□夜半珍事
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「最初っからだろーが。人のせいにすんじゃねェ」

自分の方に少し身を乗り出した山崎の頭を軽く叩いた。
叱るような言葉とは裏腹に口調は柔らかく、微かな笑いまで含んでいる。

極度の疲労と解放感が土方から鬼の副長の仮面を完全に取り去っていた。普段見せている仏頂面はすっかり影を潜め、纏う雰囲気も穏やかそのものだ。

もし他の隊士と一緒だったならこうはならなかっただろうと土方は思う。
長い付き合いである近藤や沖田相手ならともかく、鬼を恐れるからこそ従う者たちに素の姿など見せられるわけがないのだ。

それが何故か山崎相手だと気が弛んだ。
普段隊内で顔を合わせる時なんかは怒鳴りつけたり殴る蹴るの制裁を加えたりして、他の隊士への見せしめともいえる手ひどい扱いをしている。
しかしこうして二人きりで部屋に籠もるとなると、最初こそ威厳を保つ気でいたのだが気付けば「山崎だしいいか」などという言葉が頭に浮かんでいたのだ。

前言撤回というのは男らしくないのであまり好きではなかった。けれどそれすら疲労のあまりどうでもよくなってしまった。
それほど無防備になった一連の思考に対して、土方は「こんなこともあるんだな」という感想を持ったのだ。

「今日くらい気を許してもいいかと思った。それが自分でも珍しかった」

簡潔に答えると、山崎は目を丸くした。その間の抜けた顔が微笑ましく思え、土方は小さく噴き出す。
山崎にとっては信じがたい変化に違いない。さっきからあまりに普段の土方とはかけ離れた行動を取っている。
やはりどうかしてしまったのではないか、などと大いに訝しんで自分を観察しているように見えた。

しかしどう疑われようとこちらが本性なのだから、と土方は鷹揚に構えて山崎が何か言い出すのを待つ。

「今までは…気を許せませんでしたか?」

意を決したようにそう問い掛けてくる山崎の顔は真剣だった。そんな真剣さの中に不安が見え隠れする。

答えはすぐにでも言えたが、簡単に言い切ってしまえば傷つくのではないかと案じ、土方は頬を掻いて少しだけ間を取った。
疲れきって痺れたようになっている脳で、なるべく適した言葉を選び出そうと試みる。

「鬼は、必要だ。この荒くれた隊を纏めるには近藤さんのようなお人好しだけじゃ足りねェ。厳しく律する役割を誰かが演じなきゃならねーんだ。それはわかるだろ?」

「はい…」

そう答える山崎の声は心なしか硬い。
どうやらいつもの土方に対する時より緊張感が増しているようだった。こういうのを人見知りとでもいうのだろうか、同じ人物相手におかしな話ではあるが。

あるいは新手の罠かと警戒しているのかもしれない。優しい態度で油断させて最後に叩きのめされる、とでも勘繰っているのではあるまいか。
そこまで性悪だと思われているのか、と土方は勝手に落胆した。けれど気を取り直し、誤解があるならば解けるようにと言葉を繋げていく。

「総吾じゃまだ若ェしな、俺がやるのが適当だった。演じる以上は完璧に成りきる必要がある。鬼の副長がハリボテだなんて知れたら隊士に示しがつかねーからな」

「じゃあ今まで俺が見てきた副長は…」

「まァ仕事用の顔ってところだ。本当はもっと気楽に生きてェんだが、大将のためなら俺ァ何でもやるって決めたからな」

少し自嘲気味に笑ってしまう。自分自身で決めてやってきたことなのだから後悔があるわけではない。
ただ、それでも辛くなることがないわけではなかった。
一日の疲労ごときで仮面を取ってしまったのも、兼ねてからの抑圧で疲れが溜まっていたからかもしれない。

「…………」

視線を逸らして黙り込んでしまった山崎に、やはり素の自分についてくる気にはなれないのだろうか、とまた勝手に邪推して落胆する。
鬼モードの時には気にならないことが、こうして肩の力を抜いていると身に刺さってしまう。
本来は向いてなどいないのだ、人の悪意を一身に受けるような仕事は。そもそも向いている人間などいやしないだろうが。

「…こんな上司は嫌か?」

まだ何も言わない山崎に自ら問いかける。
山崎は一度視線を上げ、目が合うとあちこちへ泳がせてしまった。答えにくいということは、やはり肯定なのだろうか。

「あの…嫌なんかじゃないです」

残った気力を総動員して鬼を呼び出そうとしていたところに、予想外の言葉が聞こえた。
今度は土方が目を丸くする番だった。
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