話
□湿る
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顔をあげると、梅の木と隊服姿の総悟が同じ視界に収まる。
せめてこいつだけでも置いて行けば。そんな今更考えても仕方のないことを思う。
後悔にまみれた俺の視界の中で、総悟はいつもの無表情だった。体はでかくなっても顔立ちはあまり変わらないなと、幼き日の姿をそこに重ねる。
「あんた、いつまでそうしてる気ですかィ?」
「…もう一本吸ったら部屋に戻る」
そう答えると、総悟は何故か寄ってきて俺の隣に腰をおろした。
「うっとおしいんでさァ」
「あ?」
睨み付けると、正面を見ていた総悟が俺に向き合った。どこかあいつと似ているその目に見据えられる。
言葉を継げず、自分から視線を反らした。懐から取り出した煙草に火をつけて息を吐く。
「今更どうにもならねェこと思い悩むなんざ、馬鹿のすることですぜィ?」
「…知ったような口を利くんじゃねェよ」
紫煙とともに言葉を吐く。指で挟んだ煙草の端から空へと筋が伸びていくのを、なんとなく目で追った。しっとりとした空気の中に、慣れた匂いが溶けていく。
その煙草が音もなく総悟の手によって奪われた。驚いた拍子にまた視線がかち合う。
「知ってまさァ。何年見てっと思ってんだ土方バカヤロー」
煙草を持っていない方の手で、総悟が俺の頬に触れた。冷えた指先に、何故か熱を感じた。
あいつと似た、けれど全く違う二つの目。
短くなった煙草を総悟が咥え、俺から顔を反らして煙を吐いた。意外なことに、慣れた風情だった。
手が離れていく。
縁側に置いていた灰皿に煙草を押し付けて、総悟は薄く笑った。見たことのない表情に、戸惑いが増す。
「もう、遠慮しやせんから」
「…なにをだよ」
「俺は、小さい頃からずっと、あんたが好きなんでさァ」
言葉の意味を理解するのに、長い時間を要した。総悟は相変わらず、俺の知らない顔で俺を見ている。
いつの間にか大人びた総悟の顔から、何故か目が離せなかった。黒魔術でも掛けられているのだろうかと疑う。
ざざっ、と冷たい風が吹いて、煙草の匂いを追いやった。
代わりに香ってきた梅の花が、俺にある日の情景と言葉を思い出させる。
俺があいつを拒絶した、あの日の。
急に増した湿気が喉に絡み付いて、呼吸が乱れた。背中に汗の滲む感覚がある。
「あんたと姉上が幸せになれるなら、身を引こうと思ってやした」
俺の変化に気付いているのかいないのか、総悟は淡々と言葉を紡ぐ。
予想もしていなかった話に思わず目を丸くした。
「お前は…俺を憎んでるんじゃ…」
「憎めたら、良かったんですけどねィ」
総悟が俺たちの間にあった灰皿を静かにずらした。
背中の汗は雫になって滑り落ちていく。
「姉上の分もあんたを好きでいようって、決めたんでさァ」
そう言って総悟は、隣に座る俺との距離を縮めた。
返す言葉が思い付かない。動かぬ唇に煙草を挟みたくなる。懐に手を入れようとした。
それよりも早く、俺より華奢な体に抱き締められた。
梅の香りが遮られ、僅かに硝煙の匂いがする。
総悟の体や隊服は冷たく乾いていた。俺に纏わりつく梅雨が、吸収されていくような気がした。
「後悔するくらいなら、姉上の分も俺のこと見て下せェ」
ずるい言葉だと思った。こんな悪知恵いつの間に身に付けたのか。いや、出会った頃からこんな感じか。
なんだか頭がまとまらなかった。
変わったところがあり、変わらないところがあり、似ているところがあり、似ていないところがある。
こんな風に何かと比べるから混乱が起きるのかもしれない。
改めて一人の男として見れば、問題はもっとシンプルになるのだろうか。
そっと庭に視線を落とす。梅の木の影は、今はもうただの梅の木の影だった。
乾いた空気が汗ばんだ背中を冷やした。思わず身震いをする。
「寒いんですかィ?」
「…おかげさまでな」
男は心配そうに自分を見やる。やはりまだ少年らしさの残るその頭を、乱暴に撫でた。
終
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