夢物語
□牙を隠して
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「野獣の日って、晋助にぴったりだねえ」
「この状況で随分余裕じゃねェか」
床の上に突然組み敷かれ、それでも笑みは崩さないか。いつにも増して可愛いげのない女だ。
面白くなくて、自然と押さえつける手に力が入る。驚いた顔や声を得られれば、それで満足して解放するつもりだったのに。こんな風に挑発的な態度を取られては、俺も引くに引けない。
「本気で襲われてェのか?」
「んー、私襲いたい派なんだよねえ
」
低い声で挑発したところでのらりくらりとかわされる。いつものことだ。目と目は合っているはずなのに、何を考えているのかは少しも見通せない。
誘われるがままに家までついてくるくせに、そしてこんなに簡単に組み敷かれるくせに、それ以上を許さない何かがこいつにはある。
気にくわない。こんなに思い通りにならない女は初めてだった。
無理矢理に事を進めるのは嫌だった。そんなことをしたところで、後で虚しくなることはわかりきっている。だからと言って、このまま引き下がるのも癪だ。
どうしてくれよう。
「えーい」
ゆるい掛け声と共に、信じられない力が掛かるのを感じた。驚きの声をあげる余裕すらないほど一瞬のうちに、体勢を崩され、そのままひっくり返される。
いくら考え事をしていたからと言って、こうも簡単に形勢を逆転されるとは。背中に床の固さを感じても、まだ信じられない。
「なにしやがる…」
「小、中ってずっと柔道習ってたんだよねえ」
俺に馬乗りになったななこは、呑気にそう言い放った。とても柔道をやってきた体とは思えない軽さだが、実際にこうして馬乗りされているんだから事実なのだろう。
「これはこれで悪くねェか…」
強がり半分本音半分の呟きを洩らす。
設定温度に達したのか、クーラーの音が小さくなった。閉めきった窓の外からは蝉の声が聞こえる。それ以外は静かだ。
ななこは観察でもするように俺の顔を見下ろしていた。面白がっているのか馬鹿にしているのか、赤い唇の端が僅かに上がっている。指先でその曲線なぞってやろうか。幸い手は拘束されていない。
「誕生日おめでとう」
先手を打つようにななこが言った。どうやらまっとうに人を祝うことも出来るらしい。それならば、とあげた右手を頬に添える。
「プレゼント寄越せよ」
「やだなあ、恐喝?」
ななこは余裕の笑みで受け流した。
この野郎。いい加減キレんぞ。
睨みつける目に力を込める。ここまで舐められて我慢出来るほど、俺も大人ではない。一つ年を取った程度では何も変わりゃしないのだ。
頬にあてた手をななこの頭の後ろに回し、引き寄せようとした。
けれどななこは、そんな俺の右手を奪って床に押さえつけた。しなやかな指に手首を強く握られ、血の流れが悪くなっていくのがわかる。下手をすれば折られるのではないかとすら思った。こんな馬鹿力は一体どこから出ているのか。
ななこの顔には、これまでの呑気さとは違った雰囲気が宿っていた。
例えるならば。
獲物を捕らえた、獣。
「はい、どーぞ」
声ばかりは変わらずに呑気なななこは、ゆっくりと顔を近付け、動けずにいる俺の唇を奪った。
「…なんなんだよお前」
落ち着こうと作ったホットミルクを飲みながら、テーブルの向こうのななこを睨む。
ななこは獣の面を何処にしまったのか、いつものへらへらした顔で俺に微笑みかけた。
「言ったでしょう?襲うより襲いたい派だって」
「俺だってそうだ」
「我慢してよね、一歳上なんだからさ」
ななこは当たり前だと言わんばかりにそう言い切って、グラスに入ったコーラを飲み干した。
溜息をついて、ホットミルクを一口啜る。
「お前の誕生日は?」
「3月」
「…そんときゃ覚えてろよ…」
「その時は本気の奪い合いだねえ」
まあ私が勝つけど、と不穏な呟きを洩らして、一瞬ななこはまた獣の顔をした。
今日から筋トレをしようと決めた、17度目の誕生日。
終
夢物語