話
□幻惑
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「お前ってよォ…なんか、色っぽいな」
「は?」
いきなり気色悪いこと(自覚はある)を言い出した俺を、土方が漫画本から顔をあげて睨んだ。
気の弱い奴なら殺せそうなほど凶悪な視線だけれども、その目つきすらやたら色っぽく感じて俺の両耳には熱が集まる。
なんかヤバい気がする。俺ったらどうした?
心臓までバクバクいっている。マジヤバい。変だ、おかしい、有り得ない。
ずっと一緒にいるのに何で今まで気づかなかったんだ?
いや、そういう問題じゃねェな。
あーもう何だコレ。
「…わけがわからねェ」
「それはこっちのセリフだ」
不機嫌な声もやっぱり色っぽい。低い響きが部屋中の空気を、そして俺の心を波打たせる。顔全体にまで熱が広がってきて焦った。
落ち着け、俺。頬を両手で何度か叩いてみたがなんの解決にもならない。
土方は呆れ顔だ。そして普段なら腹がたつはずのその表情すら、何故だか今日は色っぽく見えてしまった。
一体何が起きたのだ。もしや残った右目の方までおかしくなって、今までとは違う世界が見えるようになったのだろうか。
喧嘩する相手ほど色っぽく見える、それならば説明がつく。
そうだ、そうに違いない。帰りに眼科に寄ろう。
「お前…」
「んなっ!?」
異常現象に納得がいって一つ息をついたところに急に近付かれ、声が裏返った。
心臓が痛いほど暴れ、頭はクラクラする。何しやがるこの色魔。そんな言葉は声にならずに荒い息の中に消えた。
「熱、あんじゃね?」
「わかんね、けど…」
言われてみるとそんな気もする。というか改めて考えてみればそれしか有り得ない。
第一こんなガサツで無愛想な土方が色っぽいわけがない。
俺はホモじゃないし、本来色気を感じるのは年上の女だけなのだ。
熱のせいで判断力が低下したからこんな妙な思いを抱いてしまったのだろう。
俺はおかしくなどない、全ては熱のせいだ。
眼科じゃなくて内科に寄ろう。
安心するとどっと疲れて本棚に体重を預け目を閉じた。
少し上を向いて吐く息は荒くなっていていつもより熱く、蒸気機関車にでもなった気分だ。
手から滑り落ちた本を拾い上げる気にすらなれない。
「ったく…」
小さく舌打ちをした土方が俺の額に手をあてた。冷たくて気持ちが良くて…ずっとこうしていてもらいたいと思った。
目を瞑ったまま手のひらの感触に浸る。
「やっぱりな…保健室行こうぜ」
「おう…」
離れていく手に追い縋るようにして立ち上がったところで、突然目の前が暗くなった。
立ち眩みか。静かな書庫の中で、耳鳴りが響いて脳を刺激する。駄目だ、頭痛ェ…。
「大丈夫か?」
倒れそうになった体が支えられ、ゆっくりとまた床に座らされた。
普段健康な分いざ病気になると弱いことは自分でも知っていたが、これは失態だ。喧嘩相手にこんな姿を見られるなんて。
けれど、土方は柄にも無く弱っている俺をからかうでもなく心配そうな顔をしていた。お互いらしくなさすぎて笑えてくる。
けれどその笑いも力なく鼻から息が漏れるだけで、いつもの自分を保てない様の情けなさを実感した。
縋るような気持ちで目の前の首に手をまわし頭を肩に乗せてみると、俺の体温と反比例しているからか冷たく感じて痛みが少しばかり遠のいた。
「そんなに辛いのか?先生呼んでくるから待ってろ」
俺の拘束から逃れた土方はいつもより柔らかい発声でそう告げると、立ち上がって歩いていってしまった。荒い息を繰り返しながら、後姿をぼんやりと眺める。
おいおい、背中にまで色気感じるぞ。最近の風邪ってやつはこんなにタチが悪いのか。
頭がまた痛みだした上にひどい寒気に襲われて、おまけに何故か目まで潤んできた。
決して土方と離れるのが悲しいわけじゃない。こんなもんただの生理現象だ。絶対にそうだ。俺は病人なんだから。
「ひじかた」
どうにかしてほしくて背中に向けて小さく名前を呼んだけれど、無情にもドアが閉まる音の方が早かった。
遠くなっていく足音すら色っぽく感じる。
鈍ったのか鋭くなったのかわからない感覚の全てが土方に照準を合わせていたことに気づいた。
高熱のせいだ、だからこんな状態になってしまったんだ。言うなれば母に頼りきる幼子だ。…本当にそうだよな、俺。
痛みの募る頭でそんなことを考えた。けれど脳裏に浮かぶのは土方の顔ばかりだ。
畜生、俺は何科に寄ればいいんだ。
たまらず倒れこんだ床は埃っぽくて、なんだか悲しい気持ちになった。
終
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