□ヨヨと泣く風に付いて
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こうなれば少しでも早く到着するより他に身を守る方法はない。土方は雨を避けるのを諦め、人気のない裏通りを走った。



目指していた古い家の戸の前で立ち止まると、荒くなった息が白く現れてはすぐに消えていった。運動をしたので体は少し温まっていたが、それでも風が吹き付ける度に肌寒さを感じる。
一刻も早く中に入って暖まりたかった。土方はその本能を殺し、深呼吸を繰り返す。そして腹筋に力を入れて、震えそうになる体を抑えつけた。

拳で眼前の木戸を四度叩くと、強くなった雨音の中、湿り気を含んだ木の音が確かに響いた。

「よう」

「おう」

戸を開けて高杉が姿を現すまでに、長い時間はかからなかった。心配させまいと可能な限り平静を装っていたが、顔色や濡れた体までは隠せない。全身を一瞥した高杉に思いきり腕を掴まれ、家の中に引き入れられた。
折り畳む暇もなかった傘が手から落ちて転がった。声をあげる間もなく抱き締められ、口を塞がれた。

閉じていない戸の向こうで、暫くは止まない雨が降り続いている。
風が吹き込んでくるが、高杉のぬくもりに守られてもう寒さは感じなかった。人肌というのはやはり温かいのだな、と土方は寒くなり始める度に思うことを今年も心中で呟く。



触れるだけの口付けを一度してからは、高杉はただ黙って土方の体を抱き締めて両手で背中をさするだけだった。土方も同じように抱き締めたかったが、両手が濡れていたので躊躇われる。指先でそっと派手な着物の袖をつまむに留めた。

こうしてまた無事に出会えたことと、寒さから逃れた安堵があった。けれど一つ、高杉の様子がいつもと違うことが不安だった。
大抵は激しく口付けを繰り返して、そのまま布団になだれ込む。そうでない時には開口一番、真選組への文句をつらつらと並べ立ててくるのだ。だからこうして顔を合わせてすぐに大人しくなるのは珍しい。

雨音が響いて、風が何かを転がす音も聞こえて、それでもとても静かだ。

「どうかしたのか?」

まだあまり温度の戻っていない指先に、力を込めなおして聞いた。

「いや…。外、寒かったろ」

「少しな」

「少しなもんかよ。冷え切ってんじゃねェか…すぐ風呂沸かすから体拭いとけ」

高杉はそう言って土方から離れた。開いたままの傘と戸に気づいたようで、素早い動きで玄関から身を乗り出した。傘を折り畳み、傘立てに入れて戸を閉める。それだけのことを短時間でこなしたにも係わらず、戻ってきた高杉の黒髪や肩は雫で濡れていた。

「すげェ雨だな」

台風が近づく音は、一枚の木戸で遮られてもあまり小さくはならなかった。高杉は立ったままでいた土方の手を引いて、すぐ横の脱衣所に入る。畳まれて置いてあったタオルを一つ渡して、その奥の浴室に行った。土方はその後ろ姿をぼんやりと眺めながら腕や足を拭く。

やはり今日の高杉はおかしい。親切すぎる。
高杉というのは基本的に己の欲望を第一に考える男であるはずだ。土方に優しくなるのは決まって情事の後で、それまでは何と文句を言ったってろくに聞きもせず思うがままに土方に触れる。

別にその扱いに不満があったわけではなかった。上下の別はあるにせよ、二人はあくまで男同士で力も互角。土方だって本気で嫌な時には殴ってでも止めるのだから、余計な気遣いなどは無用だ。むしろ優しく抱かれでもしたならば、俺は女じゃねェと激怒することだろう。

それが今日はどうしたことか、高杉は土方を気遣いっぱなしだ。今だって自身が濡れていることなどお構いなしに、浴槽を綺麗に洗い流してから湯を溜めている。手を出してくることもない。

先ほど尋ねた時にははぐらかすような答えしか得られなかったが、やはり何かあったのだとしか思えなかった。以前会った時からは二週間ほど経っていたが、まさかその間に思いやりや節度というものを覚えたわけでもあるまい。

だとすると、なにか自分に後ろめたいようなことでもあるのだろうか。例えば…他に良い相手が出来たのだとか。

自身で勝手に思いついたその疑念は、少しずつ熱を取り戻していた土方の体を内側から冷やした。大きな身震いが起きる。

「おい、寒いのか?もうすぐだからな」

作業が一段落したらしくちょうどこちらに向かって来ていた高杉が、焦ったような声でそう言った。土方を抱き締め、その背を撫でる。

土方は手を下げたまま、ただ黙って不可解な優しさの中に抱かれていた。
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