ネウヤコ小説

□契約なんかしない
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「さてヤコよ」

さて問題です。


この外道魔人に横やりを入れられながら

私が必死に一枚の紙を覗いているのはどうしてでしょう。


「そろそろ諦めて署名したらどうだ」


…答え。

こいつが外道だからです。


ネウロは勝利を確信しているかのような
実に底意地の悪い微笑みを唇に乗せて私を待っている。


ていうか。


「…今、諦めて、って言ったよね…」


ネウロはきょとんとした顔になって私を見つめた。

こいつがこういうピュアな表情をさらす時はろくなことがない。本当に。


「やっぱりこの契約書何か仕掛け…ぶっ!!」


左腕で首を締めあげられ
言葉を消される。

右手は強引にペンを持たされ
ペン先は凄まじい力で契約書の署名欄へ導かれた。


「吾輩が何か仕掛けをしていると疑うのであれば署名してみればわかることだ。さっさと書け」

「ちょっとちょっとストップー!!」


危うくペン先が紙につくところだった。

死ぬ気でその腕から抜け、二三度咳をして息を整える。


恐ろしい。

本気で恐ろしい。


自分の意思とは関係なくデッドゾーンにつきとばされるところだった。

想像するだけで血の気がひく。


「だいたい、こんな契約書いらないでしょう!?」


契約書を突き返しながら私がそう言うと
ネウロはおもしろくなさそうに目を細めた。




駄目だ。

この目。

諦めてない。


言葉責めで強制するか
はがいじめで強制するか

むしろどちらも強行するか

決めかねているような顔だ。


私はため息をついた。

三年を経て
ネウロは帰ってきた。

また
この世に蔓延する『謎』を求めて。

三年前、私は弱ったネウロに言った。


『帰れ』と。


『帰ってさっさと戻ってこい』と。


それは
ネウロの相棒でいることへの意思表示だった。

協力者で居続けることの約束だった。


だから
要らないはずなのだ。

こんな契約書。


『わたくしめはこれからも脳噛ネウロ様に協力します』。


……こんな、契約書。


それにしてもどこまでも上から目線なものを用意する男だ。

なんなの。
『わたくしめ』って。


なんで自分は『様』付けなの。

これだけですでに
署名したくない代物に仕上がってるんですが。


私がこういったものに慎重になるのは前があるからだ。

以前うっかり大金をネウロから借り
ひどい目にあった。

そのときはなんとか切り抜けたものの
今回そううまく乗り切れるかどうかわからない。

だいたい、真の契約内容がわからないのだ。

切り抜けかたさえわからない。


ネウロはコキコキと右手を準備運動させはじめた。

まずい。

何かされる。

そしてそれ
絶対痛い。


「さてヤコよ」


ああ。

めちゃくちゃ楽しそう。


「今すぐ軽く契約内容を確認して署名するか、濃厚に吾輩と親交を深めるか、どちらがいい?」

どちらにも地獄が待っている気がする。

このままではいけない。
ネウロがどうしても契約書から離れないなら、それに立ち向かうしかなさそうだった。

私に残された道はひとつ。

契約書の真の契約内容を探し出し
契約できませんと言ってネウロに勝つこと。

それしかない。


「顕微鏡貸して」


以前しみのような部分に細かく文字を刻まれていたのを思い出した。

ネウロは私が契約書に向き合う気になったのを知り、おもしろそうにニヤリとする。

「よかろう」

案外あっさり貸してくれたうえ
時間制限もかけないところをみると

私には見つけられないと思っているのか。

これでは見つけられないのか。


どれにしても私には
これしかできることがなかった。


文字のない部分をくまなく探す。

かなり根気のいる作業だった。

右上。

左上。

右下。

左下。

上。

下。

左。

右。

文字が書いてある行間。

裏。


……どこにも文字はない。

あぶり出しで出てくるとかだろうか。

しかし誤って燃やしてしまったらもっと恐ろしいことになる。

せめてもう少し観察してからにしよう。

顕微鏡の倍率をあげる。

もっと。

もっと。


なにも、ない。


もしかして、本当に何もない、
ただの契約書、なのかな。


実はなんでもありませんっていう類の
いじめだったのかな。

そう思って、
ネウロを見た。


「…………………………」


………………………違う。

絶対なにかある。


だってネウロ
『紳士』スマイルしてる。

あの顔のネウロがなにもしてないなんてこと
絶対ない。

絶対。


私は嫌な汗をかきながら作業に戻った。


……数時間、頑張った。

さすがに目が疲れた。

目も神経も疲れて伸びをしたとき、ネウロと目が合う。


ネウロは黙って私を見つめていた。

なんだか穏やかな
そんな目で。


……なんで、と。

思う。


なんでネウロは
あっさり顕微鏡を貸してくれたんだろう。

なんでネウロは
時間制限をかけなかったんだろう。


ネウロの様子からして
この契約書にはなにか真の契約が潜んでいる。

それは
確信を持って言える。


ならネウロは
さっさと署名させたいはずだ。

なのに
そうしない。

それは
なぜか。


………私にそれを
読ませたいからじゃないのか。

読ませたい、なら。


私は顕微鏡を掴む。


読ませたいなら
ネウロはきっと『秘密』のランクを私にまで下げているはずだ。

難解なものではなく
そう
見つけにくいものではない所に

それを隠している。


それは
ひとつしかない。


『わたくしめはこれからも脳噛ネウロ様に協力します』。


この『文字』そのものだ。


倍率をあげ、文字をひろう。


………あった。


神業的に小さな文字が並んで
『わ』を作っていた。

『た』も。

『く』も。その他も。


面倒くさいことを……と思いながら、
真の契約内容を読む。

私がそれを見つけたことを、
ネウロは気付いたようだった。

でも
黙っている。


黙って私を
見ている。


不思議な沈黙が
時を止めていた。


「………ネウロ」


真の契約を読み終えた私は
顔をあげた。


「これに署名はできない」


真剣な私の様子に、ネウロは目を細めた。

そして
口元だけで笑う。


「……ほう?」


その声には
明らかな苛立ちが滲んでいた。


「貴様に拒否権があるとでも思っているのか」


腰かけていた机から降り、
私に向かってくる。

ゆっくりと。

優雅に。

それは
ネウロの機嫌の良くない証拠だった。


でも

私は目をそらさなかった。


「貴様は黙ってそれに」

「『私は恋などしません』」


書かれていた契約内容を読み上げると
ネウロがピクリと眉を歪めた。

続ける。


「『私は人間の男に恋などしません』

『私は人間の男と結婚などしません』

『私は人間の男と家庭を築いたりしません』

『私は人間の男と子供を作ったりしません』

『私の一番は脳噛ネウロ様です』

『私は病める時も健やかなるときも脳噛ネウロから離れません』

『この契約に守られなかったらという仮定は存在しません』

『私は何があろうとも脳噛ネウロ様のそばにいます』」


ネウロから
笑顔が消える。


「……馬ッ鹿じゃないの?」


そう言ってやると
ネウロは明らかに攻撃的な目で私を睨んだ。


「……なんだと?」


その右手が
今度こそ本当に私を傷つけようとしている。

でも
そんなこと

どうでもよかった。


「もう一度言ってみろ、ヤコ」

「馬鹿って言ってるのよ」


ためらわず言うと
ネウロが右手を振り上げた。


「貴様……」

「そばにいるわよ!!」


事務所が震えるくらい
叫んだ。

その声と内容に
ネウロがぽかんとする。


馬鹿。

本当にこいつは
馬鹿だ。


睨みつけながら
私は続けた。


「人間の男に恋なんかしない。結婚なんかしない。家庭を築いたりしない。子供作ったりしない。
私の一番はネウロだし、離れるつもりなんか全くない!!
でもそれは私がそう望んでるからそうするの!!
私の願いだからそうするの!!」


殴ってやろうかと
思った。

本気で。


「なのにこんな契約書にサインしたらそのせいになるじゃない!!
契約書があるからそうしてるみたいじゃない!!
馬鹿にしないで!!
私のことは私が決める!!」


こんなのがないと
傍にいないと思われていたことが悔しかった。

その程度だと思われていたことが
悲しかった。


ネウロ。

あんたは知らない。

私の三年間を。


半端な気持ちであんたを待ったわけじゃない。


あんたが迷わないように

あんたにふさわしいように

私がどんな思いでいたか

私がどんな努力をしたか。


こんな契約書で
私を測ろうとしないで。


こんな契約書で
私を括ろうとしないで。


私のあんたへの思いは
こんなものじゃ支えきれない。


「そんな…ことも…ッ」


涙が出そうになる。

めそめそ泣かない。
そう
決めたのに。


「そんなこともわかんないの…ッ!?」


涙を必死でこらえて震える私を
ネウロは黙って見下ろしていた。

そして

頭に手を置かれる。


いつものように掴むわけではなく
そっと

いたわるように。


「………ヤコ」


低い声が
私の名を呼ぶ。


「………ヤコ」


この
声を

三年間待った。


夢に
見た。


幻に
聞いた。


それくらい
あんたのいない三年間は

あんた一色だった。


なのに。

この

馬鹿魔人。


「………返事をしろ」


耳に口を寄せられ
囁かれる。


「……なによ」


少しだけ鼻をすすりながら憮然と答えると

ネウロは笑った。


そして
契約書をふわりとやると

一瞬にして燃やし消す。






「…ヤコ。吾輩はどうやら、究極の謎を見つけたようだ」







え。

今?


驚いてネウロを見つめるけれど
ネウロの『謎』センサーは発動していない。

出かける様子もない。


「……?」


いぶかしげに首を傾げる私を見つめて
ネウロは微笑む。


いつものような

いじわるで

どSで

質の悪い


でも
少しだけ

なんだか優しい


そんな

微笑み。







「…さて、困った。
この『謎』はどう食らうか…」








困ったといいつつ

とても
とても

楽しそうなネウロを見ながら

私はひたすら首をかしげる。



ネウロが見つけた『究極の謎』がなんなのか






私はまだ



知らない。








fin

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