話2


□天国までの十数段
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落ちかけた土方の体を慌てて支える。自らも落ちぬようにと手摺に掴まった俺の左手首は、二人分の体重を受けて少しよからぬ方向に曲がった。

「なんで、」

それだけ言って黙した土方は、後に続くであろう「助けたりしたんだ」という言葉を、鋭い視線でもって問うてきた。
恨みがましく、では表現が弱く、憎々しげに、と言うには瞳が哀しげだ。俺はあまりものを知らないから相応しい表現が見つけられないけれど、きっと視線の奥にある感情はこう言っている。

「死にたかった、か…?」

痛む手首をあちこちに捻りながら、出来るだけ刺激しないように静かな声で尋ねた。手首は、腫れてはいないものの少し熱を持っている。捻挫というほどではなさそうだが、二三日は痛みが続くかもしれない。

屋上に繋がるドアの前の踊り場。次の踊り場まで大した段数はないから、きっとこの階段を落ちたところで死にやしないだろう。なんならジャンプしてみせたっていいくらいの高さだ。足まで痛めるのは嫌だからしないけど。

それに、実際に死ねるか否かはそれほど問題じゃない。重要なのは、こいつが死にたがっているってことだ。今回のは予行演習をしてみただけかもしれない。次は俺のいない場所でやるかもしれないのだ。もっと、確実に死ねるような高さから。

「事故だったら、仕方ねェだろ…?諦めも、つくだろ?」

土方の目は辿り着くはずだった下の踊り場を見ている。そしてそこには、いるはずのない男の姿があるに違いなかった。あいつはどんな顔で土方を見上げているんだろうか。あの殺しても死ななさそうだった馬鹿野郎は。

うっすら浮かんだ涙と、僅かに上がった口角がドアの窓から入る夕日に照らされている。屈折を重ねた光は、まるで遠くから土方を迎えにきたかのようで、怖かった。

「俺は、無理」

連れては行かせまいと抱き締める。細い体は寒さに凍えた人のように震えて、氷漬けの長い眠りから起きてきたかのようだった。実際、心の一部はそうだったのかもしれない。

土方はずっと、仕方ないという言葉で自分を諦めさせてきたんだろう。あいつを失った悲しみを、やりきれなさを、寂しさを、半身をちぎりとられたような痛みを、押し殺してきたに違いない。そして、それはもう、限界だったのだ。

「なんで…なんで俺だけが我慢しなきゃなんねェんだよ…!」

「うん、そうだよな。…ごめんな」

「もう、生きてたくねェのに!こんな…こんな辛い思いでいるくらいなら、さっさと…もう、死んじまいてェんだよ…!」

「ごめん。土方、ごめんな。辛い思いさせて、ごめんな」

半分はあいつの代わりに、半分は俺自身の想いで、泣きじゃくる土方を抱き締めて、ごめんを重ね続けた。

俺は卑怯だ。

本当に土方のことを想うのなら、その胸の痛みを今すぐ肩代わりしてやるべきだ。屋上へ連れ出して力強く突き落とし、あいつのもとへ送ってやればいい。そして俺は一人独房かなんかで苦しめばいいのだ。

それなのに。俺が引き受けたものといえば、うっかり少し捻った手首の痛みだけ。情けない話だ。わかってる。俺は最低な弱虫野郎だ。

でも、それでもいいんだ。

恨まれても、憎まれても、構わない。それでも俺はこいつに、

「ごめん。生きてくれ。土方」

いやいやと横に振られた土方の頭を、俺は痛む左手で必死に撫で続けた。










短編集BL

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