ネウヤコ小説

□纏うべき香り1
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香水はきついから
コロンが欲しかった。

ふとした時に香る。
それくらいで私にはちょうどいい。


香りといえば
アヤさんはいつもいいにおいがしていたなと思う。

あれは
香水だろうか。

コロンだろうか。

彼女自身の香りだろうか。


迷ったとき
つまずいた時

彼女と
彼女の言葉と
彼女の纏うあの香りが

いつも私の背を押してくれた。

甘くて
温かくて
どこか
寂しく爽やかな

そんな
におい。


あの
胸を締め付けるような香りは
彼女が私にくれた言葉とともに

胸に鮮やかに息づいている。


『多かれ少なかれ、あなたが私に会いにくるのは決まって…あなたの中で答えが出てる時』

『彼は必ずあなたの力を必要とする』


そんな彼女は
私のピンチに自分の刑期を伸ばしてまで助けに来てくれたりする、

友人だ。


大切な

大切な…人。


彼女は私のせいで刑期が伸び
まだ服役をしている。


私の友人は
まだ

鉄格子の
…中。



……………の筈なんだけど。




目の前でにこにことジャスミンティーを飲む彼女に、

私はどう言葉をかければ良いのか深刻に迷う。

ここは
ショッピングモール。

もちろん
外界の。

汚い言葉を使えば
シャバの、ということになる。

そこに
アヤがいる。

ものすごく優雅に
お茶を飲んでいる。

一体
どういうことなのだろう。


「………なにしてるんですか」


かろうじてそう聞くと、
彼女……

アヤは、

美しい笑顔で微笑んだ。


「お茶を飲んでいるのよ?」


…そんなこと
見ればわかります。


「探偵さんも、どうぞ」


二の句が継げない私にフフフと煌びやかに笑って
アヤはまた一口お茶を飲んだ。

この骨の髄から滲み出てくるようなセレブさはなんだろう。

こんなにこのおしゃれな場に馴染んでいるなら
もういいかという気にさえなって…

…いやいや、
駄目だ。それは駄目だ。

そんなことを許容したら
彼女の刑期は際限なく伸び続ける。


「…なんでまた、出てきたんですか?」


慎重に尋ねる。

実はアヤが脱獄するのは
これが初めてではない。

私がネウロと大喧嘩して落ち込んでいるときに初めてこれをやらかして以降、

一年に一度の割合くらいでこれをやる。


そして丁寧なことに
いつも私を訪ねてきてくれるのだ。


それを喜んでいいのか
どうなのか

非常に難しい。


「アヤさん…どうして?」


こんなことをしていたら、
いつまでたっても刑期が終わらない。

アヤにとって刑務所はそんなに過ごしにくい場所ではない様子だが、
やはり『自由』とは程遠い。

なのに、
彼女はこうした規則違反をやめないばかりか
反省すらしていない。

まるで
刑期が伸びることこそ
本望だというように。


「どうしてですか?」


たたみかけて尋ねると
アヤは少し目を伏せた。


「…多かれ少なかれ、あなたが私に質問するときは決まって…、
あなたの中で答えが出てる時…」

「イヤそんな格好よくはぐらかしてほしいワケじゃないんですが」

速攻ツッコむと
アヤは軽く舌うちした。

「…うまいこと言ったと思ったのに」

「ものすごくうまいこと言ってましたけどね」


呆れながら褒めると
アヤは観念したように息を吐いた。

そしてチラリと私の後ろを見る。


「…助手さん、帰ってきたのね」


少しドキリとした。

アヤは数少ない、
ネウロの正体を知る人。

そして…
ネウロがいなくなってからの私を…

知っている、人。

心の奥をのぞかれたようで
落ち着かない。


「…はい」


ネウロは後ろの席に横柄に座りながら
どこから盗んできたのか小型液晶テレビを解体して時間を潰している。

アヤに挨拶もなく、
ちらりとも見ない。

関心のない人間に対し
ネウロの反応は味気なさを極める。
見ているこちらが気を使うほどに。

ネウロにとってショッピングなど楽しくもなんともないことはわかっている。

だから誘ったりしなかった。

なのに、私がコロンを探しに行くと言ったら
強引についてきたのだ。

謎の気配でもしたのかと思ったのだが、どうもその様子はない。

なんなんだろう。この男。

新しい私への嫌がらせだろうか。

それにしたって愛想がなさすぎる。
個人的にアヤの歌を聞きに言ったこともあるくせに。失礼にも程がある。


申し訳なさそうな顔をする私をどこか面白そうに見つめて、
アヤはお茶の横のマドレーヌをフォークで切った。


「嬉しい?」


奇しくもネウロの問いかけと同じことを聞かれ、
顔が赤らむ。


私…そんなに嬉しそう、なのかな。

他から見て、明らかなくらい。


「そ…そんなことより、なんでまた脱獄なんか」


強引に話を戻すと、
アヤは少しきょとんとする。

それから声を出して笑った。

私がネウロの話題を避けたのがわかったのだろう。

そして
避けた理由が照れくさいからだとも、きっとばれてる。

恥ずかしい。


「…そうね。どうしてだと思う?」


思わせぶりに、アヤが
くい、と顔を寄せてきた。


「どうしてって…」

「多かれ少なかれ、あなたが私に質問するときは決まって、
あなたの中で答えが出てる時」


アヤは再びそう言い、いたずらっぽく片目を閉じてみせた。


「…でしょ?」

「…………」


確かに。

アヤが何度か脱獄をし
また刑期が延びたと笑うのを見たとき、
思ったことがある。

アヤは
確たる目的を持って脱獄を繰り返すんじゃないか…って。

私の目の奥になにかを見たのだろう。

アヤは頷く。


「あなたの口から直接聞きたいわ。どうして私が脱獄を繰り返すんだと思う?」


チラリ、と、ネウロが私を見た。


前からアヤ、
後ろからネウロに見つめられ、

空気が張り詰める。


私はひとつ息を吸った。

うまく伝えられるかどうかわからなかったけれど、

彼女がそれを
『私の言葉』で望むなら
私はそれをする。

それが

『人の心』を『探偵』する
私の使命だから。

私はそうやって
人の心や思いの深い部分を直感的に探る特技を生かして『探偵』を続けてきた。

そうして
『謎』を解く『探偵』…

…ネウロを、待った。


それが私の『進化』だと信じた。


それを見守ってくれて友人がそれを求めている。
それを望んでいたネウロが見守っている。

試されているような
信じられているような

不思議な緊迫感が
私の心を澄ませていた。



「……音楽に、集中したいから…」



私の答えに、ネウロは目を細め、
アヤは強い瞳を光らせた。


「アヤさんは…昔、『孤独』な人の脳に届く音楽を作っていた。
アヤさんが『孤独』だったから。
そして…悲しい過ちを犯してしまった。
でもアヤさんはそこで、『孤独』を克服し、全ての人間に届く音楽を手に入れた。
そこに辿り着くまでにアヤさんがどんなことを思い、悔み、苦しんだか…
私には想像もできない。
でもそれを選び、立ち向かい、求めたアヤさんはそのとき、最も純粋で単純な…
だからこそ見失っていたものを見つけたんだと思う」


そう。

それは。


「『音楽が好き』だっていう、気持ち」


ピク、と、アヤの睫毛が揺れる。


「『孤独』を発信したかった。
『孤独』を伝えたかった。
『孤独』を形にしたかった。
そんな方法はいくらでもある。
けれどアヤさんは、『音楽』を選んだ。
その根本にはやっぱり、『音楽』への思いがあったに違いないもの。
その根本に立ち戻ったとき、きっとアヤさんは『進化』した…違う?」



「……たいしたものね」



どこか恍惚としたように、
アヤは吐息をもらした。


「でも肝心の謎が解けていないわ。私が脱獄を繰り返す理由」


聞きながら、アヤはもうその答えを私が知っていると悟っているようだった。

そしてその答えを私が見つけていたことを
喜んでいるようにも見えた。

でも

私は…。


「外は『雑音』が多いから…」


私のその一言で、
憑き物が落ちたようにアヤはスッキリとした瞳になった。

ああ、やっぱり、と思う。

私の考えは間違ってなかった。

でもそれは
やっぱりどこか淋しくて

…悲しい、

そんな現実だった。


アヤはそれを望んだ。

でも私は
それを悲しいと思う。


「アヤさんは、もっと『音楽』と向き合いたい。
自分の中に沈んでいる何かと向き合いたい。
それを遂行する場に、アヤさんは『刑務所』を選んだ。
自分と向き合うには絶好の場所だし、どうやったって『外』は『雑音』が多いから」


彼女は、濁りたくないと。
そう言っているのだ。

でも。


「だから刑期を伸ばすため、アヤさんはこうして外に出る。
何も悪い事はしないのに、ただ、…出る」


「その通りよ」


あっさりと肯定するアヤ。

でも。


私には、もうわかっている。


今私が言ったすべては、
彼女の『言ってほしかったこと』。

彼女自身も触れたくない『真実』は、
別にある。


彼女はもう
濁らない。

どこにいても
濁らない。

『音楽』と向き合うのに刑務所がいいなんていうのはアヤ自身が自分にかけた詭弁だ。

『外』に『雑音』が多いのは真実だが、
もうその『雑音』はアヤを惑わせない。

それでもアヤは
あそこから出ない。

なぜか。

アヤはまだ
引きずっているから。


大切な人を殺してしまった罪を。


十分すぎるなんて償いは
きっと存在しない。

アヤは誰よりもそれを知っている。


大切だった人を殺した罪。
その大切だった人の大切な人たちを悲しませた罪。
大切な人を失った悲しみ。
後悔。

それを償うには、彼らが愛してくれた『音楽』を続けなければならない。

『音楽』を続けたい。

『音楽』を愛している。

でもその『音楽』がなければ彼らを殺さなかったという思い。


『音楽』を愛しているのに
『音楽』を愛してはいけない

…パラドックス。


これが、
アヤを『罪』の檻である場所に縛り付ける。


アヤ自身も認めたくない
…『本当』。


アヤはそれを望んだ。

でも私は
それを…悲しいと思う。


「さすがね探偵さん。寸分違わずその通りよ。
…でもね、私が外に出る理由はもうひとつあるわ」


…え?

思わせぶりにアヤがそう言ったときだった。



息が、止まった。



言葉通り、止まったのだ。

襟首引っ張られて、首が絞まったから。


「〜〜〜〜っ!!」

「つまらん。行くぞ」


温度のない言葉でそう言い、
ネウロは私を引きずる。

こうなってしまうと、もう従う以外の行動ができたためしがない。

せめて、と私はアヤを見る。

このまま別れるのは礼儀に反する。

低酸素でくらくらしながらもなんとか手を振ると、彼女は笑いながら手を振り返してくれた。

ごめん。
本当にごめんなさい。

こうしてアヤとの再会は、ものすごく中途半端に終わらされてしまった。


なに。

なんなの。

さっきまで黙って聞いてたくせに、
なんで急に痺れきらしたのこの男!!

咳こみながら睨みつけると、
感情の読みとれない目でネウロが私を見下ろしている。

その絶対零度の視線。


なんだかよくわからないが、

機嫌は
良くない。


Next…

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