□雨
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ザザザーッ。


傘が重くなるほどの大粒で、大量の雨が降っている。前を走る総悟はもうあっという間にびしょ濡れになっていた。
懸命に走るけれど、段々と距離が開いていってしまう。シャツにタンクトップの透けた総悟の背中が遠ざかっていく。

「待ってヨ!総悟!」

声を上げても、総悟はこちらを振り向かない。雨音にかき消されないような大声だったのに。

本当、どこまで勝手な奴なんだろう。
腹がたった。走ったせいで、靴も靴下もスカートも跳ねた水でびしょびしょだ。これで置いていかれたら、私は今度こそあいつのことを嫌いになってしまうかもしれない。

そんなのは嫌だった。

「馬鹿ー!」

傘を畳み、総悟目掛けて放り投げた。駄目だったら次は鞄だと思っていたけれど、回転した傘の柄が見事に総悟の頭に当たった。

総悟は立ちどまって、やっと私の方を向いた。歩いて近寄っていく。

「…びしょ濡れじゃねェか、馬鹿」

「お前に言われたくねーヨ、二倍馬鹿」

「お前…」

「え?」

総悟は距離を縮めつつある私に何か言いかけて、足元の傘を拾った。そして何故か私から顔を隠すように広げる。
その傘の前に立った。

「何してるアルか?」

「透けてら」

「透け…あっ!」

胸元に視線を下ろすと、びしょ濡れて薄くなった白いシャツの下にピンク色のブラが透けていた。うっかりしていた。いつもはキャミソールを下に着ているのに、今日は寝坊して慌ててたから忘れてきたのだ。

「好きでもねェ男の前で無防備な姿さらすのは本物の馬鹿だぜィ」

傘の向こうで総悟が言う。
好きでもない男?何を言っているんだろうこいつ。とことんずれている。
まったく、誰が本物の馬鹿だ。お前の方だ。一体どこでそんな勘違いをしたのか。

「好きじゃないなんて言ってないアル」

「だって、駄目だったんだろ?」

「駄目って何がヨ」

「…キス」

あぁ、そういうことか。私はあのキスのロマンのなさを駄目だと言ったのだけど、どうやら総悟は勘違いしたらしい。キスが駄目=好きじゃないだなんて、短絡的すぎる。
急な逃亡劇の謎が解けて、小さく笑ってしまった。

「お前は本当に、本当に馬鹿アル」

「うるせェ…」

「私のこと、好きアルか?」

「…じゃなきゃあんなことしねェだろィ」

ふふっ、と雨に紛れるほど小さな声で笑う。

開かれた傘の先端をつまみ右にずらすと、濡れ鼠のような総悟の顔が現れた。きっと私だって同じような顔をしているんだろう。

でも、これはこれでなんだか本気の恋愛っぽくて素敵だ。身なりなんか構えないほど真剣な、余裕のないシリアスな大人の恋。

「こんな雨の中なら、許すアル。映画のワンシーンみたいでロマンチックネ」

総悟は何を言われたか理解出来なかったみたいで、ただ目を丸くして私の顔を見ていた。
いつも飄々として隙を見せない総悟の珍しく無防備な表情だ。なんだか幼い子供のようで、可愛らしく思えた。


ザザーッ。


雨は少しずつ弱まっているようだった。
総悟は一瞬空いている方の手を私に伸ばしかけて、下ろしてしまった。まだ勘違いのショックが尾を引いているのかもしれない。

これだからボウヤは。もう、しょうがないわねぇ。

そんな台詞が思い浮かんだ。

私は思わず自分から近付いて、目を閉じてキスをした。積極的なヒロインなのだ。しかも不二子ちゃんみたいな素敵ボディなのだ。そういう設定ということにした。

雨に流されたのか、総悟の唇からはもう焼きそばパンなんていう庶民的で非ロマンチックな味は消え去っていた。

唇を離すと、総悟の無駄に大きな目は相変わらず丸々と開かれていた。睫毛を伝って雨が幾筋も幾筋も落ちていく。

「これを正式なファーストキスとして認定するヨロシ」

「な…にしてんでィ」

「思い出上書き保存アル」

「…女って奴はめんどくせェや」

総悟はいつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、傘を上に翳した。もう私たちはびしょ濡れで今さら雨を避けたところでなんの意味もないんだけど、大人しく総悟にぴたりと寄ってやった。


ザーッ。


雨は直に止みそうだ。私たちは水溜まりにも怯むことなく、二人並んで真っ直ぐ歩いて行った。






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