□雨
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ザーッ。


俗に言うファーストキスとやらを私に与えたその唇からは、あいつがお昼に食ベていた焼きそばパンの味がした。

教室に一人残されて途方に暮れる。

期末テスト最終日。
三限の英語で長い戦いが漸く終了して解放感に酔いしれていたというのに、まさかこんなに重いものを背負わされることになるとは。

数学の答え合わせがしたいというから一緒に居残っていたけど、今考えればあいつがそんな真面目なことを言い出すなんてどう考えてもおかしかった。
これまで補習になろうがどうなろうが気にしたことなんてなかったのに。

もうとっくにエアコンの消された教室は、湿気のせいもあって汗ばむほどの不快な暑さだ。

こめかみをつたって汗が顎まで垂れてきた。それを手の甲で拭うついでに、あいつが触れた唇もごしごしと擦ってしまった。

卑怯だと、思った。
こんな急に、前触れもなく、強引に、奪うように、するなんて。
私にだって理想のファーストキスくらいはあったというのに、完全に台無しだ。こんな蒸し暑い教室で、一人取り残されて。

最悪の気分だ。

けれど、

あいつのことは嫌いじゃなかった。
否、それはウソだ。

…好きだった。
ずっと好きで、でも友達で、関係を壊すのが怖くて、黙っていたのだ。

それをあいつはあっさりぶち破って、言葉も情緒もぶっ飛ばして、私にキスをした。
本当、なんなんだろうあの馬鹿は。順番がめちゃくちゃだ。私の苦労や苦悩や夢を返せと言いたい。

また汗が流れる。
もう帰ろう。
机の上に出したままの教科書やペンケースを鞄にしまった。
あいつが置きっぱなしにしていった分は、机の中に仕舞っておいてやった。







「…なんでいるアルか」

「傘、忘れた」

さっき逃げたはずの男は、靴箱に寄りかかって私を待っていた。
なんという無神経。そしてなんという馬鹿。今日は絶対雨が降ると、朝の天気予報で言っていたのに。

「お前馬鹿アル」

「知ってらァ」

総悟は私が手に持っていた折り畳み傘を勝手に奪い、さっさと靴を履いて入り口のドアに向かって歩いていってしまう。
一瞬呆気に取られて、慌ててその背を追った。


ザザーッ。
重いドアを総悟が開け放つと、雨音と風と雫が一気に飛びかかってきた。さっきより雨足は強まっているらしい。
こんなことになるなら大きい傘を持ってくれば良かった。

「つーか二人で入ったら濡れるアル」

「なんとかなるだろィ」

「なんねーヨ!一回脳みそ取り出して洗ってこい!」

総悟は私の文句を聞き流しながら、折り畳み傘を開いた。ピンクの花柄の、私のお気に入りだ。
総悟はドアから一歩外に出て、私のシャツの袖をつまんで引き寄せようとした。なんだか従うのが癪で、体重を後ろにかけてその力に逆らった。

「もっと寄れって」

「暑苦しいアル」

「しょーがねェだろ、これしかねェんだから」

なんでこいつは勝手に人のファーストキス奪っておいて、しかもその場から逃げ出しておいて、挙句の果てに傘まで忘れているのに、こんなに偉そうになれるんだろうか。
暑さで頭がやられたのかもしれない。

でもそれでも嫌いになれないんだから、私の頭も相当いかれているんだろう。
こんなに暑くて、しかも湿度が高いんだ。ちょっとおかしくなるのも仕方がない。全部、夏の雨のせいだ。そういうことにしておいてやろう。私ってば優しい。

「…謝ったら、寄ってやるヨ」

「傘忘れてごめんなさい」

「そっちじゃないアル!」

「…」

総悟は口を閉ざして、私から顔を背けた。その先に広がるのは土砂降りにうたれる哀れなグラウンドだけだ。

「いけなかったのかよ」

「当たり前アル」

「…すまん」

「よし」

総悟は反省しているのか、こちらを振り返らない。
満足したからお望み通り近寄ってやろうとしたら、傘の持ち手を差し出された。反射的に握る。

「やっぱ、俺走って帰るから、じゃァな」

総悟は私の方を見ないまま、勝手に別れの言葉を言って走り出した。私も慌ててその後を追った。
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