100のお題(1-40)
□032 音がいて、音が
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すたーん、と小気味良い音をたてて、俺とあの人とを隔てていた戸が勢いよく横に開いた。朝の光を背負って逆光になった人影の背景には、音に驚いたらしい鳥が数羽飛んでいくのが見える。もったいない、これからが面白いのに。
「朝から喧しい人ですねィ」
「ふざけたことしやがって!」
どすどすと怒り任せの足音を響かせて部屋に入ってくると、土方さんは勢いよく俺の布団を剥ぎ取った。予想通りの行動。抜かりなく靴下まで履いて待機していた俺には、襲いかかる朝の冷たい空気も効きやしない。
仁王立ちで上から睨み付けてくる土方さんの顔は痛々しいくらい全面真っ赤だ。必死で擦って洗ったんだろう。クレンジングなんて言葉はきっとこの人の辞書にはない。
「もったいねェや、愉快な顔だったのに」
「ふざけんなボケ!山崎に笑われたじゃねーか!」
「…見られたんですかィ」
きゅぅっ、と自分の瞳孔が開く音が聞こえた気がする。それに全身の筋肉に力の入る軋みの音と、血を激しく送り出す心臓の鼓動音。身体各部が自動演奏型の楽器になったみたいだ。怒りというのは、俺の身体をやたらと煩くさせる。けれどそれもすぐ収まって、あとには波の引いた海みたいな静けさだけが残った。
「土方さん、ちょっとこっちに来なせェ」
「…な、なんだよ」
「もっと」
そう言うと、土方さんは大人しくもう一歩寄ってきた。素早く足を払い、腕を引き寄せる。
「いって!」
派手な音をたてて、俺の身体の横に土方さんが倒れこんだ。布団がクッションになったからきっと音ほどのダメージはないだろう。反撃を食らう前に腕と足で絡みついて拘束する。
「お前な!」
「なんで山崎なんかに見られたんでィ」
「廊下出たら居たんだよ。つーか下手したら他の奴らにも見られるだろーが…何がしたかったんだテメェは」
「…そりゃ、嫌がらせに決まってまさァ」
なんかうまく眠れなくて、嫌なことばかり頭に浮かんで、苛々して。それで、土方さんにイタズラでもしてやればすっきりするんじゃないかと思って、油性マジックを片手に部屋を出たのだ。
「起きないあんたが悪いんでさァ」
無防備に寝こける土方さんの顔に、好き勝手に落書きをしてやった。翌朝鏡を見たらすぐに怒鳴りこんでくるだろうと、その姿を想像したら面白くて、やっと俺は不快な想像を振り切ることができたのだ。
「…次は水性にしねーとぶっ殺すからな」
「へーい」
土方さんが寝たふりをしていたことは知っていた。時おりくすぐったいのを堪えるように顔に力が入ったし、それでも繰り返される寝息はあまりにわざとらしかったからだ。そりゃもう子供騙しにもならないくらい、下手くそな芝居だった。下手くそすぎて、笑いそうになった。
たどたどしい呼吸のリズムと微かな音は、部屋に戻った俺が眠りに落ちるまでずっと、頭の片隅で響き続けた。まるで添い寝でもしているかのように。
「痛そうですねィ」
「なめんな、俺は痛みには強ェ」
「…お人好し」
「んだと?」
むっとした土方さんのいまだに赤い顔を、下から上にかけてゆっくり舐めてみる。柔らかな舌触りの頬は、仄かな石鹸の匂いをさせていた。微かな甘みがあるような気がする。山崎に見られたのは不覚だったけど、この味と匂いと、抱き締める身体の温かさは、俺だけのものだ。
「ずっとこうしてれば、落書き出来やせんけどね」
「…俺は抱き枕じゃねェ。つーかいい加減起きるぞ、仕事だ」
「たっりィ」
「文句言うな、俺までやる気がなくなる」
「あと五分ー」
片手を伸ばして、剥ぎ取られた布団を引き上げる。
「…三分だ」
そんなことを言いながら、結局土方さんはあっという間に俺の腕の中で眠ってしまった。その自然で滑らかな寝息に誘われて、俺も気付いたら眠りに落ちていた。
終