話(連載)

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夜の闇以外見えるもののない室内。外からは喧しいほどの虫の音が響いている。
感覚だけを頼りに旅の身支度を進めながら、沖田は不機嫌を露にしていた。今は封じていない九つの尾が、闇を刺すように方々に鋭く伸びている。

「なんで俺たちがこんな夜逃げみてェな真似…」

「すまんな総悟」

小声で愚痴をこぼす沖田に対し、近藤はただ平謝りするだけだ。だからこれ以上は我が儘を言えない。そう思うのだが、一度開いた口は簡単に閉じられるものでもなかった。
一対の三角の耳を各々左右に動かし、虫以外の物音が外から聞こえてこないことを改めて確かめる。
大丈夫、誰もいない。今頃は離れで眠っているはずだ。

「近藤さんが謝ることじゃねェでしょう。あの野郎共が邪魔なら俺が噛み殺してやりまさァ」

誰にも聞かれていないという確信があっても、つい声を潜めてしまう。自分が物騒なことを言っている自覚はあった。発達した犬歯が疼く。あいつらの喉を噛みきってやれたらどんなにすっきりするだろうか。

「滅多なことを言うもんじゃないぞ」

たしなめるように近藤は言った。ボリュームを抑えているつもりなのだろうが、その声は狭い部屋の中によく響いた。驚いた耳がぴくりと動く。獣耳はどんな小さな音でも拾う分、大きな音には弱いのが難点だ。

「さて、出来たか?」

「…はい」

渋々頷く。
闇の中で近藤の微笑む気配があった。呑気な人だと呆れながらも、ささくれだった気が少し落ち着いたのも事実だった。九つの尾が柔らかさを帯びてゆらゆらと揺れる。

「少し、急がないとな」

「はい」

二人は音をたてずに立ち上がった。
沖田はもう一度耳の感覚を尖らせて外の状況を確認する。念のために匂いも嗅いだ。大丈夫だ。あとは朝までになるべく遠くへ行けばいい。

二人は慎重かつ素早い足の運びで、長年暮らした家から出て行った。
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