黒子のバスケ

□歪んだ想いと心の欠陥
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「馬鹿っ!!」

バチンッ

―――と、自分の頬で肉を張る渇いた音がした。空々しい思いでその音を聞いている自分は、人間として何処か欠陥があるのではないかと何度も疑ったが、その度に彼を愛しく思う気持ちがあることでその猜疑心は否定される。

だからと言って、この目の前の理不尽な生き物に何らかの感情を抱くということでは全然全くないのだけれど。

「――馬鹿?どうして?俺はただ、君のことを知らないって言っただけで…」

「っ…最低!!何でそんな酷いこと言えるの?!」

涙目涙声でそんなことを言う少女に正直苛立ちを隠しきれない。

そんなことをされても、少しも心は動かない。

――…寧ろ、苛立ちは募るばかりだ。

「だからさ、何でそんなこと言われなきゃいけないの?だって話したこともないでしょ?知らないよ、話したこともない子なんて…」

「っ黄瀬くんがそんなひとだなんて思わなかった…!!」

ついに涙を落として走り去る少女の後ろ姿を見届け、もう既に名前を思い出せなくなっていることに黄瀬自身最低だと思わないこともないではないが、告白を断ったことに対して責められる筋合いはなかったと溜息をついた。

話したこともない人の顔、ましてや名前など知るはずもない。日夜普通の人よりは遥かに多くの人と顔を合わせ、更にはファンの女の子たちに囲まれる日常を過ごしている身としては一々記憶していたら出来があまりよろしくない黄瀬の頭はパンクしてしまう。
飲み込みが早いのとは別だ。

つらつらともう罵倒の言葉を忘れてそんな事を考えていると、

叩かれ損。

そんな言葉が脳裏に浮かび、しかしそれもすぐに忘れてしまった。



「黄瀬くんが悪いです」

先程の出来事を、馴染みのファストフード店の二人掛けの席に向かい合わせに座った黒子に雑談程度に語ると、思いがけず低い声が返ってきた。

「へ…?!何で!?」

思わず素っ頓狂な声で返すと、不愉快そうに眉を顰めた黒子にその大きな瞳を向けられ急いで口を塞ぐ。

「…何でも何も、黄瀬くんの事を好きなのに、その君にそんなことを言われたら傷付くに決まってます。黄瀬くんみたいな人を好きになってくれたんですから、君は感謝こそすれそんな酷い事を言うなんて間違ってます。」

酷い言われようだ。
いつになく饒舌な黒子がその熱弁を振るうのが黄瀬を罵るためだと言うのは心中複雑であるが、こんなにも声を聞けることは普段あまりないので仮令罵倒されていようが黄瀬は幸せだった。

「…?気持ち悪いですね、ニヤニヤしないで下さい。あなた仮にも顔で商売してるんでしょう。」

やっぱり酷い言われようだが、別に黒子に言われる分には腹は立たない。

まず、黄瀬にこんなことを言うのは黒子か他のキセキの面々だけなのだが、
顔だけ誉めそやして、更に黄瀬のその容姿を利用しようとさえする奴らよりよっぽど良い。

そんなことより、

「でもさ、顔も名前も知らないのに付き合える訳ないっスよ。」

「そんなことは言っていません。付き合う付き合わないの問題ではなく、断るにももう少し言い方というものがあると言ってるんです。」

その大きな瞳では、睨むというより見詰めるという表現の方が相応しいだろう、厳しい目付きで黄瀬を見る。
さすがに茶化すことはできず、

「でも…何とも思わないんスもん。俺は黒子っちのことは『好きだなあ』って思うけど、他の人に同じ感情は湧かないんスよ。」

そう大真面目に返せば

「だから、別に好きだと言われて自分もその人を好きにならなければいけないわけじゃないですよ。…って、変なことを公共の場で言わないで下さい。」

溜息交じりに言われ、ついでに牽制されてしまった。更には

「そんなことばっかりして、いつか刺されても知りませんからね。」

とまで言われる始末。

そこまでされる程非道なことをしたとはどうしても思えない黄瀬は、その黒子の言葉を軽く捕らえていた。

――最も、黒子とて本気だったわけではないだろうが、すぐに黄瀬はその言葉の重さを知ることになる。



――数日後の朝、朝練を終えて黒子と共に教室へ向かう途中の下駄箱で、黄瀬は自分の靴箱の蓋を開けて眉を顰めた。

「?」

そんな黄瀬の手元を覗き込んだ黒子は

「またラブレターですか?相変わらずモテますね、ろくでなしのくせに」

と早朝から耳に痛い毒舌を披露してくれる。

黒子は他の連中と違って黄瀬がモテることに僻んだりすることはないが――黄瀬としては少しくらい妬いてほしい――昨日の件を皮肉っているのだろう。

だが、どうもラブレターにしては可愛らしさに欠ける。普通女の子のラブレターというのは、少しでも女の子らしさのアピールをしようとこれでもかというくらいの装飾が施されているものだ。

それに較べ、この茶色い封筒は…どう考えても愛を綴った手紙を入れるべきものではないだろう。

それに少し…いや大分、手紙にしては分厚すぎるのだ。

そう思って黒子の目の前でそれを振ってみせるが、
「…これ、ラブレターだと思う?」

「知りません。」

さも興味ありませんとばかりにあっさりと一蹴されてしまった。

「や、ちょっ、待ってよーだってこれ…」

「中見ればわかるでしょう。いちいち僕に聞かないで下さい。」

黒子は心底不愉快、もしくは面倒臭そうに黄瀬を一瞥すると一人でさっさと歩みを進める。

少しくらい気にしてはくれないだろうかと嘆息しながら封を開けた黄瀬はその場で絶句した。

いつまで経っても動き出そうとする気配のない黄瀬を流石の黒子も訝しんだのか、戻ってくると、黄瀬が手にしたまま固まっている封筒をピッと奪うと、中身を確認して微かに眉を顰めた。

こんなものを目の前にしても眉を顰めるだけというのはさすが黒子と言わざるを得ないが、今はそんな所に感心している場合ではない。

「…何です、これ。」

いつもと変わらないトーンで小さく呟いた黒子が手にしているのは、膨大な量の、写真。

写っているのは全て、黄瀬涼太その人だった。

ここ数日の間に撮られたのであろう写真の中には黒子が写り込んでしまっているものや、授業中、部活中、帰宅途中、さらには更衣中の写真まである。

さすがにセキュリティの頑強な撮影現場の写真はないが、撮影現場であるビルから出て来る所はしっかりと撮られていた。

「何…なんで?どうやって…」

「!黄瀬くん、手紙入ってますよ。」

「手紙…?」

―黄瀬涼太様―
あなたが好きです。
顔も好き。声も好き。体も好き。目も鼻も口も手も、綺麗なあなたの全部が好き。私が涼太をこんなにも想っているのに、あんなふうに笑顔を向けてくれたのに、どうして私のことを好きになってくれないの。私たちは結ばれる運命なのに。運命に逆らうなんて間違ってると思わない?涼太。
だからね、振り向かせてみせるから、顔も名前も知らないなんて言わせないから。
――――高遠 梨南

異常な好意。運命なんてよく口に出来るものだといっそ感心する。

名乗っているあたり、自分の行為がストーカー同然であるとは感じていない。
ただ純粋に、黄瀬に振り向いてほしいという気持ち。好意を伝えたいだけなのかもしれない。

――けれど、何をされても、こんなストーカー行為をされたら尚更、黄瀬が振り向くことなど有り得ない。何故それがわからないのだ。

「ありえない…」

「だから言ったでしょう。『いつか刺されても知りませんからね』」

溜息交じりにいつかと同じ言葉を告げる彼は、呆れながらも心配してくれている。

それに今はそんな場合ではないと思いつつも嬉々とした思いを抱かずにはいられない。

「うん…そうスね、これからは気を付ける」

「…大丈夫、なんですか。ストーカーなんて」

「多分ね。ストーカーだって初めてじゃないし、そんなに心配してくれなくても大丈夫っスよ。こういう仕事してたらしょうがないしね」

能天気に笑ってみせると、眉間に皺を寄せ、眉尻を下げていた黒子は少し表情を和らげた。

「…そうですか。なら、いいんですけど。」


黒子を巻き込むわけにはいかない。黒子にだけは、手を出されたら相手を殺しても足りない。

心配をかけないようにするのは簡単だ。
黄瀬が気にする素振りを見せなければいいのだから。

けれど、黒子に直接被害があった場合はどうにもならない。
ストーカーなどをするような輩は基本思い込みが激しく、今回も例に漏れずそうだろう。

もし黄瀬が黒子に惚れていることを知ったら、
黒子に何をするかわからない――…

――そんなこと…絶対させない。

黄瀬自身昏い感情を抱きながら、まだ立ち尽くしている黄瀬を心配そうに見つめている黒子に笑いかけ教室に足を向けた。
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