黒子のバスケ
□reason
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「――…っ」
黄瀬涼太は息を呑み、足音を忍ばせてその場を逃げるように立ち去った。
その日、時間を過ぎても約束の場に来なかった黄瀬を心配してか、黒子から携帯に電話があった。
登録してあるのは黒子の家の電話番号だ。彼は今時、携帯を持っていない。
「…どうかしたんですか?」
何を言っても空返事の黄瀬に、訝しむような声が聞こえる。
けれど黄瀬はそれに答えることができず、
「何も、ないっスよ…」
とだけ返す。だがこんな声音では何かあったと言っているようなものだ。
案の定、黒子は唐突に「今から行きます」と告げると黄瀬の返事も聞かず一方的に通話を切った。
「っ、黒子っち…?!」
正直、今黒子と会ってもどんな顔をすれば良いのかわからない。
何を言えばいいのか。
何を言えば怪しまれないか。
単純ですぐ顔に出る自分が、聡い黒子をごまかせる筈がないことは承知の上で、それでも考えずにはおれない程黄瀬は切羽詰まっていた。
だかそんなことを考えている間に、家のインターホンが鳴り来客を知らせる。黒子ではないことを願っても、そう都合良く行くはずもない。
第一、黄瀬と黒子の家はそう遠い訳ではないのだから早いのも当たり前だ。
心の準備などどれだけ経ってもできそうにないが、最低限狼狽えることだけはないようにしよう、
と心に決めてドアを開けるとしかし、黒子の顔を見た瞬間そんな決心は直ぐさま打ち砕かれた。
「っ、黒子っち…ほんとに、来たんスね…」
それが失礼な物言いだとわかっていても、言わずにはいられない。
この台詞自体、普段の黄瀬ならば言うはずがないものだ。
「すいません、こんな時間に押しかけて。」
だがそれにも律儀に頭を下げる黒子に、申し訳ないような気持ちと微かな苛立ちにも似たものが沸き上がる。
黒子は確かに、遅い時間に訪ねたことに対して謝っているだけなのに、疑心暗鬼に捕われた黄瀬は何に対する謝罪なんだと変な勘繰りをしてしまう。
まさかそれが伝わったとは思わないが、黒子は少し眉をひそめて黄瀬を覗き込んだ。
「…本当にどうかしたんですか?何か変ですよ」
「うん、今…俺ちょっと変だから、ごめん、今日は帰ってくんないスかね…」
言い訳を考えていたのに結局こんな直截的な言葉しか出てこない自分に辟易しながらも、ここまで言わなければ黒子は納得しないだろうこともわかっていた。
「嫌です。どうせ原因は僕でしょう。何かあったなら言って下さい。…僕には、自分が何をしたのかわかりません」
だがそんな黄瀬の浅はかな考えはこの黒子の言葉によって早々に覆された。
あまり表情の変わらない彼が、少しだけ落ち込んでいるように見える。
それにはっきりと悦びを覚えた黄瀬は、自分が病んでいることを今更に認識して舌打ちした。
「っ…」
「!…すいま、せん…帰ります…」
舌打ちを勘違いしたのか、黒子は目線を彷徨わせて後退りした。
そんな様子を見てさえ嗜虐心が沸き上がり、どうしようもなく…
泣きたくなった。
そしてその思いのまま、意識しないところで涙が溢れた。
それに、ドアを開けて今正に帰ろうとしていた黒子は目を瞠って足を止め、再びドアを閉めるとゆっくり黄瀬に近付いて来る。
「黄瀬、くん…?」
「何で…っ?
何で、俺のことだけ見ててくれないんスか…?」
「?!なにを…言って…」
意味がわからないと言うように困惑してみせる黒子が恨めしい。
なら、さっきのアレは何だったと言うのだろう。
あんな場所で、二人きりで抱き合って。
「…さっき、見たんスよ。誠凜の部室で…」
「!あ…」
そこで黒子は気まずそうに目を伏せる。
「ほら…やっぱり…っ」
笑みを浮かべようとして失敗し、嗚咽が洩れた。
飽きられたら仕方ないと思ってきた。
見苦しい真似はしないと決めてきた。
黒子が他の誰かに移り気したら諦めようと思ってきた。
けれど、無理だった。
そんな簡単なことじゃない。
そんな軽い気持ちじゃないのだ。
「あれは、ただ慰めて…」
そんな黒子の声は黄瀬には届かなかった。
「火神のとこになんか行かないで…っ」
「!きせ、く…」
汚れるのも気にせず、靴脱ぎに膝を着いて黒子に縋った。