黒子のバスケ

□エゴイスト
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『I・Hね、青峰っちと戦うことになったんスよ。』

嬉しいのだと、自分にそう言い聞かせるような笑みを浮かべて彼はそんなことを言った。
嬉しくても、同時に辛くもあるはずなのに。
黄瀬涼太にとって、青峰大輝は絶対的存在であったのだから。

『だから、見に来てくんないスか?』

その笑顔を張り付けたままそう告げる彼の目は、いつになく真剣で、真摯な光を湛えていた。
けれど、どこか目の前に居る黒子に縋るようでもあって、黒子ではない、黒子の向こうに誰かの姿を見ているようでもあった。
それは黒子にとって少し淋しいことで、天真爛漫を絵に描いたような彼にこんな顔をさせる青峰が少し憎くも羨ましかった。


結局、部活動としてI・Hには来たけれど――
試合前にはさすがに会うことはできなかった。


   †  †  †


「負けねっスよ青峰っち」

「あん?ずいぶん威勢いいじゃねェか黄瀬

けど残念だがそりゃムリだ。そもそも、今まで一度でもオレに勝ったことがあったかよ?」

「今日勝つっス。なんか、負けたくなくなっちゃったんスよ、ムショーに」


黄瀬と青峰の会話は聞こえない。
二人は試合を楽しむことなんて考えていないのだろう、二人共笑みを浮かべてはいるものの互いを見るその目は狩る者のそれだ。そんな二人の様子に、数日前の黄瀬との会話を反芻する。


「――黒子っち」

部活を終えて部員皆でぞろぞろと門を出ると、校門にもたれて立っていた背の高い人影がゆっくりと腰を上げた。
そして、甘さを含んだ低いテノールが黒子の名を呼ぶ。
部活終わりの今だから平気だが、もし下校時刻に被っていたらきっと混乱が起きただろう彼の姿はやっぱり誰の目にも魅力的に映るのだ。

「黄瀬くん?」

「ちょっと話したいんスけど、今いい?」

「え?はい、まあ…」

「すんません、ちょっと黒子っち借ります」

柔らかな笑顔で黒子以外の部員に告げると、日向や伊月までもが頬を染める。やはりその男女を問わず惑わす美貌の破壊力は凄まじい。

「…あんまり不用意にそういう顔をしない」

「へ?どういう顔?」

自覚がないというのも恐ろしい。無邪気な面がある彼は基本的に人タラシの気があるのかもしれない。
今は黒子を好きだと言ってくれるけれど、芸能界という広くきらびやかな世界で仕事をしている彼がいつまで心を寄せてくれるのだろうかと、黒子はいつも心のどこかにほの暗い不安が巣喰っているのを後ろ暗く思いながらもその不安は拭えなかった。

「何かありましたか?」

「いや、あの…」

「?」

「IHのことなんスけど…」

IHは確か、海常対桐皇だったはずだ。黄瀬本人から報告された。

「何か、俺と青峰っちの勝負…みたいなことになっちゃって…」

気まずそうにそう言うが、海常対桐皇の試合は実質黄瀬対青峰、エース対決になるだろう。正直なところ、二つのチームの実力に大差はない。だからこそ、勝敗を別けるのは各チームのエース、つまり黄瀬と青峰の実力差。二人の実力差がそのまま勝敗に反映されるといってもいい。負けたほうにとっては辛い現実だろうが、『キセキの世代』の名はそれほど重いということなのだ。そのプレッシャーを背負って中学時代ずっとプレイしてきた5人は伊達じゃない。

「それがどうかしたんですか?他の方々には申し訳ないですけど、実際そうなってしまうでしょう。」

「いやそれは、わかんないスけど…そういう意味じゃなくて、青峰っちが、『オレに勝ったら認めてやる』って言うんスよ…」

「!は…」

「いや…!俺はそんなんする気なかったんスけど…」

「…わかってます、あの人は、強引ですから…」

青峰が黒子と黄瀬の関係を認めていないことはわかっている。
それは青峰が黒子を心配しているだけだということも、よくわかっているつもりだ。

――その心配が、黒子の不安に基づいていることも。

一度、ついぽろりと漏らしてしまったことがある。

『黄瀬くんの気持ちがいつ離れていくのか、男が嫌になるのか不安だ』と。

そう零すまでは、青峰もそこまで黄瀬と黒子の関係に反対してはいなかった。だから、黄瀬が喧嘩を売られるのは黒子のせいでもある。

「すいません…」

「!黒子っちが謝ることじゃないっスよ!俺が断れなかっただけだし…」

そこで心底申し訳なさそうにする彼に、黒子の方こそ申し訳なくて仕方がなかった。元はといえば、黒子が余計なことを言ってしまったせいで…

――あんな、自分勝手で根拠のない不安なんか己の内に秘めておかなければいけなかったのだ。

まして、関係のない青峰にまで余計な心配を掛けてしまうなんてとんでもない。

「すいません…」

「?大丈夫っスよ!絶対認めさせてみせるから。」

明るい笑顔を取り戻してそう言う彼になぜか寂漠とした思いが沸き上がり、同時に、純粋に自分の為に戦うと言ってくれる彼に対してそんな思いを抱いてしまうことに後ろめたさと申し訳なさを感じずにはいられなかった。



「…青峰くん…」

「何か言ったか?」

つい呟いたのを火神に聞き取られてしまい、不審がる火神に何でもないと首を振り前に向き直った事を確認して再び二人の様子を伺う。

それと同時に青峰が黒子に気付き、観覧席に目を向けてきた。
黄瀬が「賭け」のことを話すのは予想済みだったのか、当然だと思っているのかはわからないが、不審に思われない程度に黒子を見つめてくる。

――まるで、黒子の不安は自分が取り除くのだとでも言うように、いつもの傲岸不遜さなど欠片もないその瞳はひたむきだった。

ただ、黒子のため――。

それを思ったら何も言えなかった。
自分達二人の問題だからと突き放す事などできやしない。なぜなら、黒子は青峰に不安を取り除いてほしいと願ってしまっているから。当事者同士の問題だと突き放すには、黒子は青峰を頼りすぎていた。

そんなのは黄瀬にも青峰にも失礼だとわかっていても。



『――それでは準々決勝第二試合、海常高校対桐皇学園高校の試合を始めます』

試合開始のホイッスルが鳴る。
それと同時に観客のざわめきも一瞬途絶え、次の瞬間には何倍にも膨れ上がった歓声が再び会場内を満たした。


† † †


「っ…すげえ…」

そう漏らしたのは誰だったのか、試合、というよりは黄瀬と青峰の攻防に目を奪われていた黒子には定かでない。
しかし皆一様にそうであったと言い切れるほどに両チームのエースは一歩も譲らない激戦を繰り広げ、そのエース対決は幾度も繰り返されていた。
ボールを持っているのは勿論二人ばかりではない。しかし二人の存在感と、圧倒的な実力の前には強豪校の如何なる選手であろうと霞んでしまう。

――やっぱり、彼等は紛う事なき天才なのだ。

黒子とは格が違う。
――最終的な場面では何もできない自分などとは比べるべくもない。
中学校時代、強豪と言われる帝光バスケ部の一軍として同じチームでプレイできたのは黒子が『天才ではなかった』からだ。
努力次第で『スペシャリスト』にはなれても、それ以上は望めない。

それが、黒子とキセキの世代の決定的な差異。

「黒子はどっちが勝つと思う?」

「!え…ああ、はい…正直わかりません。
でも…黄瀬くんが1on1で青峰くんに勝ったことは、ありません…」

『!』

それはあくまでも中学時代のことだ。今はわからない。

――…けれど、黄瀬が青峰に勝てなかったのは実力差ばかりの話ではないのだ。

「黄瀬くんは…青峰くんに憧れてる限り、勝てません…」

呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。


そして、海常、桐皇の両校共が大きな差をつけることもつけられることもなく第1、2Qが終了する。
この休憩時間で選手達は一度控室に戻ったが、会場内の熱気はそれでも覚め遣らぬままだ。

その休憩時間、一年生全員が飲み物の買い出しに駆り出されたはいいものの、会場を出てすぐに黒子はその影の薄さで以て逸れてしまい仕方なく外のバルコニーへ足を向けた。

特に意図したことではなかったが、何とそこには控室で休んでいるはずの黄瀬の姿があった。

「あ…」

「え?」

「黄瀬くん」

「!?」

手摺りに肘をついて何やら考え込んでいた様子の彼の名を呼び掛けると、面白いように表情が変わった。試合中の凛々しい男前はどこへやら、目を丸くして口をポカンと開けたどこか間の抜けた表情は、けれど、あまりに格好の良すぎる彼よりも黒子の好きなものだった。
端整な容貌を意識しないでただ笑っている彼の方が何倍も眩しい。
だからこそ打算なんて欠片もないような、そんなこととは無縁の彼が打算だらけの世界に居ることに違和感を覚えてしまう。

バスケをしている彼はまた別なのだろうけれど。

「黒子っち!?何でここに!?」

「はぐれました。」

「は!?」

はぐれたのは事実だ。
ここに来たのは、
ただの偶然。目的もなく、もちろん黄瀬が居ると知っていたわけもない。
そんなことは黄瀬も承知の上だったのだろう、何故、なんて聞いても詮ないことを聞くつもりもないのか驚きに一度浮かせた身体を再び手摺りに預け、ジャージのポケットに手を突っ込んで黒子を下から覗き込むように見た。
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