話
□線知らずの
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最終授業終了のチャイムが鳴って暫く経った頃、一定のリズムを刻んだ足音が近付いてくる。
「せんせぇ」
そう自分を呼んで扉を開ける時、土方の声が少しだけ幼くなることに坂田は気づいていた。まるで母親を求める小さな子供のような声音だ。
それに続いて現れるのが第二次性徴期の真っ只中にいる男子生徒であることを知っていても、実際に土方の姿を目にする度に坂田は不思議な気持ちになる。
「お前さァ、保健室来すぎ。毎日毎日来るのはさすがにどうかと思うんだけど」
馴れた足取りでデスク横までやってきた土方に苦言を呈した。ここはお前の家じゃねーぞ、ともつけ加える。毎日同じことを言い続けて既に挨拶代わりになっている。
「今日は風が強いよな」
土方は今日も坂田の言葉を無視し、天候の話なんぞをする。けれどその口ぶりは、風速が何メートルだろうがどうでもいいとでも言いたげな、投げやりなものだった。
いい加減説教してやろうか考え込む坂田の目の前で、土方は生徒記録の確認をいつも通り許可なく始めていた。その勝手気儘な態度に、怒る気すら失せる。
記録用のノートは個人情報保護のためデスクの引き出しにしまってある。面倒臭がりの坂田なので鍵までは掛けていないものの、とりあえず簡単には他人の目に触れないように配慮していた。
だから初めの頃は、土方がデスクに手を伸ばす度に注意をしていた。けれど言っても聞き流されるだけだし、悪用する素振りもなかったので諦めてしまった。
実際大したことは書いていない。誰が、何時に、何の用で来て、どんな処置を施したか、そんな簡単なメモのようなものだった。
それでも土方は毎日飽きずにやって来ては、飽きずにそれを確認する。
「猿飛の奴今日も来たのかよ」
ちっと舌打ちをして、土方が顔をあげた。
「体育で顔面にバスケットボールが当たったんだってよ」
「またかよ!」
猿飛というのは週に2回か3回はやってくる女生徒で、土方に次ぐ常連だ。
処置中の坂田の顔面を穴が空くほど見つめ、隙あらば抱きついてこようとするという、これまた扱いに困る生徒でもある。
ただ土方とは違って毎度毎度なんかしらの怪我を原因にしてやってくるのだから、まだ節度があると言えるのかもしれない。
一度その抱きつかれた現場に土方が遭遇したことがある。それから土方は記録の中に猿飛の名前を見つける度、露骨に嫌がるようになっていた。
「どうせ自分からぶつかりにいってんだろーが、甘やかしてねェで放っときゃいいんだ」
「いやいやいや、職務放棄だからソレ」
自分のことを棚上げにして吐き捨てるように言う土方にツッコミを入れる。
ちなみに土方の名前は記録に加えないことにしている。怪我でも病気でもないこの生徒をどう書き表せばいいのかわからないのだ。
いっそ頭の病気とでもしたいところだが、一応は教頭に提出する義務があるものなので下手なことは書けない。
「コーヒー飲むけど先生もいるだろ?」
日課を終わらせた土方は当然のように備えつけのキッチンへと向かい、薬缶に水を注ぎながら聞いてくる。
ここお前の家じゃねーから!と再度言いたくなった。けれど、第二の我が家だと平然と答えられてしまったことがあるのを思い出して止める。
保健室が第二の家って大分悲しい青春ではなかろうか。しかし当の本人は至って平然としている。
今でこそ大した用もなくやってくるようになったこの土方も、最初はれっきとした理由があって保健室を訪れる生徒だった。
喘息持ちで、時々発作を起こしてはベッドを借りにくることがあったのだ。
そういえば、ここ3ヶ月程は担ぎ込まれてきていなかった。いつも土方を背負ってきていた体格がよくて声のデカい、よく言えば素直で悪く言えば単純な生徒とも暫く顔を合わせていない。
毎度毎度「トシ、しっかりしろ!」などと叫びながら盛大な足音を響かせて保健室へ向かって来るものだから、一時期は土方の発作が校内の名物になっていたほどだ。
坂田は土方に精神的なストレスがかかるのではないかと危惧したが、本人はさして気にしていないようだった。
そして今では不思議と状態も安定している。