話4
□拙い願い
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赤い絨毯の敷き詰められた廊下は、屋敷の広さを見せつけるように延々と続いている。等間隔にぶら下がったシャンデリアに照らされながら、坂田は一人、記憶をなぞるようにゆっくりと歩いていた。
壁際には悪趣味な美術品が飾られている。これは館の主の趣味ではないだろう。おそらく、その従者が贈り主に気を遣って並べたものだ。
同じものが坂田の家にもあるが、こんな風に律儀に並べたりせず物置に放り込んである。
突き当たりを曲がると、黒いマントを纏った背中が目に入った。坂田の気配を感じたらしく、立ち止まってこちらを振り返る。
「なあ、従者くん」
「はい、どのような御用件でしょうか、坂田様」
早足で近付きながら声を掛けると、仏頂面で応対された。愛想笑いの出来ぬ男であることは知っているので、特に気にしない。
そのまますぐ傍まで近付き、立ち止まった。
「その堅苦しい呼び方止めてくんね?銀時でいいって」
「申し訳御座いませんが、主人に命じられておりますので」
「あの陰険野郎……。まあ構わねえよ、呼び方なんざどーでも」
それより、と言って坂田は笑みを浮かべる。肩に手を乗せると、土方の身体が警戒で硬くなるのが分かった。
「どーせコッチも禁止されてんだろーけど……、無理矢理ならおまえも命令違反にはならねーよな?」
「坂田様、お止めください。俺は、貴方を殺してでも逃れるよう命令されております」
「えげつない命令すんな、あいつも。こうなることお見通しってやつかよ」
「ええ。ですので、手をお離しください」
土方の真っ直ぐな瞳が坂田を捉えている。その視線が相手を煽るのだと、主は教えてやるべきだったのだ。火の着いた欲望は、脅し程度じゃ消えやしない。
「殺してもいいぜ?出来るもんならな」
そう言うと同時に、右手で土方の心臓を貫いた。虚を衝かれてバランスを失った身体をそのまま押し倒し、床に串刺しにする。
「……っ!」
「心臓再生しねーと、さすがに死んじまうか?」
そう言って笑う坂田の口には幾本もの牙が並んでいる。
勢いよく右手を引き抜き、滴る血を長い舌で舐め上げた。
穴の空いた左胸はすぐに塞がろうとするが、再生しきる直前でまた貫く。
土方は逃れようともがくが、押さえ付ける坂田の力には到底敵わない。強い男であることは知っていたが、本気を出した坂田にかかれば赤子も同然だ。
「ぁ……お止めくだ、さい……、坂田様」
「嫌でーす。つーかさ、あいつ勿体ねーことするよな。こーんな旨そうな身体があんのに血しか吸わねーなんて」
肩に食らい付き、まずは邪魔な服を引きちぎる。剥き出しになった白い肩を骨ごと噛み砕いた。血肉の味が口いっぱいに広がる。程よく筋肉のついた肩は歯応えがいい。
「最高」
音をたてて咀嚼し、飲み込む。その間、右手は刺したり抜いたりの動きを繰り返していた。
土方の人形のように整った顔が、痛みで歪んでいる。その表情は、並べられた置物なんかよりよほど芸術的だ。
「ぐっ……ぅ、あ……」
「やっぱすげーな……、『もっと食べて』って言ってるみてー」
土方の肩は、噛み千切った端から再生する。食べ放題だ。坂田は益々の喜色を浮かべ、二口目を、と大きく開いた口を寄せた。
その瞬間。
銃声が響いた。
「!」
坂田は間一髪のところで後方へ退いて避ける。
「あー、もう来たのかよ」
視線の先には、猟銃を構える高杉の姿があった。
いつもより伸びた長い二本の牙が、シャンデリアの光を反射している。全身から迸る殺気で、高杉の周囲の空気は黒ずんで見えた。
「殺す」
「いやいや無理だろ、おまえじゃ」
二発目の銃弾を軽々と避ける。だがその間に、自由を取り戻した土方は高杉の元に行ってしまった。その身体は既に再生しきっており、当然のことながら坂田の痕跡は衣服にしか残っていない。
少々つまらない思いで、並んだ二人を眺める。
三発目の弾を避けると、それは置物の一つに当たった。ガラスの砕ける音が派手に響き渡る。
「やめなさーい!」
そろそろ反撃してやろうかと足に力を入れた時、第三者から制止の声がかかった。同時に、首根っこを掴まれる。
「うわー、うるさいのがきたよ」
振り向くと、桂の顔が間近にあった。乗っていた箒からおり、桂は片手を腰にあてて坂田を睨む。
「んもう、せっかく久し振りに集まったのに喧嘩なんてしちゃダメでしょう!」
「親戚のおばさんかテメーは」
脱力してそう突っ込む坂田の傍に、高杉が歩み寄ってきた。手に持った銃は下げられている。殺気はまだ出ているものの、坂田を射殺するのは諦めたようだ。
「ヅラ、そいつ連れて帰れ」
「ヅラじゃなくて桂だ!」
お約束のやり取りをしながらも、桂は坂田を箒に座らせようとする。
もう二、三口土方の身体を味わいたかったが、来年のお楽しみにするしかなさそうだ。抵抗するのも面倒なので、坂田は大人しく従った。
「二人とも、今日はありがとう。では……ああ、そうだ」
屋敷の主とその従者に挨拶を述べ、桂は銃弾によって破壊されたガラスに視線を向けた。手を一振りし、短い杖を出現させる。
「元の形にもっどれー☆」
弾んだ声で言いながら杖の先を向けると、趣味の悪い形の花瓶が一瞬で姿を現した。
それを満足そうに見やり、桂は箒を発進させる。
「また来年会おう!」
「来なくていい」
高杉は溜め息を吐き、二人を見送ることもなく踵を返した。
「痛い思いさせてごめんなー」
そう言いながら坂田が手を振ると、土方は相変わらずの仏頂面で頭を下げ、立ち去る高杉の後を追っていった。