話2


□三度!
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教室には私と沖田、二人きり。

なんだこの緊張感、どうしろってんだ、今の私に打つ手なんかない。

体が動かない。声も出ない。逃げた方が良いような気がするけれど、あれ、逃げるって、どうやるんだっけ?

ジャングルで怖いものなんてなかったライオンが初めてライフルを持った人間を見た時、きっとこんな感覚だったに違いない。

あぁ、白旗さえあれば。

思わずそんな弱気なことを思う。肉食女子にあるまじき考えだ。いけない、このままでは、死あるのみ。奮い立て私よ、徹底抗戦だ。抗って抗って、最後には、理性を食い尽くしてやる。

「どうしたんでィ?」

「うるさいアル!この盗み聞き男!」

なんだそりゃ、徹底抗戦というか、ただの悪口じゃないか私。六歩くらい離れた場所に立つ沖田の顔を見ることすら出来ぬまま、私の中身の乏しい脳はただただ空回りを続ける。こんなんじゃ駄目だと思いながらも他に方法が見つからず、時折ひだに引っかかる言葉を流れ作業よろしくひたすら口から放った。

「この不感症!鈍感!えっと、寝坊助!変なアイマスク!意地悪!それに…なんか幽霊みたいに気配なかったし…!そもそもなんでいるアルか!馬鹿!バカ、ばか!お前なんて…!」

「お前なんて?」

お前なんて、なんて…。口の中で繰り返しながら続く言葉を探すのだけれど、どうしたことかもう一つも思い浮かばなかった。我が脳内の一室に居た語彙たちは全て、荷物をまとめてどこかへ引っ越して行ってしまったようなのだ。おかげで気の利いた悪口は何一つ残っていない。

けれどただ一つ、置き手紙のように、部屋の隅に小さな言葉が、居た。

「…好き」

諦めて、拾い上げて、ゆるい放物線を描くようなイメージで、沖田へと、その言葉を投げた。

「…始めからそう言えばいいんでィ」

低い声は、たしかに私の言葉を受け取ったという証に聞こえた。六歩の距離を沖田がゆっくりとした足取りで埋めてくる。踵履きの上履きが埃っぽい床に擦れる音。私は俯いて恋しい人の到着を待っている。
あぁ、なんてこった。ここはムードに乗っかって飛び掛かるところじゃないのか。これじゃあ私はそこいらの普通の恋する乙女とまるで変わらない。何が肉食女子だ、愚かなことに私は、私を知らなかった。

「顔、上げろ」

操られでもしているかのように素直に上げた私の顔に沖田が触れた。指先を頬の形を確かめるように下降させて、顎へと到達した骨ばった華奢なけれど男の指は、私の顔を動かないように固定した。

しかと私を見つめる目。間近で視線が交わる。二人を繋ぐ線は沖田によってどんどん回収されていき、接近、接近、接近、もはやほとんど接触。

そこから先は、漫画のような、小説のような、だけどそれよりももっと胸の高鳴る、口付け。と思いきや。

「あ、昼飯食堂の餃子セットだった」

「…臭っ!」

「あそこのはニンニクたっぷりだからねィ」

軽い口調でしかも強烈なニンニクの臭いを撒き散らしながら、沖田は諦めたように笑って私から距離を置いた。寂しさとかもったいなさを感じる隙もなく、私はほとんど一瞬のうちに起きた夢のような出来事と悪夢のような出来事に思考を奪われていた。

現実は小説よりも奇なりと言うけれど、それでも、これは、ありえない。いや、ありえたんだけど。スカンクかこいつは、いやいややっぱり私の恋しい人で、ていうかもはやいわゆる、恋人、というやつなのかもしれない。我ながらとんでもない男を捕まえてしまったもんだ。

混乱は収まらないけれど、顔をしかめる私の前に手が差し出されて思わずそれを握った。やっぱり華奢で骨ばった男の手はしっとりと温かくて、なんかよくわからないけれど興奮した。

「次こそ…次こそ襲われてやるアル!」

「へいへい」

「ニンニク臭っ!」

本当の戦いは、これからなのかもしれない。






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