話3

□その手、この手
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突然の雨音が、俺を目覚めさせた。

大粒の雨が地面に、時おり風に煽られて教室の窓に、激しく打ち付けられている。そんな様子が目に浮かぶ音。他にはなにも聞こえない。

起き上がってあくびを一つする。頭はぼんやりとしていて、全身には不快な気だるさがあった。固いところを下にしていたせいか、頭と背中が痛い。
こうなると知っていながら、いつもこの場所で昼寝をしてしまう。

並べて寝床にしていた椅子から足を下ろし、立ち上がった。厚手のカーテンを少し開くと、雨の音が少し大きくなる。この様子だともう暫くは降り続けるだろう。傘は一応持ってきていた。

のろのろと、準備室のドアを開けて音楽室に移動する。

「あ……」

もう無人だろうと思っていたが、音楽室にはまだ人がいた。グランドピアノの黒い椅子に男が一人、弾くでもなくただ座っている。この学校一番の有名人、高杉晋助。

高杉は少し驚いたような顔で俺を見ていたが、唐突に立ち上がって足早に近づいてきた。

「おい、俺の手を折れ。左な。さすがに利き手は面倒くせェから」

「へ?」

高杉の口から発せられた言葉は、意味不明なものだった。初めましての挨拶をしろとは言わないが、もっとなんかこう、順番ってものがあるはずだ。いきなり手を折れとか、危ない趣味でもあるのか?

目の前に差し出されている片手と、睨みつけてくる片目を交互に見やる。

この白い手は、普段なら手袋に隠されているものだ。こうして目にするのは初めてだった。骨ばってはいるけれど、繊細な形をしている。

「おまえ、土方だろ?去年3年と喧嘩して鼻砕いたっつう」

「……そうだけど、別に砕きたくて砕いたんじゃねーよ。たまたま右のストレートがうまいこと当たっちまっただけだ」

「んなことはどうでもいい。この手にもうまいこと当ててくれ」

「いや……、なんでだよ。大事なんだろ……?」

体育も調理実習も高杉は参加しないのだと聞いたことがある。ピアノを弾く手を守るために。

その手を、何故わざわざ傷付けようとするのか。将来有望なピアニストと言われるこの男が。

「早くしろ。おまえがやったとは言わねェから、壊せ」

「ふざけんな、嫌に決まってんだろ」

「……なら、その気にさせてやるよ」

そう言って高杉は、素早く俺の頬を張った。少し驚かされたが、ただの挑発だ。力は弱く、大したダメージはない。それでも、一瞬頭に血がのぼった。

拳を握る。

「俺、おまえのピアノ好きなんだ」

手を上げることはせず、ただその一言を告げた。思いつきの言葉などではなく、本心だ。高杉のピアノを聴きながら眠りたくて、俺はいつも準備室に忍び込んでいたのだから。

「俺はもう、うんざりなんだよ」

「そーいう気持ち、まったく分からなくもねーけど、もったいねーよ」

「……なら」

「なら?」

おうむ返しする俺の手を、高杉が握った。

「どっか行こうぜ」

天才と呼ばれる男の大事な手は、何でもない俺の手と同じ温度をしていた。

どっかってどこだよとか、やっぱなんか順番間違ってねーかとか、思うところもあったが、追われる人のように足早に進む高杉には何も聞くことが出来なかった。






あの手とその手と私の手 (高土+女子生徒)

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