黒子のバスケ
□愛とか恋とか
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「あ」
黒子が門を出た瞬間、人を呼び止める為ではないだろう声が発せられ、しかし黒子は視界に入った見覚えのある姿に足を止めた。
「あれ、確か…海常の、笠松さん…?」
「おう、ちょっといいか?」
かつてのチームメイトが通う海常高校バスケ部の主将
黒子とあまり関わりのない彼が、わざわざ県外の誠凜高校まで赴いた理由はきっとひとつしかない。
そして、その理由が容易に想像できてしまうことに黒子は相手にはわからぬ程度に眉を寄せた。
「…黄瀬くんが何かいいましたか」
「?いや、言った…つうか、何か今日すっげー落ち込んでんだよ。別にあの馬鹿が落ち込んでようがどうでもいいんだが部活にまで持ち込まれてあまりにもうぜえからさ…」
言いにくそうに、だが容赦のない言葉を告げる彼は部活に真剣だからこそ、黄瀬に早くいつもの調子を取り戻してほしいのだろう。
彼の気持ちはわかる。
だが…
「昨日喧嘩したんですよ。…笠松先輩には悪いですけど、僕は黄瀬くんのご機嫌取りをするつもりはありません。」
笠松に負けない程容赦のない言葉を吐くと、よもや黒子がそんな言葉を吐くとは思わなかったのか、目を丸くして表情の変わらない黒子を凝視する。
そして一瞬後、深い溜息をつくと途方にくれた顔をして言った。
「あのさ…多分、あの馬鹿がくだらないことしたんか、くだらないことで拗ねたんだろうけど…」
黒子から折れてくんねえかな。
言って、見ている方が気の毒になるほど困った顔で頭を下げる。
プライドなど構っていられないほど黄瀬は駄目なのだろうか。
けれど、昨日の喧嘩は全て黄瀬の勘違いとつまらないヤキモチによるものだ。
「…はぁ…とりあえず、黄瀬くんを呼んで下さい。もし彼が来なかったら僕はもう知りません」
「!まじで!?いいのか?」
「話し合いです。でももし彼が逃げたらほんとに僕はもう知りませんからね」
精一杯の譲歩だ。
「ああ、じゃあちょっと連絡してくる」
そう言って笠松は黒子から少し距離をとり電話を掛け始める。
それから約30分後、件の黄瀬涼太はやって来た。
「!…く、黒子っち?」
「…許したわけじゃありませんよ。笠松先輩があまりにも不憫だからです。君のせいで部活に打ち込めないなんて」
本人を前にしても辛辣な言葉を吐く黒子に、黄瀬は唇を噛み締める。
それを見てから、黒子は笠松に帰るよう促した。
二人で話し合いますから、と。
笠松もあまり立ち会いたくはなかったのだろう、すぐに黒子に礼を言って踵を返した。
「…恥ずかしくないんですか、あんな、いい人に心配かけて。挙げ句部活までサボらせて」
「…黒子っち、俺は…」
「謝るんですか?」
「っ…だって、俺は黒子っちに捨てられたくないから…」
「プライドとか、ないんですか?僕が何故昨日あんなに怒ったか、考えましたか?」
そうまくし立てると、彼は小さく頷いて呟いた。
「でも、俺にはわかんないスよ…」
答えを待っているのだろう。この、どこまでも黒子に従順すぎる恋人は。
けれど、彼はただひたすらに黒子に愛を捧ぐだけでそれを黒子に求めようとはしない。
それは正直なところ黒子にとって楽で、気安い。
そう思ってしまうことがいけないとはわかっていても、如何せん口下手なためにいつも甘えてしまうのだ。
「…確かに、僕も黄瀬くんに甘えていたところはあると思います。黄瀬くんが何でも先回りして言ってくれてしまうから、僕はそれでもういいと思ってしまう。」
それがきっと彼を不安にさせた。
「それについては謝ります。でも昨日のあれは…」
「だって!黒子っち、火神と抱き合ってた!あんなの見て俺が平気だったと思うんスか!?」
黄瀬は何かが切れたようにそう叫んで黒子に縋るように抱きついた。
「っ、じゃあ何で怒らないんですか!?怒ればいい!!他の男と抱き合うなって、そう怒ってくれればよかった!!」
自分より一回りもふたまわりも大きい身体を無理矢理引きはがして、周りの目も憚らずにそう怒鳴り返す。
「そんなこと、できないスよ…。」
「どうしてですか!?それは結局僕のことなんてどうでもいいからでしょう!!」
「違う!!!」
怒りに任せて叫ぶと、そう即答する声が語尾に重なった。
「だって…だって、黒子っちは俺が強引に付き合ってって言ったから付き合ってくれてるだけってわかってるから…怒ったりできない…!」
今度は包むように手を握られる。
それはまるで、触れたら消えてしまうとでも思っているような微かな接触。
「何もわかってません。僕は黄瀬くんに嫌々付き合ったことなんてない。」
そんなに大事にされなくても、離れたりしない。
黒子の右手を包む、骨張っているけれどすらりと綺麗で、やっぱり大きな手を左手で軽く摩る。
「どうして怒らないんですか。どうして懇願するんですか。疑われるようなことをした僕が悪いのに、何故黄瀬くんが僕に縋るんですか。
どうして、僕の気持ちを端から信じようとしないんですか。」
「!」
怒るのは愛があるからだ。
嫉妬するのは愛ゆえだ。
けれど、どうして相手が浮気紛いのことをして、責めるより怒るより先に、捨てないでと泣くのだろう。
確かにそれは愛があるからなのかもしれない。
けれどそれは相手の気持ちを信じていないのと同義だ。
怒れないのは、怒ったら捨てられると思っているからだ。
黒子の気持ちはその程度だと、黄瀬は思っているからだ。
「怒ってくれれば、謝って、浮気なんかじゃないって弁解して、僕が好きなのは黄瀬くんだって言えたのに、黄瀬くんは…僕が移り気したのだと決め付けた。」
「!っごめ…俺は、そんなつもりじゃ…」
「結局、黄瀬くん、あなたは僕のことを信じてないんです。」
その一言を放った瞬間、黄瀬の蜂蜜色の瞳からボロボロと涙が零れた。
黒子は驚かない。
きっと彼は黒子を「信じていなかった」自分に今気付いたのだろう。
そして、感情の迸るまま素直に涙を流して、きっと…
「…ごめんね…黒子っち、俺…自分のことばっかで…だから、昨日あんなに怒ったんスね。俺が…黒子っちのこと、わかってなかったから…」
「信じていなかった」という言葉を使わなかったのは、おそらく彼の中で単純に納得することは出来なかったからだろう。
それでも、気付いてくれた事、黒子の気持ちを理解して涙してくれた事で黒子はもう目の前の素直すぎる恋人を許せた。
涙はまだ止まらないようだけれど、彼はそう言って黒子ですら見蕩れるほど綺麗に笑ってくれる。
それで充分だ。
「ごめん。…ちゃんと、信じるから。黒子っちも俺のこと、ちゃんと、好きでいてくれるって、わかったし…」
今更焦っても仕方ないというのに、
制服の袖でごしごしと擦り真っ赤になった目許で頭一つ分低い位置にある黒子の顔を覗き込むと、じわりと微笑を滲ませて彼は言う。
「でも、もう他の男と抱き合ったりしないで。妬くから。」
如何してそのセリフでそんな幸せそうな笑顔なのか、傍から見ればおかしいがそんなことはどうでもいい。
嫉妬ならばいい。それは黄瀬のつい先程前の気持ちと紙一重だけれど、決定的に違うのだ。
「ええ。妬いてください。」
でなければ不公平だ。自分は彼が可愛い女の子に告白される度嫉妬に駆られるのだから、黄瀬も少しくらい嫉妬すればいい。
そう思って告げると、何故か黄瀬は切れ長の目を丸くして苦い笑みを浮かべる。
「…嫉妬してばっかっスよ。俺なんか」
黒子の周りに居る人には男女関係なく嫉妬を覚える。
そんな黄瀬の気持ちなど知る由もない黒子は
「嘘ばっかり」
そう言って微かに口元を緩めて愛しい人の手を軽く握った。