話2
□夏が終わらない
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夏が終わらない
もう9月も半ばだというのに気温は下がらず、秋の気配も全くなかった。むしろ長引く酷暑にすっかり辟易した身には、一層暑さが増したように感じられる。
「暑ィ…」
「暑いねェ」
「つーかこの道で間違いねーのかよ」
「大丈夫だって。もうちょいもうちょい」
髪を伝って汗がしたたり落ちていく。水分を吸ったTシャツは肌に張り付き、不快感を増大させていた。背中なんかは色も変わっているだろう。
今朝見た天気予報では、最高気温が36度の真夏日になると言っていた。現在午後2時、太陽が真上で照りつける最も暑い時間帯だ。
そんな炎天下を男2人でひたすらに歩いている。我ながらアホらしいが仕方ない。
時折風は吹くが、日を遮るもののない草原上において、それは気休めにもならなかった。日陰があるならば随分と楽な道のりになっただろうに、全くついていない。
むき出しの黒髪は日光を吸収して止まない。せめて帽子を被ってくれば良かったと、過去の自分の用意の足りなさを嘆いた。
というかそれよりもあの時勝っていれば、今頃は近所のファミレスで土方スペシャルを食べていられただろうに。
「グーを出してりゃァ…」
「それじゃアイコっしょ?」
恨みがましくもれた呟きに、至極まともなつっこみが入った。羞恥と怒りでますます体温が上昇する。
左手で額の汗を拭うと、甲に乗りきらなかった水分がぽたぽたと垂れ落ちて足元の草に潤いを与えた。
そういえばここ半月ほどまともな雨が降っていない。その事実に思い至ると、草原中の草が自分の汗を求めているように見え、ぞっとした。
「なァ、冷たいモノ限定しりとりしよーぜ」
「ハァ?」
「俺からね。宇治金時」
暑さと汗のことしかなかった頭にその提案はあまりに唐突で、一瞬あっけにとられた。しかしいざ始められてしまうと、生来の負けず嫌いの性で頭は回転し始める。
下唇を舐めると塩の味がした。しりとりは昔から得意分野だ。
「きゅうり」
「流氷」
「ウォーター」
「英語!?」
「別にいーだろーが」
「じゃァ…アイス!」
「スイカ」
「かき氷!」
「リチウム電池」
「冷たいか?」
「使う前は冷てーだろーが」
「んー…ち…地下水」
「井戸水」
「えっ!!ず!?ず…ずー…ず、ねェ」
それまでスムーズだったやり取りが止まった。それでも2人とも歩くことは止めない。草を踏む音と唸り声だけが暫く続いた。
汚い手も使ったがこれでジャンケンの借りは返せそうだ。そう思うと頬が弛んだ。
しかし負けず嫌いから発生した復讐心は、そんなもので消え去るほど可愛いものではない。腹の中で悪魔が笑う。
「負けた方が奢りな」
「え!?ちょッ、ずるくない!?」
「オメーが言い出しっぺなんだからいいだろーが」
「そんな!」
「ごー、よーん、さァん」
一番嫌がるであろう罰ゲームを提案し、ゴネるのも無視してカウントダウンを始めた。
慌てた表情があまりに期待通りで、下から覗き込んで馬鹿にするようにニヤリと笑ってみせる。
「やめて!!焦るとますます思いつかねーから!」
「知るか。にィィィィィ」
わざとゆっくりと語尾を伸ばしてやる。気付けばどちらの足も止まっていた。
正面に向き合う形になりトドメを刺そうとしたところで、意を決したような表情を目にした。
はっと息を飲んだのは銀だったか俺だったか。次の瞬間、俺はあまりに下世話な言葉を耳にすることになる。
「ず…ずりネタにお前使ってます!」
「ハァ!?」
「って言った時のお前の視線!!」
アホすぎる。苦笑とも溜息ともいえないものが口から漏れ出た。
「ハイ、んついた」
冷たくそう言い放ってやると、
「え?…うわァァァ!」
間の抜けた叫びをあげながら、銀は天パ頭を抱えてうずくまった。俺に勝とうなんざ百年以上早い。せいぜい己の愚行と性癖を後悔すればいいのだ。
「今月ピンチなのに…」
「毎月だろーが」
「そーですけどォ」
拗ねた顔で見上げてくるが無視をする。前方には目指していた甘味屋が見えていた。
立ち上がろうとしない間抜けは、自分の失言を後悔してか財布の中身を憂慮してか、深いため息のような呻きを繰り返し漏らしている。
日光を軽々と反射させる銀髪は涼しげなのに、首筋をしたたる汗は同じくらい垂れ流しているであろう自分から見ても暑苦しい。
早く店に入って冷たい水が飲みたい。それはこいつも同じだろうと、膝を抱える腕を攫った。
瞬間、銀の顔が勢いよく上げられて、汗が綺麗にはねた。驚いたように自分を見るその目も、つられて輝いて見える。
「手…」
「暑ィんだからさっさと歩けよ」
汗ばんだ手を引いて立ち上がらせる。
店はもう近い。冷たい水、冷えた空気。潤う喉と乾いていくTシャツを思うと足の運びは速まる。
けれど掴んだ左手の熱さも何故だか捨てがたくて、もう暫くは蜃気楼に騙された旅人のようにこの草原を歩き続けても良いような気がした。
終
戻 短編集BL