話(連載)

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その声を聞いた瞬間、闇夜を駆け抜けていた俺の足が止まった。そして何を考える間もなく、すぐに元来た道を引き返す。

満足したはずの腹が空腹を主張している。消化を促すような力が、あの声に含まれていたのだろうか。
しかし、と思考する理性とは裏腹に、本能が動かす足は止まることがない。屋根と屋根の間を難なく飛び越え、最短の道を無意識のうちに進んでいく。

生きた人間は食べないと、決めていた。それが、あの場所に留まるための約束だった。俺はあの家を失いたくない。なのに、体の中心が、脳の中心が、そして計り知れない心の中心が、俺を止めてくれない。

歯が疼く、目が疼く、筋肉の塊もざわざわと、さっき喰らった奴までが騒いでいるような。

あぁ、食べたい。食べたい。生きた肉に齧り付き、その血を啜り、あがる悲鳴にすらむしゃぶりついてしまいたい。

ここまで気持ちが高ぶるのは初めてだった。どんなに空腹の時だって、どこかに冷静な自分がいたというのに。そいつは何処へ去ってしまったのか。
否、こうして自分を客観出来ているのだから、冷静な面もまだ残っているのだろう。しかしそのもう1人の自分は、止めるのではなくもっと早くと俺をせかす始末だ。余計にタチが悪い。

声のした場所は、もう、近い。幾つかの匂いもしてきた。そのうちの一つが、きっと声の主だ。俺の食欲はますます狂暴になってうなり声をあげる。

俺は屋根から飛び降り、闇夜の中の路地裏を駆けて行った。
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