆れちゃう。呆れちゃいますよね?今日は少し部屋に籠るからって言ってたから、たぶん寝てますね。間違いないわ。あっ、急ぎの用ですか?」
霊界案内人は、顎に手を添え、探偵にでもなったかのように言った。
「いや、そうではないのだが・・。そうか、具合が悪いわけではないんだな。ならいい。」
「私もね、言ったんですよ。昼間見ればいいじゃないって。でも、昼間は何か知らないけど忙しいからって。たぶん、そんな事言って、実際何にもしてないと思うんですけど。ねぇ、コエンマさまそう思いません?」
「あぁ、そうだな・・。」
おしゃべりな霊界案内人の扱いには慣れていた。
そんな事よりも、ただコエンマはぼたんが部屋にいると聞き、安心した。
何をしていてもいい。
ただあの忌まわしい狐とだけはいてほしくなかった。
「そんなにあのドラマ面白いのかなぁ。私も見てみようかな。ねぇ?コエンマさま。」
「あ?あぁ。お前もほどほどにな」
そういうと、コエンマはまだ話し足りないという顔をしている彼女に、礼を言うように右手を挙げ、その場から立ち去った。
部屋に戻ったコエンマは、何をするでもなくただ一点を見つめ、考え事をしていた。
さっきは話半分に聞いていた霊界案内人の話が、妙にひっかかっていた。
「昼間は忙しい…か。」
コエンマは小さな声でそう呟くと、ため息をついた。
するとコエンマのため息が合図になったかのように、誰かが部屋の扉を叩いた。
「ん?誰だ。」
コエンマはそれ所ではないというようにいいかげんに返事をした。
「どうも。」
そこに入って来たのは蔵馬だった。
この前来た時とは打って変わって、表情は堅く、ますます隙がないように思えた。
「何だ、お前か」
「お前かとは、ずいぶんなご挨拶ですね。」
「ふんっ。お前こそ、わしへの挨拶は丁寧だと言えるのか?」
お互いに様子をうかがっているように、その会話は抑揚すらない言葉で交わされた。
蔵馬はコエンマの敵意をひしひしと感じたが、それはきっと自分も同じだろうと思った。
「コエンマ、ぼたんを知りませんか?」
「ぼたんは部屋で寝ておる。」
「寝ている?こんな時間に?」
その疑問に、コエンマは一瞬蔵馬に冷たい視線を送った。
「あいつは疲れてるのだ。ちょっとはあいつをそっとしといてやらんか。お前、気が付いてないのか?仕事に人間界への行き来で、あいつの体は疲れ切っておるのだ。」
コエンマは、呆れた様子で深いため息をついてみせた。
蔵馬はコエンマの話を黙って聞いていた。
(さぁ、何か言ってみろ)
コエンマは蔵馬が次に口にする言葉を考え、頭の中で巡らせていた。
しかし、蔵馬はコエンマの話に言い返そうとはしなかった。
「そうですか・・。」
一言だけそう言うと、蔵馬はコエンマの顔を見ずに部屋を後にした。
「えっ、あっ・・おい、蔵馬。」
コエンマは蔵馬の言動に動揺を隠せなかった。
また何か企んでいるのか、それとも本当に真に受けてそのまま素直に引き下がったのか、真意をくみ取る事は出来なかった。
残されたコエンマは、蔵馬の後ろ姿を目で追うと、その行動に物足りなさのようなものを感じて、しばらく蔵馬の立ち去った扉を見つめていた。
コエンマの部屋を後にした蔵馬は、霊界の長い廊下をゆっくりと歩いた。
蔵馬には、もちろんコエンマが自分たちの仲に割って入ろうとしていることは十分にわかっていた。
ただ、コエンマの言う事は図星かもしれないとも思った自分がいた。
ぼたんと付き合い始めてから、自分の欲のままに、ぼたんを求め過ぎてきたのではないかと思い返していた。
ぼたんに会いたくて、傍にいないと不安に駆られて、そんな想いを押しつけすぎて、無理をさせていたかもしれないと思った。
蔵馬は初めてそこで足を止めた。
いつも変わらない満面の笑みのぼたんが頭に浮かんで消えた。
蔵馬は「ふぅ」と一つため息をつくと、そのまま人間界へと引き返した。
ピピッ。
12時を知らせる部屋の電子時計が鳴った。
(もうこんな時間か・・)
蔵馬は、今まで自分が、長い間別世界に行っていたのではないかと思う位に、ときの感覚を忘れ、深い自分の世界にこもっていた。
外からは月明かりが差し込んでいた。
蔵馬は、窓を開け、満月に近いその月を見上げると、吸い込まれてしまいたい気分になった。
少しの間月を見ていると、その月の前を何かが横切ったような気がした。
「・・何だ?」
蔵馬が目を凝らしてよく見ると、それはこちらへ一直線に向かって来ているように見えた。
「・・・ぼたん・・?」
ものすごいスピードで向かってくるそれは、ぼたんだった。
ぼたんはやがて表情が見えるまでに飛んできたが、その顔は怒りと悲しみに満ちていた。
「ぼた・・」
「蔵馬!!どうして来なかったのさ!!」
蔵馬が話しかけるよりも先に、ぼたんは目に微かな涙を浮かべながら、強い口調で蔵馬に言い迫った。
「今日、約束してたじゃないか!蔵馬が、迎えに来るから待ってろって言うから、あたし・・あたしずっと待ってたのに・・!!」
ぼたんは堪えていた涙を抑えきれず、大粒の涙が溢れ出すと、必死に抑えようと手で拭った。
「・・あなたもたまにはゆっくり休む時間が必要かと思いまして。」
蔵馬はぼたんと目線を合わせずに下を向くと、静かに言った。
「はぁ?なんだい、それ。」
蔵馬の答えに、ぼたんは一瞬思考が止まった。蔵馬の考えてる事が、理解出来なかった。
「今日は・・今日は蔵馬の誕生日じゃないか!!あたしはあんたと二人でお祝いしようと思って・・。ずっと前から準備だってしてたのに!!あんたが来るって言うから、あたしずっと待ってたのに!!」
「俺の誕生日なんて、どうでもいいんですよ」
「え・・?」
ぼたんにはますます理解出来なかった。
ただ蔵馬の言葉は、自分が楽しみにしていた時間を、一緒に過ごすつもりがないというように聞こえた。
「あんたは、あたしには・・祝ってほしくないって事なのかい・・?」
ぼたんは、頭が真っ白になった。
これまでにない程の苦しい気持ちが、一瞬にして一気に圧し掛かって来たのを感じた。
「・・もぉ・・いいッ!!」
ぼたんは声を絞り出して言うと、櫂を持つ手をぎゅっと握った。
蔵馬はとっさにぼたんの手を掴んだ。
「ぼたん・・俺は・・!!」
「もぉいいっ。離しとくれよ!蔵馬のばかっ!!大っ嫌い!!」
ぼたんは大粒の涙を残して空高く飛び立って行った。
「・・ぼたん!!」
声を掛けた蔵馬の声は、ぼたんには届かなかった。
蔵馬はどんどん小さくなって行くぼたんの姿を、何も出来ず、ただいつまでも見ていた。