話2


□ハローハロー
1ページ/2ページ





いつの間にか制服の胸には似合わない花が一輪咲いていた。
実感を伴わない時の流れの中を通り過ぎて、気がついたら私は片手に青い筒を握っていた。

そして今は一人、屋上に突っ立っている。晴天の下に吹く風は昨日積もった雪のせいか少し湿っているけれど、そのくせ冷たくはなかった。
見上げる先の空は薄く細かい雲を高速で右から左へと流して行く。見るともなく、それを見ている。

私の目は乾いていた。

悲しいとか清々するとか退屈だとか、いかなる感情も浮かばなかった。言うなれば他人事のように思われて。全ては体を覆う膜の外の出来事のようで。
今日の私は徹頭徹尾不熱心な傍観者だったのだ。
そして騒がしい教室を抜け出して、ここに来てしまった。

一体なんなのだろう。こんなこと今までなかった。世界が、なんだかとても遠い、偽物のような、私の心とは何の関係もないような、そんなもののように思える。

背中に吹き付ける強い、一流れの風。受けるのが億劫で、膝を折ってその場に座り込んだ。
剥き出しの膝にあたったコンクリートの感触だけはなんだかリアルで、少し安心した。

両手を広げると、右手から青い筒が落ちて少しだけ転がった。放っておいてコンクリートを掌で撫でる。この物言わぬ天空の地面が、何故かとても愛しかった。

「やっぱりここにいた」

「下痢でもしてんのかと思ったぞ」

ギィっという音に続いて二人の声が聞こえた。呑気そうな新八の声と、やっぱり呑気そうな銀ちゃんの声。それはちゃんと意味を伴って私の耳に届いた。

「女の子は下痢なんてしないアル」

「前カレーの食い過ぎでしてたろーが」

「やめて!うち明日カレーの予定なんで!」

いつもと同じ、バカな男二人との下品でろくに中身もない会話。
ただいつもと違うのは、少しだけ丁寧に整えられた髪と胸元のちっぽけな造花。
ええいこんなものと髪を手で掻き乱し花を取って捨てて、それからまた向き合えば全て元通りになるだろうか。雲は右へと進行方向を変えるだろうか。

空は変わらずに右から左へと流れ作業のように雲を追いやって行く。視界から消えた雲たちは、一体何処へ行くのだろう。

「なんだよ、浸ってんのか?」

「証書落ちてるけどいいの?」

「…お前ら本当に女心のわからない奴等アルな」

睨みつけてやると、二人は微妙な笑顔になった。なんだその顔。いつにも増していまいちだ。

「ったく、最後までオメーは駄目出しばっかじゃねーか」

「結局、神楽ちゃんの満足する男にはなれなかったか」

どこか遠い目をして、新八と銀ちゃんは意味のわからないことを言う。

最後ってなんだよ。
結局なれなかったってなんだよ。
そんな、全て終わってしまったような言葉、私は知らない。

知らない。
はずなのに。

………………。

あぁ、本当に、本当にこいつらは大馬鹿野郎だ。繊細な女心を何一つ理解しちゃいない。
散々わからせようと暴言を吐き続けた私の努力をどうしてくれるんだこの野郎共。

腹がたって、涙が出た。
気付かれないようにと、俯いてコンクリートを撫で回した。

「ここ、手放すのは惜しいよなー」

「占拠すんの大変でしたもんね。何回喧嘩したことか」

「そのわりに快適に過ごせる日は少なくてよー」

「夏は暑いし冬は寒いし雨だと濡れる。しなくていい苦労をしてましたよね、僕ら」

「源外のじじいがたまにパシりに来たりな」

「でも用務員なのにサボるの見逃してくれたし」

「しかしまぁろくな大人いなかったよな。マダオは教師のくせにたまに授業放棄してここに逃げてくるし、ババァは校長のくせにしょっちゅう廊下で煙草吸ってるしよー」

「キャサリン先生は結局最後の授業まで猫耳外しませんでしたね。あと全蔵先生は痔が治らなかったし」

「どう見ても堅気じゃなそうな奴とかオカマとか、まともな奴はマジで一人もいなかったじゃねーか。こんなトコ卒業したんじゃ俺たち絶対にろくな大人になれねーよ」

二人の会話をぼんやりと聞きながら、私はコンクリートを撫で続けた。雫が落ちてくればそこを一生懸命に擦った。
乾いていたはずの表面はいつの間にか湿り気を帯び始めていた。

「でも、なんだかんだ良い先生たちでしたよね」

「そーか?俺はやっと離れられて清々すらぁ。あ、お礼参りにでも行くか?」

「えぇ!?嫌ですよ。長谷川先生以外に敵う自信ないですもん」

「三人がかりならいけんだろ。な、神楽?」

銀ちゃんに呼び掛けられても返事をしなかった。私は今コンクリートを撫でることに夢中で言葉など耳に入らないのだと言う体で。
だって泣いていることを悟られたら、私はもう全てを直視するしかないような気がするのだ。これはもうみっともない最後の悪あがきだとわかってはいたけれど。

あぁ、もう、一生に一度の願いを使ってもいい。

ねぇ神様、或いは仏様。このろくでもない時間を止めちゃってください。

流れる雲も、傾いて落ちてゆく太陽も、思い出話なんぞに花を咲かせる馬鹿二人の声も、この涙も。全て、全て。

だって、この屋上から見上げる空も、へらへらしているこいつらも、過去のものにしてしまうのは哀しすぎる。昔なんていう年寄り臭い枠に収めてしまいたくはない。

今を、失いたくない。

「なー神楽」

「………」

私は手を止め、俯いたまま銀ちゃんの言葉の続きを待った。どうせ気の効いた言葉など言いはしないだろうけど、それならいつも通り罵ってやればいいだけのこと。
幸い、涙は止まった。神様仏様の御力かもしれない。素晴らしいです、この調子でもう一働きお願いします。
私は恭しく頭を垂れ続ける。

「くそみたいな学校だったけどよー、楽しかったな」

「…………マイナス500点アル!」

顔を上げて、銀ちゃんとその後ろの神と仏に点数を突きつけた。

「んだよそれ」

「うるさいアル。暫く私に話し掛けないで」

私の視線は再びコンクリートへ。

まったく。この天パ馬鹿は、しっかり締めの言葉を言い放ちやがった。ここまではっきり宣言されるともう涙すら出ない。

時は、決して、止まることをしない。

そんなこと私だって知ってはいたけれど。

ただ、私たち三人にかかれば逃げられないものなんてなかったのだ。嫌いな授業もお説教もあらゆる価値観の押し付けも、私たちは笑って遠くに蹴り飛ばしてきた。そうして楽しくやってきたのに、時ってやつはそんな私たちを後ろから蹴飛ばして、進め進めと追いたてる。

そして私がいくら逃れようと思っても、この腑抜けた男二人は言われるがまま足を踏み出しているのだ。
もう、本当に、本当に使えない奴等。

「神楽ちゃん、大丈夫?」

大丈夫なわけない。お前らのせいで私は、全然大丈夫なんかじゃない…。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ