□海を渡る
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水が全てなくなった海を見てみたい。ずっと続く砂浜を歩いて、遠い遠い所へ行ってみたい。海を渡ったらどんな気持ちがするんだろうか。




「うらァァァァァ!」

思いっきり蹴り上げたスニーカーは、虹を描くように宙を舞って消えていった。きっと、十四郎は呆れ顔で俺の奇行を眺めている。

夏が来る。飽きもせず、なんの遠慮もなく、季節は巡ることをやめない。

早く来いよと思う反面、来てくれるなとも思った。我ながら複雑だ。

右足も振り上げて靴を飛ばすと、バランスを崩して後ろにひっくり返りそうになった。体勢を立て直し、額の汗をぬぐって咳払いを一つ。

スニーカーは沈んで、浮かび上がっては来なかった。いつかどこかの砂浜に打ち上げられて、ゴミとして処理されるのだろうか。
もしかしたら小魚が住み着くかもしれない。
別に遺棄してしまいたかったわけではなく、なんなら結構気に入っていた靴なのだが。

あまりに考えなしの行動に、自分が平常心を失っているのだとわかる。

まだ少し冷たい波が伸びてきて足を洗った。潮に濡れた靴下も、脱いで丸めて放り投げる。帰り道のことは頭から追いやった。いっそこのままずっとこの海にいればいい。

そして全ての水が干上がる日がきたら、広大な砂浜をどこまでも歩いていくのだ。

海原の方に歩み寄ると、裾が水に浸かった。
後ろから声がして振り向くと、いつの間にか真後ろに十四郎が立っていた。

「入水自殺でもする気かよ、寂しい奴だな。失恋でもしたか?」

「そんなんじゃねーよ」

ドキリとすることを冗談めかして軽く言ってのける十四郎に反感をおぼえた。
誰のせいで俺が気に入っているスニーカーをうっかり海の藻屑にしてしまったと思っているのか。


俺は、もはや確信していた。もしかしたらと思い続け、けれど認めてしまったら自分が情けなくてたまらないから目を逸らしていた一つの仮説。

十四郎は俺の気持ちに気付いている。
気付いていて、こうして生殺しのように友達でいることをやめないのだ。


心の中で哀れんでいるのだろうか。男を…しかも幼なじみを好きになって、女々しくも想いを告げられずにいる俺のことを。同情で傍にいてくれているのではないだろうか。或いは好奇心かなにかで。
そんな風に考え始めると止まらなかった。

「しけた面してんなよ。スニーカーならまた買えばいいじゃねーか」

「…ちげーよ」

十四郎から顔を背け、海原に再び向き合う。潮が満ちてきているのだろうか。寄せ来る波は、俺の願いを押し流すように少しずつ大きくなっている気がした。


何故こいつを海になど誘ってしまったのだろうか。一緒に歩いていけるわけもないのに。

今こんなにも逃げ出したい気持ちでいっぱいで、けれど体は十四郎から離れることを拒んで、なのに触れることすら俺には出来ない。心と体の間で理性が悲鳴をあげている。俺を奇行に走らせる。

叶わないことは初めから承知だったし、秘め続けようと決めていた。けれど、十四郎は気付いているのだ。
どうせなら蔑んで突き放してくれれば諦めもつくのに。何故だかこいつはずっと傍にいて、時々挑発するようなことを言うくせに確信には触れてこない。


「オメーが来たいっていうから来たんだろーが。もうちょっと楽しそうにしやがれ」

水音をたてて俺の正面に回り込んだ十四郎が、とっさに視線を逸らした俺の両頬をつねった。
小さな頃から変わらない、不器用なこいつなりの優しい窘め方。

触れられた頬に熱が集まった気がした。けれどそれはいつもの思い過ごしで、俺の顔はむしろ血の色をなくしているだろう。


本当は秘め続ける勇気なんてなくて、けれど告げることはそれ以上に恐ろしくて、自分自身がいつだって中途半端な振る舞いをしていたのだ。そうして長い時を一緒に過ごした。
ただ流れに身を任せて、十四郎に現状を打破してもらおうとしていたのだ。

気付かれて当然、そして確信に触れられないのも当然。全て俺が招いた結果だ。

だから、何より怖いのは気持ち悪いと蔑まれることではなく、卑怯者と罵られることだった。

「悪ィ…」

今だってほら、返事に紛らせて自分の愚行を詫びている。卑怯だ、あまりにみっともない。わかっているのに。

「だから、ンな面で謝ってねーで楽しめつってんだよ」

十四郎は少しだけ笑みを浮かべて両手を離した。
そうやって甘やかすから俺はお前から離れられないんだ、なんて、また。

お前を好きでいることで、俺はあと何度俺に失望したらいいのだろう。



そんなもんは自分次第だと、波音が言った。
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