話3

□緩い呪い
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「気は済みましたか?」

「なんか物足りねェなァ」

「仕事があるので、そろそろ解放していただきたいのですが」

「仕事?なんかあったか?」

「明日の晩餐会の準備ですよ」

「あー……、そういや明日か」

「ええ。料理の仕込みを始めたいんです」

「そこらの豚の血でも出してやりゃ十分だ、あんな奴ら」

「そういうわけにはいきません」

無感情に言い返し、十四郎が立ち上がろうとする。その肩を上から押しやり、また浴槽に沈めた。半身が浸かる程度に張られた湯が揺れる。その水音に溜め息が重なった。

いつもは高い位置で括られている十四郎の黒髪が、白い首筋や肩に張り付いている。扇状に広がる黒は、悪魔の羽根を連想させた。

実際に羽根が生えていればよかったのに、と晋助は思う。きっとこの背中には似合うだろう。両の羽根をもいでやれば、この物足りなさも解消されるかもしれない。

濡れた背中に指を滑らせる。尖る爪を、幻の羽根の付け根に突き立てた。容赦なく力を加え、人差し指の第一間接までを十四郎の身体に潜り込ませる。

予告のない暴力に、無防備な裸体が強張った。

「っ……、晋助様……」

「すげェ締め付けてくる、そんなにいいのか?」

「おやめくださっ……」

塞がろうとする傷口に中指を追加で捩じ込ませると、十四郎は痛みのためか言葉尻を失った。

「おまえには、赤が似合うな」

真っ白な背中を、一筋の血が流れ落ちていく。苦痛のせいか、剥き出しの肩が小刻みに震えていた。

どれほど酷い仕打ちを与えようと、十四郎がこの手から逃げだすことはない。本気を出せば晋助を瞬殺することだって可能なのに。

黙って食い物にされることを良しとする身体は、晋助に満足と不満足を同時に感じさせる。

ずるりと二本の指を引き抜き、滴り落ちそうになる血液を舐めあげた。

「おまえを食卓にのせてやるってェのもいいな」

何気なく、晋助はそんな言葉を口にしていた。いつもの、気紛れの、戯れに放っただけの思い付きだ。

しかし。

「い……ってェ……」

水音を耳が拾うのと同時、晋助は痛みに呻いていた。

先程まで十四郎をなぶっていた手が、強い力で握られている。ほんの少しでも力を強められれば、骨が砕けそうだ。血の巡りが塞き止められ、指先が痺れたようになる。

正面から向き合う形になった十四郎は、じっと晋助を見つめていた。鋭い眼差しを、晋助は痛みに顔を歪めつつ見返す。

「俺は……」

一声発したところで我に返ったのか、十四郎は手首を握る力を弱めた。しかしその手が離れることはない。

「俺は、身体も、魂も、一欠片の例外なく、あなただけのものです」

そう言って、十四郎が赤くなった肌に唇を寄せる。

「……知っている」

手首に口付ける従者の濡れた髪を、主はそっと撫でた。





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