話(連載)

□円には遠い多角形
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帰ろう、とゲタ箱に近い階段を降りている最中、それは始まった。



ざぁっと音を立てて雨は、開かれた先の校庭を見る間に別物に仕立て上げていく。
夏休みの、しかも盆のド真ん中にあたる今日は珍しくどこの部も活動していなかったので、突然の雨に騒ぐ人間は誰もいなかった。
一人の男を別にして。

「やっべェェェ!傘持ってきてねーよ!!なァお前持ってる?寄越せや」

土方は上履きのまま入口まで走ったかと思えば、カツアゲめいた台詞を喚きながら、また走って廊下まで戻ってきた。その足元を見やると、僅かだがたしかに砂が散らばっている。神経の図太すぎる土方は、綺麗好きな自分には考えられないことを無意識にやってのける。

「持ってねーし、持っててもやらねェ」

冷めた口調に冷めた視線を添えて答えると、土方はあからさまにムッとした表情になった。

「ケチ杉…」

「なんか言ったか?土バカ」

悪態には悪態で返す。いつものやり取りだ。ただ、今日はいつも仲裁に入って矛先を向けられる坂田が不在だから、そのままお互いへの口撃が続くことになった。

「バカはテメーだ!俺ァ帰って再放送のドラマ観てーんだよ、判れよ!!」

「知ったこっちゃねぇなァ。走ってずぶ濡れになって夏風邪でもひいたらどうだ?お似合いだろ?」

「だからバカじゃねーつってンだろーが!!殴られてーのか!?」

口喧嘩では俺に劣る土方が拳を見せた。すぐに暴力に頼ろうとするところは出会った頃から変わらない。
というかこの高校生活でコイツは成長したんだろうか?疑問が浮かぶ。

「テメーは出会った時からすぐそれだ。ちったァ大人になりやがれ」

「んだと!?テメーこそそうやって人を見下すところは相変わらずじゃねーか。だから友達出来ねーんだよ!!」

「それを言うんじゃねェェェェェェ!」

一番気にしているところを指摘され、完全に頭に血が上った。坂田がいれば必死に止めに入っただろうが、いないとあれば自分達では歯止めが効かない。
結局、久しぶりに殴り合いになった。考えてみれば約一年ぶりのことだった。



口では俺が勝つが、やはり暴力ではかなわない。それでも廊下にへたばらせる程度のダメージは与えられた。もちろん俺も倒れ込んではいるのだが。
こんな汚い場所に伏しているのは耐えがたかった。しかし鳩尾が痛くて起き上がることが出来ない。的確に急所に入れられ、強制終了されたのだ。

「テメー本気でやりやがったな…」

「手加減したことなんざお互いねェだろーが。つーかお前更に弱くなった?」

「そのセリフそのまま返す。大分動きが鈍ったんじゃねェのか?」

「最近真面目に勉強してたからな」

「まァ多少は大人になったっつーことか」

汗だくになった額を拭う。軽口をたたく余裕はあったが、まだ体勢を立て直すことは出来ない。
一足先に息を整えた土方が、立ち上がって俺を見下ろした。髪もシャツも乱れきっている。頬に引っかかれたような傷があった。俺がやったのだろう。
そういえば顔には攻撃を受けなかった。前はよく唇やら眼の上やらを腫らしたものだったが。それどころか、鳩尾以外に強く痛むところもない。
なんだ。しっかり手加減してんじゃねェか。今更気付いた自分が情けなかった。

「まだ痛いのか?」

「…いや、大丈夫だ」

少し心配そうな土方は、しゃがみこんで聞いてくる。自身の大人気なさを少しでも挽回しようと、無理をして上体をあげた。途端、はだけきった胸元に気付いた。シャツのボタンが全てなくなっている。

「随分ワイルドになったじゃねーか」

土方が笑いを含んだ声で言う。まさか、コイツ…。

「いやァ、お前のシャツ高級だから大変だったぜ」

ボタンを引きちぎることに執着してたから攻撃が疎かになってただけなのか…?
やはり大人になど少しもなっていない。むしろ出会った頃よりガキになっているのではないだろうか。もう数発殴ってやろうか。痛みも大分マシになった。拳を握り締める。

「殺す…」

「ちょっ、そんな怒んな!大人気ねェ!」

殺意を込めたセリフと視線を向けると、土方は慌てて立ち上がってゲタ箱に走り寄った。逃がすものかと、急に動いたせいで再び痛み出した鳩尾に手をあてながら追いかける。



靴の踵が潰れることを嫌って両足をきちんと収めている間に、スニーカーを両手に持った土方は上履きを脱ぎ散らかして外へと走り去って行った。
その後ろ姿を見送り、溜め息を洩らす。
夕立は止んでいたが、地面はぬかるんでいるはずだ。そんな時に走って靴や制服の裾を汚したくはない。
もうあんなガキは放っておいてゆっくり帰ろう。そう考えて歩き出したところで、自分の格好を思い出した。殺意が再び湧き上がる。

入口からこちらを覗いていた土方を追いかけた。


 
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