100のお題(1-40)
□004 故に、希望
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「月は、光ってない」
「は?」
唐突な坂田の言葉が、土方の視線を中空から引き戻した。見下ろした先にこれといった表情は浮いておらず、発言の意図は汲み取れない。
土方を見返しているような、何も見ていないような、不確かな色をした瞳が一対。澱んだ目をしているのはいつものことだが、どうもそれとも違う気がした。何故いきなり理科の教師みたいなことなど言い出したのか、土方に思い当たる節はない。
月が輝くのは太陽光が反射しているから。そんなのとうの昔に習ったことだ。今更復習でもするつもりだろうか。たしかに坂田の成績は小学校からやり直した方がいいレベルではあるが。
「…やっと勉強する気になったのか?」
茶化してみても、坂田は表情を変えなかった。何かあったのかもしれない。今日は会った時から口数が少なめではあった。
住宅街の中にある小さな公園には他に人もおらず、離れた道を車が通る音だけが時おり聞こえる。静かだ。黙っていても間が持たないわけではなく沈黙も心地好いくらい気心の知れた関係だが、気掛かりな言葉を聞いた後なのでどうも落ち着かなかった。
ベンチの右端に座る土方と、その横に寝転ぶ坂田。そう長いベンチではないので、坂田は膝上までを乗せて足は地に着けていた。銀色の髪の先は、土方に触れそうで触れない。
「…俺さ…」
「おう」
「…やっぱ言わね」
「は?ざけんな、気になるじゃねーか。言えよ」
荒い言葉で抗議をするが、坂田は唇を一文字にしてそれ以上を語ろうとはしなかった。少ないヒントを元に語られなかった言葉の続きを考えてみるが、どうにも頭がうまく働かず諦める。アルコールのせいだ。足下には空になったビールの缶が転がしてある。
遅い花見をしようと、言い出したのは坂田だった。土方がちょうど体調を崩していて、桜が満開の頃には行けなかったのだ。別に約束をしていたわけではなかった。たしかに二人は仲の良い友人同士だが、互いに他にも友人達はいる。イベントごとが好きな坂田はきっとそいつらと花見をするのだと思っていたのだが、行かなかったのだと言う。
理由を問うても「なんとなく」としか答えないが、どうせ妙な気遣いを起こしたに違いなかった。バカだと思ったが、それ以上に嬉しさを感じてしまったのも事実だ。だから、こんな風情のない花見にも文句を言わず付き合っている。
「…」
「…」
坂田は未だに口をつぐんだまま、ベンチを覆うように枝を広げた桜の花を見ていた。否、もう既にそこに花はない。完全なる葉桜だ。昼間なら青々とした美しさも感じられるかもしれないが、暗がりの中ではその色彩も黒によって濁らされてしまっていた。わざわざ見るようなものでもない。
その枝葉にちょうど半分ほど隠された月に、目がいく。満月には至らない中途半端な円形。
「なあ」
「言う気になったかよ」
「あー…」
「…んだよ、はっきり言えっての。情けねェな」
挑発しても坂田は口の中でよくわからぬ呻きを発するばかりで、結局また黙りこんでしまう。これでは埒があかない。
それでも、一向にこちらを見ようとしない坂田の顔を見ていると、言葉にされない気持ちの正体がわかったような気がした。自惚れているのかもしれないが、正直確信はある。それは土方自身がずっと前から言いたくて、けれど今の坂田のように言い出せなかった言葉でもあった。
今ならば、言える気がする。言葉に窮した友人に助け船を出すようなこのタイミングなら。
「…好きだ」
「え…?なん…す…えっ!?」
土方の短い言葉が放たれるや否や、見事な素早さで坂田は跳ね起き、その勢いのままベンチの上に正座をした。普段だらしなく丸められがちな背筋は伸ばされ、死んだようと揶揄される目は生命そのもののように輝いている。ベンチ脇の照明の光を反射しているからだと知りつつ、土方は魅せられたようにその瞳を見返した。
沈黙。
心臓が今さら胸を叩いて痛い。早とちりだったのではと、最悪のパターンを脳裏に描く。坂田の様子を見る限りもう答えは明かされているようなものだったが、やはり本人の口から聞くまでは安心出来なかった。
僅かに、目の前の唇が形を変える。
「…あのさ、俺も…好きだ」
初めて習った言葉を繰り返すように、坂田もゆっくりとそう言った。