話2


□そこにいたおれ
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初めて目の前にした屋上は想像していたよりも狭く、重い扉を開けてすぐに見慣れた後ろ姿を見つけた。他に人の気配はない。

「土方さん…?」

間違いなく土方さん本人だとわかったくせに語尾に疑問符をつけてしまったのには理由があった。

紫煙が、目の前に漂っている。

風紀委員を半年も務めていると校内の煙草の気配に敏感になる。喫煙者は見つけ次第しょっぴけと何度も言っていたのは確かに目の前に立つこの人だったはず。それなのに何故、と俺の頭には数え切れないほどのはてなが円を描いて踊った。

「あ?んだよ…山崎か」

「えっと…それ…なんで…」

なんで開かずの扉の奥に土方さんがいるのか、なんで風紀委員の副委員長であるはずの人が煙草を吸っているのか。
すぐにでも答えが欲しいはずの疑問は、ばらばらの言葉になったまま意味を成さなかった。困惑の中に微かな怒りの火が灯る。裏切られた、そう思ったのだ。
土方さんに慌てた様子がまるでないのも癇に障った。所詮使い走りだからと気にもとめられていないように感じて、自分の彼への思いまでもが軽く扱われている気がした。

あまりに予想外のことが続いて俺の頭はショートしそうだった。土方さんは相変わらず涼しい顔で俺を見ていた。それどころか煙草をくわえた唇を少し愉しげに歪めてすらいる。

「お前も吸うか?」

「す、吸うわけないじゃないですか!」

「そーか」

限界ギリギリまで熱の上がった回路を冷やそうと頭の中では氷の妖精が必死に踊っている。可愛らしい妖精が一人、二人、三人…あ、四人目が転んだ。彼女たちの可憐なステップを数えることで、やっと少し落ち着きを取り戻すことが出来た。

一つ息をついて、今陥っている状況を整理してみる。

そうして出てきた仮説。

これはもしかしたら、ドッキリなのではないだろうか。

土方さんがなかなか帰ってこないのもロックをかけた携帯を忘れていったのも近藤さんが俺を探しに寄越したのも、全て最初から仕組まれていたこと。だとすれば辻褄が合う。

土方さんがくわえているのだって煙草に見えるだけで本当はペロペロキャンディか何かなのだろう。うちの担任がいつも食べているのと同じやつだ。
おそらく新人である俺がどのくらい真面目に風紀委員として働けるのかをテストをしているのだろう。
それならばまごまごしているわけにはいかない。

「土方さんと言えど、喫煙を見逃すわけにはいきません!規則に則って指導、処分します!」

我ながら良い声が出た。日々家で練習を重ねてきた成果だ。そしてこれは良い口実になったと思いながら、土方さんの腕を掴んで引き寄せた。目の前に来たぺろぺろキャンディの棒を摘まんでそっと引き出す。無抵抗な土方さんの物言わぬ口がたまらなく劣情を誘ったけれど、持ち前の我慢強さで亡きものにした。

「え…?」

「なに今さら驚いてんだよ。携帯灰皿は持ってんだろ?」

土方さんの唇にばかり目を奪われていたせいで気付くのが遅れたけれど、俺の手に移ってきたものは紛れもなく一本の吸いかけの煙草だった。予想していた甘い部分など一つもない。
愛しい人の唾液で濡れたフィルターを見ても、衝撃のあまり欠片ほどのときめきも生まれなかった。代わりに心臓が嫌な音を響かせる。こめかみを伝って流れ落ちる汗は容赦なく冷たい。

「おい、灰危ねーぞ」

「え!?あ、熱ぃっ!」

「ったく、なってねーな…。威勢だけよくてもそんなんじゃなめられんぞ」

土方さんは俺の手から煙草を取り返すと、胸ポケットから出した委員用の黒い携帯灰皿に押し入れた。その姿はやたら様になっていて、思わず見とれた自分が情けなかった。

「土方さん…どうして…」

「喫煙者しょっぴいてるうちに、そんなにうめぇのかって気になってな」

「それで、ミイラ取りがミイラですか…?」

「軽蔑したか?」

携帯灰皿をしまった土方さんが少し俯いて口の端をあげた。力を失った俺の左腕はまだ土方さんを掴んだままだ。

軽蔑なんて、出来なかった。目の前のこの人への尊敬や憧れや恋心は煙草一本で失われるほどやわなものじゃない。
そして俺の思考回路は、見たくなかったはずの現実を受け入れる方向へと組み替わり始めていた。妖精たちがスイッチを一つ一つ切り替えていく。正直、順応力には自信がある。

これは、秘密の共有だ。ここで見逃せば俺たちは共犯者なのだ。なんて甘美な響きだろうか。遠かった距離がここまで近付いた。このチャンスを逃すなんて俺には出来ない。
たとえ属していた世界へ反旗を翻すことになっても、俺にとって従うべき法はこの人なのだ。馬鹿げていてもいい。損をしたっていい。ああ、俺って本当にどうしようもないな。ため息の代わりに一つ息を吸う。

「あの、一本くれませんか?」

「は?」

驚いたように顔をあげる土方さんに笑いかける。

「俺も、どんなもんか知りたくなりました」

愛しい人にどこまでも付いていく愚か者の末路を、見せてください。










ここにいるはる

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